第二百三十五話 名君とバカ殿
クリミアーナ教国の教皇神殿の地下には、『スークレイの書』という書物が所蔵されている。その部屋は厳重に秘匿され、結界によって守られており、教皇と数人の幹部のみが入ることを許される。
入室方法は、教皇を始めとする幹部たちがいつも左手にはめているリングであり、それが入出許可書になっている。これは、教皇およびその幹部が死去した時には次の代に引き継がれ、同時に、『スークレイの書』についても引き継がれる。
この書物は既に1000巻を超えており、今、ようやく現教皇、ジュヴァンセル・セインによって、1007巻目が書棚の中に収められた。真新しい紙で製本されたその書物の題名は、『アガルタ国』。ここ数年で建国された国であり、国力や軍事力、技術力などが急速に向上しており、その充実ぶりは、クリミアーナ教国としても捨て置けぬ存在になった国だ。そして、その最初のページには、教皇直筆でこのように記されている。
為政者:バーサーム・ダーケ・リノス(男)
人物評:邪神の手先。あるいはそれそのもの。全世界の仇敵。
リノスが読めば思わず笑ってしまうような内容である。言ってみればこの『スークレイの書』とは、いわゆる、この世界の国ごとに記された歴史書であり、クリミアーナが持つ世界一の情報網を駆使して集めた情報が、詳細に記されている書物なのだ。これこそがクリミアーナ教国の強さの一端であり、歴代教皇をはじめとする幹部たちは、王の崩御や即位、その結婚や出産、反乱や災害など、対象となる国に起こった事象を書き記し、新たな国が生まれれば新たに書を作りながら、次の世代に情報を引き継いできた。言い換えればこれは、恐ろしい手間暇をかけて作り出されたデーターベースなのだ。
これまで、建国されたり、滅亡したりした国々は数多あるが、その中で最も評価の低い為政者は、リノスであった。ぶっちぎりの最下位なのだ。その理由は言うまでもないが、その一方で、リノスに負けず劣らずの、低い評価を下された為政者がもう一人いた。フラディメ王国のメインティア王である。彼に下された評価は、こうである。
為政者:フラディメ・ロスカーノ・メインティア(男)
人物評:生まれながらの馬鹿。思慮分別なし。色情狂で文盲。
フラディメ王国は、リノスたちが住むアガルタ国から、船で5日、徒歩で2日の距離にある国だ。海と山に囲まれてはいるが、その領土は広大であり、そこから生産される食糧は豊富である。また、領民への教育は行き届いており、この世界では珍しく、どの身分の者でも学べる学校までが設立されているのだ。にもかかわらず、この国の王は、教国から最悪の評価を受けていた。
その理由は、この国をここまでの繁栄に導いたのは、前王であるフラディメ・ロスカーノ・リボーンであり、その息子たる現王は、ほぼ、何もしていないと言って過言ではなかった。
今年26歳のメインティア王であるが、彼が日々行うことと言えば、趣味の世界に没頭することだ。彼の趣味は大きく分けて三つあり、一つが女性、二つ目が芸術、そして、三つめが美食というものだった。
つまり彼は日々、女性と戯れながら、その合間に好きな絵を描き、そして美味いものを食らうという生活を送っていた。そのために政務は疎かになり、見かねた前王であるリボーン大上王が、隠居の身でありながら再び政務を執り、この国を維持しているのであった。
こうした王の堕落ぶりに、大上王の悩みは深かった。彼は稀に見る名君の誉れ高き男であり、幼少のころから数々の苦労を乗り越えて、現在の繁栄を手にした言わば苦労人であった。誰よりも人の恐ろしさと、その付き合い方の重要性を知っている男であるだけに、息子の放蕩ぶりは我慢がならなかった。
現在は堕落しているが、子どもの頃の彼は聡明で、将来を嘱望されていた。大上王をはじめとした家来たちはこれまで何度も彼の意識改革を試みたが、全て空振りに終わっていた。不幸なことに、大上王の子供は現王ただ一人であり、他に後継者がなかった。他国から養子を迎えようとも考えたこともあったが、そこは忠臣たちが断固として諫め、寧ろ王として即位させた方が、責任感が生まれるのではないかという意見を容れて即位させてみたが、彼の放蕩ぶりは、留まるところを知らなかった。
それどころか、即位した直後から彼は、後宮に次から次へと女を召し抱え、即位してから今までの8年間で、その数は50を優に超える。後宮に迎えた女たちが、王族や貴族の娘など、素性がしっかりしている者であればまだ、我慢はできた。しかし彼は、その王族や貴族から迎えた妻たちに仕えている侍女たちにも、手当たり次第に手を付けていた。
「いけません、おやめください王様、お許しくださいませ」
「よいではないか、よいではないか。ささ、参れ、参れ」
どこかの時代劇に出てきそうな場面であるが、アリスン城内では、こうした場面が日常茶飯事であった。王は自分の好みの女を見つけると、その手を掴み、自身の部屋に引きずっていった。そして、その女どもに産ませた子供が70人を越えるという事態にまで発展していたのだった。
彼の正室をはじめ、関係のある女たちは全て居城のアリスン城に住んでいたが、もはやそこは女の城と呼んで差し支えなかった。お腹の大きな女が常に歩いている状態であり、あちらにも、こちらにもメインティア王に似た子供たちが遊んでいるという光景がそこにはあった。
しかも、女が密集している城内においては、嫉妬心も渦巻けば怨念もたまる。側室の中にはヒステリーを発症する者もおり、扉を開けただけで、少し音をさせても錯乱状態になる女もいた。メインティア王は精力絶倫で無類の女好きであったが、反面、フェミニストの側面があった。
「では、扉に綿を付けたらいいよ」
お陰で扉の音は静かになったが、逆に彼は、大上王からの雨のような小言を食らうはめになった。
しかし、その小言も彼には届かなかった。そして、挙句の果てには、大上王が住む敷地の一部に精神を病んだ女たちの静養部屋と、併せて、その子供たちが遊ぶ場所を作りたいなどと要請してくる有様であった。ここに至って、大上王もついに堪忍袋の緒が切れた。
「私の孫は、誇り高き騎士の子である」
そう宣言したかと思うと、すぐさまメインティア王の住む城の向かいの馬場に、軍勢と魔法使いを集めて、早朝から暮れ方まで、猛烈な火力演習を行い、轟音を響かせた。
これで、大上王と息子のメインティア王との関係は、修復不可能なほどに崩壊した。
大上王は悩んだ。このままでは自分の死後、遠からずこの国は崩壊する。どうしてこうなったのか、彼には皆目わからなかった。悩んだ末に、彼の脳裏に一人の男の名が浮かび上がった。
アガルタ王・リノス。
わずか数年の間に、乱れていたジュカ王国を再興しただけでなく、その類まれな手腕で、キリスレイとルロワンスという、人類をもっとも苦しめた原因不明の伝染病を撲滅に導いた。それだけでなく、世界で最も恐れられているクリミアーナ教国とその教徒に堂々と渡り合い、ついにその干渉を退けた男。
フラディメ王国も、それまではクリミアーナ教国を受け入れ、支援も受けていたのだが、息子が即位して以来、教国とは急速に疎遠になりつつあった。一方で学問好きな大上王は、リノスが提唱した有志の国が集まって、伝染病撲滅の研究機関を作ることに賛成し、研究者を派遣していた。そして、ちょうど3か月後に、その研究の発表会が行われることになっていた。
「……アガルタ王に相談をしてみよう」
苦虫をかみつぶしたような顔で、大上王はつぶやく。既に自分は老いている。生きられるとしても、あと数年だろう。自分の目の黒いうちに、この国の行く末を確かなものにしておきたい。そう思った彼の行動は、早かった。
「宰相のアウッサイを呼べ」
彼は宰相を呼び出すと、3か月後にアガルタの医療研究所にて開催される、研究発表会に参加すること。そして、そこに現王メインティアも連れていくことを告げた。大上王と王が襲われると、確実に国が亡びる危険な旅である。しかし、大上王はその危険を冒してでもアガルタに行くことが、現在の問題を解決に導くだろうと直感していた。もしかしたら、彼や彼の妃は、息子を改善させる何かを知っているかもしれない。何の根拠もない思惑であるが、大上王は自分の直感に賭けることを選択したのだ。
彼は、道中の警備体制について万全を期すように宰相に命じ、すぐさまアガルタ王・リノスに向けて筆を執った。
『親愛なるアガルタ王・リノス殿。貴国の医療研究所における研究発表会の招待、大変にうれしく思っております。是非、参加させていただきたく筆を執りました。私を含め、現王である我が愚息も伴って、貴国にて知的好奇心を満たしたいと思います。なお、大変不躾ではありますが、アガルタ王と一度、ゆるりと話を致したく、会談の機会を設けていただけると幸いです。よろしくお願いいたします』
少々遜り過ぎの気がしないでもないが、ここはなりふりを構ってはいられない。彼はその手紙を封筒に入れると、厳重に蜜蝋を施し、使者にそれをリノスの下に届けさせた。
隠居館の窓から見えるアリスン城を、大上王は鋭い目で睨みつけていた。




