第二百三十三話 族長命令
「イヤです!」
「まあ、そう言わずにだな……」
「イヤなものはイヤなのです!」
プリプリと怒っているのは、ローニだった。彼女の長い耳が横にゆっくりと揺れている。これは怒っている証拠だ。ちなみに、彼女の心の動きは全て、その耳に現れる。耳がクルクルと回るように動くときは、何かを考えているときであり、お腹がすくと耳がフニャフニャになる。その他も色々とあるのだが、それはここでは割愛する。とにかく今、彼女は怒っているのだ。
「ローニ……」
呆れたような声を出しているのは、チワンだ。腕を組みながら、ローニを睨みつけている。
「何も今すぐ結婚しろというわけではない。お前に一度会いたいという人がいるから、会ってみたらどうだと言っているだけだ」
「私はイヤです。とにかくイヤなのです」
「ラバデ王国の研究者だ。非常に優秀な男だぞ? しかも次男坊だ。本国に帰る必要も、家を継ぐ必要もない。もし、この話が進めば、アガルタに骨を埋めてもいいとまで言っているのだ。めったにいないぞ? こんな男は」
「長男だろうが八男だろうが関係ありません。繰り返しになりますが、私は結婚する気はありません!」
「お前なぁ、断る俺の身にもなってくれ」
チワンが嘆くのも無理はなかった。優秀な研究者であるローニには、いくつかの縁談が持ち込まれていた。同業の研究者はもとより、貴族、王族、果てはサンダンジ王までが、正式にローニを妻に迎えたいと打診してきていたのだ。しかし彼女は一度も相手と会うこともなく、全ての縁談を断っていた。
「とにかく私は、イヤなのです」
「気持ちはわからんでもないがローニ、一度くらい会ってから決めてくれ。それとも、誰か心に決めた人でもいるのか?」
「いえ……。それは……い、い、い、いません」
「……ローニ、リノス様だけは、絶対にダメだからな?」
「ありえません」
「リノス様じゃないのか?」
「そんなわけありません。私だって、そこら辺の分別はあります。むしろ、リノス様のご家庭に波風は立てたくありません。あのご家庭が壊れると、私は飢え死にしますから」
「お前……。リノス様のお屋敷をレストランか何かと間違ってないか?」
「そんなこと思うわけないじゃないですかーやだなーハッハッハ」
「……とにかく、一度会え」
「めんどくさいですね……」
「心の声を口にするなと昔から言っているだろう! ローニ、これは族長命令だ。相手は俺の恩人の知り合いなのだ。俺の顔を立てて一週間後に一度、相手と会ってくれ」
「全く、人を呼び出しておいて、また縁談ですか。いい加減にしてほしいです……」
なぜ自分の結婚を他人にとやかく言われなければならないのか。ローニはプリプリと怒りながら研究所の長い廊下を歩く。そして、勢いよく部屋の扉を開くと、そこはメイとグラリーナが実験データをまとめているところだった。
「すみません、遅れました」
ぴょこんと彼女はお辞儀をする。メイは笑顔を返してローニを迎える。グラリーナは相変わらずいつもの微笑を湛えて、ローニを見ている。ローニの気配を察してか、メイが声をかける。
「チワンさん、大丈夫でしたか?」
「やっぱり、縁談でした。お断りしたら、怒っちゃいました」
「あらあら、それは、大変でしたね」
鷹揚に声をかけているのはグラリーナだ。彼女はゆったりと立ち上がって、ローニに椅子を用意する。
「結局、相手と会うことになりました」
「それはよかったですね」
グラリーナの、ノホホンとした口調が、ローニの癪に障った。彼女はできるだけそれを悟られないようにしながら、口を開く。
「なにがいいものですか。どうせ、私を通じてメイ様やリノス様に近づこうとしているのです。そんな野心のある方との結婚など、まっぴらです」
「そうなのですか?」
メイが思わず尋ねる。
「そうに決まっています。本当に私を愛しているのであれば、なぜ私に直接言わないのですか? チワンさんを介して頼むなど……私は気に入りません」
「でも、一度会ってみてはいかがですか? 意外とローニさんに合う人かもしれませんよ?」
「メイ様、相手は次男坊なのです。次男坊は家を継ぐことはできませんから、自分の力で家を立てる必要があります。そのお方の魂胆は見えています。私と結婚し、アガルタ研究所に入り込み、ここで家を立てるつもりなのです」
「そうかしら? 私はそうは思えませんが……」
メイが首をかしげる。
「そのお方、何となくですが、とってもいい方ではないでしょうか」
そんなことを言っているのは、グラリーナだ。彼女はいつの間にか用意したお茶とお菓子を、トレイの上にのせて立っており、ゆったりとそれらをテーブルの上に置いていく。
「せっかくなのですから、一度、会ってみてはいかがですか? イヤなら断ればいいのです」
グラリーナの言葉にメイも頷く。
「そうですよ、ローニさん。まさかイヤがるローニさんを無理やり結婚させようとするチワンさんではないと思います。もし、そうなれば私とリノス様が間に入りますから、安心してください」
「ハイ……」
ローニは渋々ながら頷いた。そしてしばらく実験結果の確認を行った後、ローニは懐妊中のリコの診察に向かうために、メイと共に帝都の屋敷に転移したのだった。
「……私も、メイの言う通りだと思いますわ」
リコは診察が終わり、自分の衣服をあらためながらローニに口を開く。
「やはり、そうでしょうか……」
「人は会って見なければわからない所もありますわ。たとえ望まぬ出会いだったとはいえ、こうやってローニと会いたいと言ってくれているのですから、何かの縁があるかもしれなくてよ?」
「はい……」
「まあ、決めるのはローニですわ。本当にイヤなら断ればいいのです。私はどちらを選んでもローニを応援しますわ。大丈夫です。安心なさいな。さあ、このお話はおしまいにして、夕食を食べましょう。今日はリノスがギョーザを作ると言っていましたわ。ローニも一緒にいかがかしら?」
「お言葉に甘えさせていただきます」
ダイニングに降りると、リノスは大きな鍋を振るって、チャーハンを作っているところだった。彼は大皿にチャーハンを盛り付けて、ダイニングのテーブルに置く。美味しそうなニオイが漂ってくる。
「おおローニ、リコはどうだった? 大丈夫か。それはよかった。メシ食っていくだろ? そう言うと思って今日は多めに作っておいたんだ。チャーハンにギョーザにからあげ、サラダ、そして豆腐というメニューだ。今日はバイキング形式にするから、好きなだけ食って帰ってくれ」
リノスが喋っている最中にも、大皿に盛られた大量のギョーザとからあげ、チャーハンなどが運び出されてくる。それを運んでいるのはフェリスとペーリスだが、二人とも到底女一人では持てない程の量を満載した大皿を、片手で持ち上げている。それを見ていると、自然にローニのお腹の音が鳴ってくる。
そして、いただきますの言葉と共に、ローニは料理を平らげていく。美味しい。どれも実に美味しい。これだからリノス家の訪問はやめられないのだ。この日は、サンダンジ国から贈られたという酒も出されており、調子に乗ったローニは、それも勧められるままに飲み、その酒の美味さも手伝って、すこぶるゴキゲンな仕上がりになった。
「で、ローニ、お見合いするんだって?」
デザートのお饅頭を食べているときに、出し抜けにリノスから質問が飛んできた。もう何度目の質問だろう。正直、答え飽きた。彼女は酔いも手伝って、必要最低限の答えを返す。
「会います。で、決断します」
「え? そうなの?」
「はい、すぐに決断すると思います」
「そうか、それはよかった。でも、相手は人間なんだろ? ポーセハイと人間が結婚したら、お前たちの転移能力はどうなるんだ?」
「問題ありません。基本的に、相手が誰であれ、ポーセハイが子供を産むと、その子供はポーセハイで産まれてきます。男性の場合は、半々の確率でポーセハイが生まれます」
「へぇ~何とも不思議な種族なんだな。ということは、ローニが人間と結婚しても、生まれるのはポーセハイなのか」
「ハイ、その通りです」
「そういえば、ローニはいくつだっけ?」
「25歳です」
「ああ、もうそんな年だったのか。もっと若いと思っていたが……。その年なら、自分で決められるな」
「はい、決めまして、またご報告に参ります」
「ああ、楽しみにしているよ」
リノスとの会話もそこそこに屋敷を辞したローニは、そのまま自分の部屋に転移した。ベッドに入った彼女は、久しぶりに満ち足りた感覚のまま、深い眠りにつくのだった。
もう一話続きます。次話「憧れの人」は7/14(金)9:00に公開予定です。