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結界師への転生  作者: 片岡直太郎
第九章 夢のかけ橋編
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第二百四十三話 俺の屍を越えてゆけ

弟弟子のトメライルから話を聞いたゲンさんは、一瞬、目をキラリと輝かせたが、やがてすぐに肩を落とし、力なく呟いた。


「ありがてぇ話なんだが……。大将てぇしょう、俺ぁ、どうも行けそうにねぇな」


「何だ、ゲンさん? 何か具合の悪いことでもあるのか?」


「いや……そういうわけじゃねぇんだが……。その……カミさんが、な」


その声を聞いて皆が思い出したかのように、ああ~うわああ~とため息を漏らす。聞けばゲンさんのおかみさんは、かなりの焼きもちやきであり、浮気などもっての外、という人であるらしいのだ。リノスもおカミさんには何度か会っているが、確かに、恰幅がよく、気は強そうで、とてもしっかりしている女性だという印象がある。


「俺も久しぶりに色街には行ってみてぇが……。そんなことを言った日にゃ、正座させられた挙句に、定規でもって俺っちの膝小僧をバシバシ叩かれちまう」


「……す、凄まじいお仕置きだな」


「カミさんが居ねぇ時なら何とか算段を付けるんだがな……。今から遊びに行ってこいなんて言おうもんなら、まず感づかれちまう。だからよ……。俺っちは抜きにして、みんなで楽しんできてくんねぇな」


寂しそうにゲンさんは呟く。その様子に、トメライルは立ち上がり、ゲンさんに声をかける。


「何を言うんでぇ兄ィ! 俺たちの大将てぇしょうは兄ィじゃねぇか! 兄ィを置いて俺たちが行けるわけねぇじゃねぇか! 兄ィがいなきゃ意味がねぇ!」


「トメ公……」


ゲンさんは目に涙を浮かべている。トメライルはリノスに向き直って早口でまくし立てる。


大将てぇしょう! 何とか兄ィが色街に行けるようにしてやってくんねぇな! 何だったら、俺ら全員であねさんに頭ぁ下げたっていいんだ! 何とかしてやってくんねぇ!」


「う~ん」


リノスは目を閉じて、天井を見上げて何かを考えていた。そして、ふうと息を吐くと、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「上手くいくかどうかはわからんが……」


全員がリノスの言葉に耳を傾け、そして、しばらく後にシンとした静寂が部屋の中を包みこんだ。



「何だいお前さん改まって! 話って何だい!」


いつ見ても恐ろしい女房だと思う。何故に俺はこんな女を女房に持ってしまったのか? 元はと言えば、自分の親方の家で女中奉公していた女だったのだ。たまたま声をかけたのがきっかけで、その後、よく話をするようになった。そして、親方の媒酌で結婚することになったのだ。あの時のカミさんはかわいらしかった……。


ゲンさんが昔の甘酸っぱい思い出に浸っていると、腹の底から響き渡るような音がする。言うまでもなくおカミさんの怒号だ。


「何だい! 早くお言いよ!」


ゲンさんは、反射的にゴメンナサイと言いそうになりながら、無意識に正座をする。そして、一旦自分の手元に視線を落としてからゆっくりと顔を上げ、リノスに言われた通り、何かを思い出すように、遠い目をしながら語り始めた。


「いや……。今日、大将てぇしょうが来てくれてよ。俺たち大工でぇくはよく頑張っていると褒めてくれたんでぇ」


「良かったじゃないのさ」


「それでな? その褒美に俺たちを色街に連れて行ってくれるってんだ。……まあ、聞きねぇな。……俺っちは行かねぇよ。いや、大将てぇしょうやトメ公らが、俺っちは連れて行かれねぇってんだ。お前ぇのカミさんは、焼餅やきだから、俺っちを色街に出す器量はねぇだろう。お前ぇは帰っていいとよさ。まあ、行きたくねぇと言えばウソになるが……。何か、情けなくってなぁ」


ゲンさんは、時おり手に視線を落としながら、深いため息をつく。その右手にはセリフが書いてあり、これがバレると間違いなく五体満足ではいられない。ゲンさんも、一世一代の大芝居なのだ。


パァーーン!!


いきなり何かをブッ叩く音がした。思わずゲンさんは目を閉じて身を固くする。恐る恐る目を開けてみると、おカミさんの右手がテーブルの上に乗っている。おそらく、これまで幾度となく、自分の意識を刈り取ってきた、この黄金の右腕でテーブルを叩いたのだろう。その凶器のような手が、また自分に向けられるのか……そんな戦慄を感じていると、おカミさんは、ゆっくりと話し始めた。


「……悔しいじゃないかね。これでお前さんを行かせなかったら、アタシゃ度量の狭い女房だと思われちまうじゃないか! ……いいよ。せっかくの大将のお誘いだ。行っといで! アンタも立場ってモノがあるだろ? 仕方ないじゃないか。ただし、一回だけだよ!」


「……おっ母ぁ! ありがてぇ!」


ゲンさんは手を合わせ、拝むようにしておカミさんに礼を言う。


「やめとくれよ! 手を合わせて拝むなんて縁起でもないね! アタシゃまだ、死んでないよ! ……あれ、お前さん、どうしたんだい? 何かコッチの手だけやけに汚れているね? ちょっと見せてごらんよ」


「いや、これは、まだ、仕事の汚れが……落ちてねぇんだ! ……風呂入ってくらぁ」


ゲンさんは脱兎のごとく部屋から出ていった。次の日、ゲンさんは大喜びでリノスの許に礼を言いに来たのは、言うまでもない。



ゲンさんがおカミさんと戦っていた頃、リノスも、リコをはじめとする妻たちに、この日のことを報告していた。


「……と、いうわけなんだ」


「……」


説明が終わると、部屋の中に静寂が訪れる。ダイニングのテーブルには、リノスとゴンが並んで座り、他の家族は、その正面に並んでいた。まるで陪審員での裁判が行われているかのような状態だ。


「わかりましたわ」


その静寂を破ったのは、リコだった。彼女は一切表情を変えずにリノスとゴンを交互に見比べている。


「で、その色街に、リノスも行くのですか?」


「あ、いや……。俺は……」


「行ってらっしゃいな」


「え?」


予想外の言葉に、リノスは絶句してしまう。まさかリコが色街に行くことを許すとは思わなかったからだ。


「ゴン一人では心もとないでしょう? メインティア王は……まだお会いしたことはありませんが、手のかかるお人なのでしょう? リノスがいませんと……。いいのですわよ? 私には気を使わなくて。メイも、シディーも、ソレイユも、マトも、そして、フェリスも、ルアラも、ペーリスも、フェアリも、イリモも、ジェネハ、イトラも……みんな、リノスの立場は理解していますわ。どうぞ、お行きなさいな。行ってくださいませ」


「……いや、その、あのですね」


「私に気を使わないでくださいませ」


何が恐ろしいか。リコが全く表情を変えず、目が全然笑っていないのだ。リコだけではない、ここにいるシディーも、マトも、他の女たちも全員、目が笑っていない。そんな圧力の中、ゴンはずっと目を伏せ続けている。


「リノスもたまには、そうしたところに行って、気分転換をしてらっしゃいな」


「私も、いいと思います」


シディーが口を開く。マトカルはエリルを、メイはアリリアを抱っこしながら、ゆっくりと頷いている。フェリス、ルアラは一切表情を変えずにリノスを見ており、フェアリはペーリスの胸の中で、ゆっくりと羽を動かしながら、既におねむの状態になっている。


「いや……その……俺は……い、い、い、行きませんよ? 行くわけないじゃないですか。リコやメイや、シディー、ソレイユ、マトを置いて行きませんよ。やだなぁ、ハッハッハ」


「そんなに遠慮することありませんわ」


「いや、いい。俺は行かないよ」


「本当に?」


「ああ」


「……さすがはリノスですわ。では、その連中れんじゅうとやらは、ゴンが皆さまをご案内するのですね? ゴン、ご苦労ですが、よろしくお願いしますね?」


ようやくリコに笑顔が見えた。それに釣られるようにして、女たちの顔にも笑顔が戻る。張り詰めた緊張感が緩んでいくのが、リノスには、よくわかった。隣のゴンは、ただただ恐縮している。


「……やっぱり、あなたのお父上様は、素敵なお父上様ですわ」


膨らみ始めたお腹を愛おしそうにさすりながらリコは、嬉しそうに呟いている。


「ご主人……」


隣に座っているゴンが小さな声で呟く。


「ゴン、任せたぞ」


リコや女たちのうれしそうな顔を見ながら、リノスはあきらめたように呟く。目の前では、シディーとソレイユが、リコに先に風呂に入るように勧めている。そして、リコはマトカルに一緒に入りましょうと誘っている。


「リノス、一緒にお風呂に入りましょう。シディー、ソレイユ、すみませんが、エリルとアリリアをお風呂から上げてもらえるかしら?」


「はい、わかりましたー」


女たちはバタバタと動き出している。そしてリコは再びリノスに向き直る。


「さあ、リノス。一緒に入りましょう」


心から嬉しそうな顔を見せるリコの顔を見ながら、リノスはゆっくりと立ち上がる。そして、ゴンをチラリと見て、あきらめたような顔をしながら、口を開いた。


「ゴン、俺の屍を、超えて行け」


幸か不幸か、リノスのこの判断は後に、彼とアガルタにとって大きな利益をもたらすことになり、彼はリコに深く感謝することになる。しかし、そんなことはまだ知る由もない彼は、大きなため息をつきながら、屋敷の風呂に向かうのだった。

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