第二百三十二話 不治の病
ヴィエイユたちがアガルタを去った後、リノスたちは平穏さを取り戻していた。リノスは相変わらずアガルタと帝都を往復して、クリミアーナの動きに注意を払いつつ、政務に励んでいた。
リコはこれまで通り娘たちの育児を担当し、メイは研究に没頭していた。アガルタの医療研究所は、キリスレイとルロワンスの感染経路を発見したことと、その予防薬と特効薬を作り出したことで、その名声は世界中に轟きつつあった。その上、そうした薬を惜しげもなく無料で世界中の国々に配布したため、研究所、ひいてはそこを率いるメイの名声はいやが上にも高まった。現在ではメイは「聖女」や「大賢者」と呼ばれ、世界中の研究者から尊敬を集めている。
ほとんど採算度外視で活動しているように見えるこの研究所だが、実は資金は非常に潤沢であり、それは各国からの莫大な寄付金によって支えられていた。なぜ、莫大な寄付が集まるのか? アガルタと敵対する、とりわけクリミアーナ教国とその属国からは、何らかの黒い取引があると吹聴されているのだが、実際は、寄付額に応じて開発した薬や、建設された建物や部屋にその国や王の名前を付けるという取り組みをしており、いわゆるネーミングライツの制度を導入しているのが、その理由だった。これは、サンダンジ王のニケがキリスレイの予防薬を贈られた礼として、莫大な金貨をアガルタに送ったことにはじまる。
当初、リノスはこれを固辞しようとしたが、ニケはどうしても譲らなかった。仕方なくその金貨で、研究所の別棟を建築し、そこで、様々な病気の特効薬の開発を試みた。そして、さらに効果の高いキリスレイの特効薬が開発されると、リノスたちはその薬に「サンダンジ」と名付けた。その後、この名前は研究者や薬師などを通じて世界中に知られることとなり、サンダンジ国はキリスレイが蔓延する国というマイナスイメージから脱却できたのだった。こうした広告力に目を付けた各国は、こぞってアガルタ医療研究所に寄付を行い、自身の国家イメージの向上を狙ったのだ。
こうして潤沢な資金を得た研究所では、現在はもっとも治癒が難しいとされるガイッシャの研究に全力を挙げると共に、研究所付属の病院を拡大し、多くの患者を受け入れつつ、医療技術の向上を目指しているのだった。
そして、秋も深まり、間もなくリノスの誕生日を迎えようとしていたある日、彼は思い立っておひいさまの下に出かけていった。クリミアーナ教国との戦いでは、彼女たちとは疎遠になっていた。もちろん、お供えはきちんとしていたのだが、なかなか豊富なバリエーションをお供えすることが出来ていなかったために、今回は、新たに作った新製品を携えて、そのお披露目もかねて訪問したのだった。
「おお、久しいのう」
リノスの姿を見ると、おひいさまは目じりを下げる。彼がやってくると、必ず何か美味なスィーツを持ってくるために、彼女はその訪問が楽しみでならなかった。
「お久しぶりです、おひいさま。今年はお願いばかり言ってすみませんでした。また、新しいお菓子が出来ましたので、お持ちしました。お口に合えばよいのですが……」
そう言って彼は、手に持っていた長方形の紙包みを広げていく。そこから黄金色の、美しい菓子が現れた。
「カステラ、というお菓子です」
「ほほう。かすてら、とな。苦しゅうない。千枝、左枝、これへ持て」
しずしずと二人の女官がおひいさまの下にカステラを運んでいく。彼女はそれをカットすることなく、まるでバナナを食べるかのように平らげてしまった。それを傍で見ていたサンディーユは、眉間に皺を刻みながらリノスに尋ねる。
「リノス殿、あのお菓子は、あのように一口で平らげるものなのであろうか?」
「いや……。本来は一口大に切り分けまして、少しずつ食べるものなのですが」
「そうであろう、そうであろう。おひいさま、そのようなはしたない食べ方は……」
サンディーユがいつもの小言を言おうとした時、突然おひいさまの絶叫が響き渡る。
「何と! これは美味なるものじゃ! 美味であるぞよ! わらわは気に入ったぞ! これもお供えするのじゃ! たんとお供えするのじゃ! あ、ゆめゆめサンディーユには供えるでないぞよ」
「おひいさま!」
「ええい、黙りゃ! ……うん? そなた、称号が減っておるのう。そなたのスキルは多すぎて目がチカチカするが、少しはスッキリしたようじゃの」
「え? 称号が減っていますか?」
リノスは慌てて自分に鑑定を発動させる。
人心収攬:加護LV5 教養LV5 結界魔法LV5 気配探知LV5 魔力探知LV5 回避LV5 洞察LV5
人心収攬……周囲の人間同士に強い信頼関係を生む。
おお! いくつかの称号がなくなっている。そして、新たな称号が加わっている。どうやらカンストスキルがまた、統合されたようだ。新しい称号は、どうやら信頼関係を構築するスキルであるらしい。
「どうやら、関わる者たちの間で信頼関係が築かれるのじゃな。しかもそれは、MP量に比例するようじゃ。そなたの場合はMPがほぼ無尽蔵じゃ。そのために、アガルタの国に生きる者たちの大半は信頼関係で結ばれるようじゃな」
「何か、ドえらいスキルですね……」
「人の心は弱いものじゃ。いくら強力な魔法や武器を持っていても、信頼関係がなくては簡単に滅びる。そういった意味では、人の心をつなげる効果があることによって、そなたのスキルは結界以上の防御力を持つのやもしれぬな」
「結界師としては、最高のスキルだと思います」
いつの間にか、ものすごいスキルを手に入れてしまっていた。自分を含めて、その仲間たちが強い信頼関係に結ばれるというのは、最高じゃないか。アガルタの国民が、クリミアーナの教義や布教に全く興味を示さなかったのは、もしかしたら、俺のこのスキルが影響していたのかもしれない。
おひいさまには丁寧に礼を言って、その場を後にする。そして、ペーリスにカステラの量産をお願いしなければと思いつつ、帝都の屋敷に転移すると、裏口の扉が少し開いていた。何とも不用心だ。結界で守られているとはいえ、こういう気のゆるみはいけない。俺は屋敷の人間を少し驚かせようと、抜き足、差し足、忍び足で屋敷の中に入る。すると、ダイニングから女たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。
「……が、この薬です」
「感謝しますわ。もうあんな苦しい思いは、二度としたくありませんから……」
「ご安心ください。メイ様と私が十分注意して作りましたので、体に一切の負担はないはずです」
「ローニ、ありがとう。くれぐれも、リノスには秘密にしておいてくださいな」
「畏まりました」
「余計な心配をかけたくないのですわ」
「リコ様、大丈夫です。私とローニさんで、全力でサポートしますから」
「メイ、ローニ、迷惑をかけますわ」
「大丈夫です。お渡ししたお薬は、ジャスロの実に似せてあります。毎朝起きられた時に、一錠飲んでください。水も何もいりません。周囲の人は単に口内の洗浄をしているように見えますので、何の違和感もないと思います」
「ありがとう、メイ、ローニ。必ずお礼はしますわね」
「いいえ、私たちは、リコ様に苦痛なく過ごしていただければ、それでよいのです……」
背中に冷たい汗が流れ落ちる。どう考えても健康な人間がする話じゃない。何でわざわざジャスロの実に薬を似せる必要がある? そもそも何で薬を飲むことを、俺に隠さなきゃいけないんだ? あんなに苦しい思いって何だ? リコの体に何が起こっているんだ……?
俺は一旦コッソリと外に出て、深呼吸をする。そして、気合を入れ直して再び屋敷の中に入る。ここは、きちんとリコに説明してもらわなきゃいけない。
「……あれ?」
屋敷の中には誰もいなかった。さっき聞いたあの話は、幻か?
「あれ? どうされたんですか?」
「うおっ! ペーリスか……。おかえり」
ペーリスに怪訝な顔をされてしまった。そんなことをしているうちに、フェリスやルアラ、ゴンたちが帰ってくる。そして、ゴンからクリミアーナ教国に新たな動きがあったと報告してきたために、色々と打ち合わせをしていると、メイがアリリアを連れてダイニングに入ってくる。
「とうたーん。だっこー」
「うおおおーい、アリリア~おいで~」
……こうして、気が付けば、いつもの賑やかな夕食タイムになってしまっていた。
この日はローニも一緒に夕食を食っている。どうやら、リコたちと子供たちの検診に来たらしい。ということは、さっきの話は幻ではない。しかし、この場で聞くのはちょっと憚られる。それに今の彼女は、一心不乱にロアーグ魚を食べている。鯛のような上品な味わいの白身魚だが、彼女はこの塩焼きを気に入っていて、一匹丸ごと、それこそ、気持ちがいいくらいに食べている。頬肉が美味しい、眼肉が美味しいと目玉までくりぬいて食べ、それだけに飽き足らず、骨についた身も丁寧にほぐして食べている。
俺はその食いっぷりに感心しつつ、ローニに話しかけるタイミングを図っていたのだが、なかなかそのチャンスは訪れず、俺はなし崩し的に、娘二人と共に風呂に押し込まれてしまった。
元気な娘たちに振り回されながらそれぞれの体を洗い、やっとのことで風呂から上がる。ようやく一息ついたところに、今度はソレイユが部屋に入ってきた。そういえば、今日は彼女の日だったのだ。俺はリコに事情を聴きたいと思っていたのだが、ソレイユは俺の気持ちを知ってか知らずか、早々と俺からマウントを取り、まるで襲うかのようにして俺の体を蹂躙していった。
そして、次の日の夜、ようやくリコと二人っきりになれた俺は、意を決して彼女に事情を尋ねた。
「リコ、聞きたいことがある」
「何ですの?」
「リコの体のことだ」
「……もしや、気が付いていましたの?」
「……」
「ちょうどいい機会ですわ。リノス、今日はダメだと言おうと思っていたのですが、今日からしばらく……リノスのお相手は、できそうにないのですわ」
「リコ、どういうことだ? ……そんなに、悪いのか?」
「いえ……。メイとローニに薬を作ってもらったので、今は大丈夫ですわ」
「どうして早く言ってくれないんだ! よし、回復魔法をかけよう。ちょっと待ってろ」
「無駄です。やめてくださいませ」
「無駄?」
「ええ、無駄ですわ。回復魔法で治癒できるものではありませんわ」
「リコ……まさか……」
「ええ、そのまさかですわ」
「……メイでも……ローニでも……治癒できない不治の病に罹ったというのか!」
俺は思わず大声を出していた。リコは目を丸くして驚いている。
「不治の病……? 何の話?」
「回復魔法で治癒できないんだろう?」
「リノス……。違いますわ。……私は……これですわ」
リコは俺の手を取り、そのまま自分の腹に俺の手を当てる。
「え? これって……」
「ええ。懐妊したのです」
「懐妊!? え? え? え? ウソ? マジで?」
「まだ、二か月目に入ろうとするところのようですわ。リノスにはもう少し落ち着いてから話そうと思っていたのですけれど……。今度は、男の子を生んで見せますわ」
「リコ! リコ! リコ! リコぉぉぉぉぉ」
思わずリコを抱きしめる。だが、強く抱きしめすぎたためか、リコが痛い痛いと言ってしまった。思わず俺は体を離す。
「リノス、赤ちゃんが潰れてしまいますわ」
「ゴメン……。でも、何でメイとローニに薬を作ってもらう必要があるんだ? つわりか?」
「懐妊すると……その……出なくなりますから……」
「ああ……あれか。……確かに、そうだったな」
「体に負担はかかりませんし、今のところ順調ですから、心配はありませんわ」
「リコ……。体を大事にしてくれな。元気な子を産んでくれよな」
「はい、大丈夫ですわ。きっと、元気な子を産んで見せますわ」
リコは満面の笑みを浮かべる。ヤバイ、マジでかわいい。めちゃくちゃカワイイ。
「本当に、本当にうれしいよ。マジで神様に、神様に感謝だな」
……ささやかですが、あなたへのお礼です。ありがとう
「うん? 何か言ったか、リコ?」
「いいえ、何も言いませんわ」
「あれ? なんか声が聞こえた気がするんだけどな……。まあ、いいや。それにしても間抜けだな俺は。リコの妊娠に気が付かなくて、不治の病に罹っていたと思い込むだなんて……。いや、申し訳ない。申し訳なかった」
頭をガリガリ搔きながら謝る俺に、リコはニコリと笑いながら、口を開く。
「いいえ。実は私は、死ぬまで治らない病を患っているのです。リノスの言うことは、当たっていますわ」
「えっ!? マジで!? その病気って……何?」
俺はベッドの上で正座して、ゴクリと唾を吞み込みながらリコに尋ねる。その様子を見て彼女は、再びそのかわいらしい顔に笑みを湛える。
「それは……恋の病ですわ。私は、死ぬまでリノスに恋するのです」
「リコ……」
リノスは再びリコを抱きしめた。今度は宝物を抱くように、やさしく抱きしめた。そして、このリコという宝物を、死ぬまで守っていこうと、強く心に誓うのだった。




