第二百三十六話 アガルタまでの旅路
まだまだ残暑の厳しさが残る朝、フラディメ国の首都、オービッゼでは50名の騎馬兵が、ゆっくりとアリスン城を出発した。それには2台の馬車を伴っており、表向きは、アガルタ国で開催される学会に参加するため、国の研究者を派遣するための護衛であると発表されていた。
しかし、その実は、馬車の中には国王のメインティア王と、その父であるリボーン大上王が乗っていた。国の王である二人が不在になるという事態だが、大上王は細心の注意を払って、自身が不在の間でも政務が滞らぬように準備を整えていた。
まず、大上王自身については影武者を用意し、政務については、全幅の信頼を寄せている宰相、アウッサイに任せることにしていた。この事情を知る者はごくわずかに限定し、情報が漏れないようにすることも忘れなかった。ちなみに、息子のメインティア王については、普段から国政を顧みなかったために、その不在は、全く問題にならなかった。
騎馬兵たちに守られた2台の馬車は粛々と街道を進む。当初、大上王は息子のメインティア王と膝を突き合わせて馬車に乗り、たっぷりと小言を言うつもりだった。しかし、王はその気配を察してか、出発前から仮病を使い、最後の最後まで城から出ることに抵抗した。仕方がなく、大上王と馬車を分け、なるべく二人が会わないようにすることで、ようやく彼の首を縦に振らせることが出来たのだった。
大上王とメインティア王の二人は、移動中でも、その行動は正反対だった。
大上王は、恐ろしく真面目な男であり、その性格は厳格を極めていた。彼はアガルタまでの道中を綿密に調べ、細かいスケジュールを立てていた。そして、国内を移動する馬車においては、その窓から見える景色をつぶさに観察し、国内の情勢を把握することに努めた。作物の生育状況はもちろん、窓から見える民の様子、挙句は、彼らの会話まで聞き取る努力までしていたのだった。そしてさらには、船での移動においては、名君らしく、船中で読書をすることを考えついた。
そのため彼は本箱を二つ作らせて、その箱に十五冊の政治書を詰めて持ち込んでいた。どの本も分厚いもので、重量は約40㎏にも及んでおり、それを家来に持たせて移動していたのだが、それを運ぶ家来たちは、一苦労だった。
彼は船内において、自分が見た国内の状況を分析し、その合間に、携帯した本を読みたいときに読んだ。揺れる船内も何のその。彼は心配された船酔いを一切起こすことなく、読書を楽しんでいた。お陰でアガルタに到着する頃には、相当な読書をすることができ、溢れる知的好奇心を大いに満足させることができた。
さらには、アガルタ国のガルビーに到着し、そこから都に向かうまでの道中も、彼は馬車の窓から国内を観察し、自国の発展に参考になるものがないか、目を皿のようにして探し続けたのだった。
一方で、息子のメインティア王は、父王を疎ましく思いながらも、マイペースでアガルタまでの道中を楽しんだ。
馬車の中では、移り行く風光明媚な景色を楽しみ、気が向けばその様子を絵に描いた。お陰で、アガルタの都に到着するまでの絵日記が出来上がる始末であった。船での移動においても、家来たちの配慮で、父王との接触は極力避けられ、乗船する時も下船する時も、互いが会わないようにする措置が取られていた。
そうした配慮もあり、旅自体は大きな問題が起こることもなく、比較的のんびりとしたものであったが、一つだけ、彼を苦しめたものがあった。女である。
アリスン城においては、昼となく夜となく数々の女と閨を共にしていた彼も、さすがに父王の目が光る中で、女性を伴って旅に出ることは出来なかった。馬車で移動していた2日間は、かろうじて我慢したものの、船での移動になったところで、彼は女性のいない空閨に耐えられなくなった。
幸か不幸か、彼には同性愛の趣味は全くなかった。父王が同性愛を蛇蝎のごとく嫌い、徹底的に弾圧していたのも影響していたのもあるが、ともかく彼は、女性だけを愛する男であった。
『……聞こえてくるのは荒波の音ばかり。いつも傍にいる美しい女もいない。一人で眠るのが寂しくて眠れない。その代り……月の光が私のベッドに入ってきた。今夜は、月を抱いて寝ることにしよう』
彼は仕方なく絵日記にこんな詩を書き添えて、その無聊を慰めた。
アガルタ国に入り、都までの道中で、一行は休憩を取ることになった。田園地帯が広がる小さな村での小休止。父王は相変わらずその生真面目さと厳格さを発揮して、まだ暑さの残る中、ひたすらに何かのメモを取り続けていた。炎天下の中、家来たちは大汗をかきながら父王の傍に控えている。メインティア王は、そんな固っ苦しい様子を見るのは息が詰まりそうで、苦手であった。彼は少ない供の者を連れて、木陰に腰を下ろすと、目の前に広がる田園の風景を楽しんだ。
ふと目を移すと、近くで田畑の雑草を摘んでいる女たちの姿が見えた。この暑さの中での作業であるために、女たちは素足をむき出しにし、胸を少しはだけたような格好をしていた。メインティア王の視線は、彼女たちの胸元に集中している。
「女たちが群れて雑草を摘んでいるね。でも、女たちの胸がこの暑さに蒸れて、汗の玉が光っているよ。何だか、かわいそうだね」
そんなことを呟くと彼は、紙と絵筆を取り出して、その情景をせっせと写生するのだった。
この父子がアガルタの都に到着したその日、迎賓館では、研究の発表会に先駆けて、参加者を歓迎するパーティーが開かれた。ここでも、父王と現王の差がはっきりと表れた。
こうしたパーティーでガツガツ食べるのは、行儀のよくないことであると信じる大上王は、予め食事を用意して、パーティーが始まる前に、腹をある程度満たしていた。粗食を旨とする大上王は、専ら野菜と魚をゆっくりと、少量ずつ食べることを良しとしており、こうした華やかな場で振舞われる贅を尽くした料理は苦手であった。従って、彼は少量の飲み物で喉を潤しながら、参加した学者たちの話に耳を傾けながら、彼らたちとの会話を楽しんだ。
それに対して現王は、次から次へと料理を平らげてその味に舌鼓を打ち、キョロキョロと落ち着きなく会場中を見渡していた。食事の給仕をしている侍女たちを物色しては、人間であれ獣人であれサイリュースであれ、気軽に口をきき、彼女たちとの会話を楽しんだ。
アガルタの食事は好みに合っていたようで、彼は誰が見ても明らかな程に、限界まで料理をその胃袋の中に詰め込んだ。さらにまだ食い足りない彼は、一旦嘔吐して、再び料理を平らげようと試みたが、さすがにこれには大上王が待ったをかけた。
そんな様子を、リノスは会場の隣の部屋に作られた、のぞき穴から見ていた。
パーティーの最中に彼が姿を現すと、参加した人々は気を使って料理に手を付けないだろうというリコのアドバイスで、彼はパーティーの最後に登場する段取りであった。まだパーティーの終了時間まで間があり、何も今、リノスがスタンバイする必要はないのだが、この日のメニューを考えたのはリノスとペーリスだった。この日初めてお目見えする料理やスイーツもあるため、リノスとしてはその反応が気になっていたのだ。どうやら参加者には好評のようであり、彼は胸を撫で下ろしていたのだが、その時、彼の目には珍奇な光景が目に入った。
色白で、なかなかの美男に見える男が、えずきながらも、何とかシュークリームを食べようとしている。その横で、小柄で、あばた面の厳めしい顔をした老人が、その手を掴んで止めさせようとしている。ものすごい形相で男を睨みつけている老人、その老人を、心底嫌そうな表情で顔を背けている男。一見すると、どこかの若旦那とそのお守役に見えるが、リノスは、それが手紙を送ってきた、フラディメ王国のリボーン大上王と、その息子のメインティア王であると察していた。
「ケッタイな父子だな……。何かまた、厄介ごとのニオイがするんだけどなぁ……。気のせいであれば、いいんだけどな」
そんなことを呟きながら、リノスはパーティーに登場するための準備を始めるのだった。




