第二百十六話 そして、心は折れていく
ヴィエイユはしゃくり上げるようにして泣いている。豪華な金糸で刺しゅうされた真っ白い衣装が、ぬかるんだ地面に膝をついているために、もはや見る影もなく汚れきっている。さらに、所々に見える黒いカビが、この少女の哀れさを引き立てていた。
リノスはゆっくりとしゃがんで、蹲っているヴィエイユに何やら囁いている。その直後、彼女はガバッと顔を上げ、リノスの目を見ながら小刻みに首を左右に振る。
「それが出来ねぇなら、クリミアーナ様に救ってもらいな?」
そう言ってリノスは踵を返そうとする。
「待って!待って!わかりました!わかりましたから!」
再びヴィエイユの絶叫が響き渡る。その声を聞いてリノスは再び向き直る。ヴィエイユは体を小刻みに震わせながら、絞り出すようにして話し始める。
「わ……我々が信じていました……クリミアーナ様は……。我々に……ご加護を……与えませんでした。私……ジュヴァンセル・ヴィエイユはこれから……アガルタ王、リノス様に、絶対の忠誠を……お誓い申し上げます」
そう言うとヴィエイユはその場で泣き崩れた。
「いいだろう、ヴィエイユ。お前を救ってやろう。ついて来い」
リノスはヴィエイユを通り過ぎて、ロッジに入っていく。そして彼女は、ゆらゆらと亡霊のように立ち上がり、呆然とした表情でリノスの後ろをついていく。
「姉さま……」
心配そうに声をかけるカッセルに一瞥もくれることなく、ヴィエイユはリノスに続いてロッジに入っていった。
それから、ほんの数分のことであった。リノスがヴィエイユを抱きかかえるようにして、ロッジからでてきたのだ。
「姉さま!ヴィエイユ姉さま!おい!姉さまに何をしたんだ!」
ゆっくりとロッジの階段を下りてくるリノスに向かって、カッセルが噛みつくように言葉をぶつけてくる。
「バカ野郎。よく見ろ」
リノスはカッセルにヴィエイユの姿を見せる。
「姉さま!斑点が……!」
これまでヴィエイユの顔を醜くしていた紫色の斑点はキレイに無くなり、彼女は元の美しい顔を取り戻して、やすらかな寝顔を見せていた。
「メイ!ローニ!チワン!」
リノスの呼びかけに、クリミアーナの信者たちの後ろから三人が現れる。
「ヴィエイユを頼む。おそらく治癒しているとは思うが、一度、調べてみてくれ」
チワンがヴィエイユを受け取り、村の外に運んでいく。村人たちは固唾をのんでヴィエイユが運ばれていくのを見守っていた。
「クリミアーナの教徒諸君!」
不意にリノスの大声が響き渡る。全員の視線がリノスに注がれる。
「今見た通り、どこまで治癒できるかはわからんが、ルロワンスの特徴である紫の斑点を除去することはできる。数か月前、同じような症状を持った人間にもやってみたが、今のところそいつらは死んでいない。助けてほしいヤツは、助けてやる。その代り」
そこまで言ってリノスは言葉を切って、周囲を見回す。教徒たちの顔が凍り付いている。
「お前たちが信じるクリミアーナ様は、お前たちを救わないことを認め、そして、俺に絶対の忠誠を誓うことが条件だ。そりゃそうだろ?俺は、お前たちの命の恩人になるんだからな。礼を返すというのは、当然のことだよな?それが受け入れられないヤツは、そのままでいろ。悪臭漂うこの土地で、カビだらけの部屋に住み、食料もなく、病死するか餓死するかを選べばいい。俺は無理強いはしない。ただし、俺に忠誠を誓うというのであれば、最低限の生活は保障しよう」
教徒たちが騒めいている。後ろの方では小競り合いも起きているようだ。
「まあ、俺にも時間はないからな。三十分だけ時間をやる。その時間以内に決めろ。誰か!マトカルを呼べ!マト!どこだ!」
俺の呼びかけにマトカルがすぐさま姿を現す。
「マト、将軍たちは今、休憩中か?…全てのテントに伝達はできたんだな?よし。では、三十分後に全員を森の入り口に集合させてくれ。俺に従う教徒たちを護衛するからな。あ、そうだ。将軍と、数名は俺のところに寄こしてくれ。うら若き女性はエスコートしなきゃならんからな」
「承知した」
そう言ってマトカルは森の奥に消えていった。
リノスは村に到着してすぐ、ヴィエイユを眠らせた。そして、すでに眠っていたカッセルも共に、二人に考えうる限りの、極上の快適を感じる夢を見る結界を二人に張った。その後、ラファイエンスたちに命じて、病人がいるテントやロッジに、今の病気が治るかもしれない、すぐにヴィエイユのいるロッジに行くようにと伝えさせた。彼らは大声でそのことを伝えるのと同時に、外に出ていた信徒たちに、家族や友人に伝えてもらうよう協力を仰いだのだった。それは意外なほどすんなりと受け入れられ、数時間後には夥しい信徒がロッジの前に集まっていたのだった。
リノスが村人たちに決断を迫ってから、ちょうど三十分後、ロッジの前に残ったのは、およそ五百名にも及ぶ信徒たちだった。リノスは彼らを、限界まで収容できる五十名をロッジの部屋に入れ、全員でヴィエイユの誓いと同じ言葉を大声で言わせた後で、アルティメットヒールをかけた。彼らは壁を向いて並ばせ、その列の一番後ろでリノスが呪文を唱えることで、ネタがばれないようにすることも忘れなかった。
リノスに忠誠を誓った約五百人の信徒たちは、ラファイエンスたちの誘導で、森を出て三十分ほど歩いた地点に移動していった。ここには依然、ラマロン軍を撃退した時の部隊が野営に使った場所があり、現在でもそこはアガルタ軍の野営訓練地になっており、そこに新たに結界村を作って彼らを収容したのだった。
そして、リノスとメイ、チワン、ローニ、イリモとマトカルは、村の外に出ると一旦、都の執務室に転移した。リノスはマトカルに食料の用意と、それが整い次第、兵士を連れて結界村に向かうように指示を出した。
そしてすぐさまリノスたちは、メイと共に会議に入った。
「どうだった、メイ?」
「はい。おそらく、あの環境がルロワンスの原因の一つだと思います。もう少し詳しく調査してみないとわかりませんが、ご主人様が鑑定いただいた患者の状況と突合させて、もう一度調べたいと思います」
メイの目が輝いている。その様子を見てチワンが口を開く。
「あくまで私見ですが、ルロワンスの原因は、彼らの衣服に付着しているカビも大きな原因ではないかと思います。その点も詳しく調べたいと思います」
「ああ、わかった。チワン、ローニ、よろしく頼む」
二人はピョコンと頭を下げた。
「明日はソレイユも連れて調査に行こう。あとは……命乞いをしてくる信者も救ってやるかな?」
「リノス様が治癒した信者も、一度調査したいと思います」
「ああ、ローニ、そうしてくれ。そこから何か掴めるかもしれんからな」
「リノス様、食料の準備と出陣の準備が完了しました」
「おおマト、さすがに早いな。わかった。先に食料を転移させてしまおう」
俺は救援物資が準備されている食糧庫の地下に向かい、結界村を作る際に、あらかじめ作っておいた、外からは見えない仕様になっている貯蔵庫結界に向かって、物資とともに転移する。一瞬でそれは完了し、俺はそこから出てアガルタの兵を探し、彼に貯蔵庫に食料を運んだことを伝える。そして再び貯蔵庫に入り、そのままアガルタの都に転移した。
俺の帰還を確認するまでもなく。マトカルは結界村に向かって移動を始めたという。俺はその報告に満足して、執務室で残務の処理に入った。
夕方、帝都の屋敷に帰ってくると、エリルとアリリアが俺を迎えてくれる。彼女たちの笑顔が俺を癒してくれる。二人を抱っこしてダイニングの中をうろうろしながら、マトカルは今日は帰らないと告げ、夕食を待った。
そして夜、風呂から上がり、寝室に入るとリコがいた。
「あれ?リコ、エリルは?」
「メイが預かってくれていますわ」
「ああ、だからメイと一緒に風呂に入っていたのか」
「リノス、話があるのですわ」
いつになく真剣な表情で話しかけてくる。
「どうしたんだ?」
「今日……クリミアーナの村で、ヴィエイユという小娘を抱いたとメイから聞きましたわ。一体どうゆうつもりなのです?」
リコの気配がいつもと違う。これは真剣に怒っているときの雰囲気だ。
「いや、違っ、リコ!違う違う!抱いたというのはそういうことじゃない。お姫様抱っこをだな……」
「お、お姫様抱っこ!? ……わかりましたわ。皆までおっしゃらなくてけっこうです新しい妻を娶ろうとお考えなのですね?それについては私は反対する気はございませんがそういうことはなぜ最初に仰っていただけないのですこちらとしても準備というものがございますわところで新しい妻とされる方はどのような方でしょうかお聞かせいただけまして?おいくつ?どちらのご出身?どのようなスキルをお持ちで?いやむしろどこでお見染めになりまして?いや言いたくなければよろしいのですよただちょっと聞きたいと思っただけなのですわ」
「リコ!リコ!待ってくれ!違う!待ってくれ!」
俺は必死でリコを抱きしめる。彼女は肩で息をしながら小さい声で呟く。
「おひめさまだっこ……おひめさまだっこ……」
俺は無言でリコをお姫様抱っこをし、優しくベッドに運んだ。そして、まだ何か言おうとしているリコの唇を、俺の唇で塞いだのだった。




