第百八十一話 救世主はお腹を空かせて現れる
メイが戻ってきた。俺の胸に顔をうずめて泣いているメイを俺は強く抱きしめた。そしてようやく落ち着いたメイは、同じようにフードを被っている人たちのところに行き、何やら話をしている。
しばらくしてメイは、フードを被っている三人を連れて俺のところに戻ってきた。
「ご主人様・・・。囚われていた方々です・・・」
メイの声を聞いて三人はゆっくりとフードを取る。三人とも女性の羊獣人だ。そのうちの一人はかなり若い。
「君は・・・まだ子供だな?いくつだい?」
「13歳です」
「こんな子供まで連れて行こうとしてたのか、ヤツらは・・・」
怒りが沸々と湧き上がってくる。聞くとこの少女は教会が開設している孤児院にいたらしい。そこには人間をはじめ、獣人たちも居たそうなのだが、先日、突然猫獣人と犬獣人が追い出され、自分は教会に閉じ込められたのだと言う。あとの二人は教会で住み込みで働いていた人たちなのだという。この人たちもいきなり部屋に閉じ込められ、何の説明もなく連れ出されたらしい。この二人は何も事情を知らされておらず、メイの話を聞いて、ショックを隠し切れない様子だった。
「さすがに、このままにしておくのは、彼女らは危険だよな・・・」
俺は彼女らを連れて、ガルビーの防衛軍の詰め所に向かった。そして、現在ガルビーの管理を任せているクラフトに彼女たちを預けた。
「事情は後で説明するが、羊獣人、猫獣人、犬獣人、狼獣人たちが助けを求めてきたら、必ず保護してやってくれ。空いている兵舎があるだろう。そこに匿ってやってくれ」
クラフトは即座に部下に命じて、獣人たちの保護に乗り出した。それを見届けて、俺はメイとルアラを伴って帝都の屋敷に帰った。
「メイ!メイ!」
リコがメイの姿を見て抱き着く。そして、二人は声をあげて泣き出した。俺はそれを見ながら、家族に念話でメイが戻ってきたことと、犯罪奴隷からも解放したことを伝える。全員から安堵の念話が送られてくる。メイはアリリアを抱きながら、何度も何度もアリリアにごめんねを言っている。
「メイ・・・もうそのくらいでいい。あんまり自分を責めるな」
「メイ、これからは一人で動かないでください。必ず私かリノスに、相談してくださいな」
「ご主人様、リコ様・・・本当に、申し訳ありませんでした」
メイは深々と頭を下げる。俺は再びメイを抱きしめた。その時、屋敷の裏口から声がする。
「ごめんください。遅くなりまして申し訳ありませんでした」
「ああ、そう言えば、今日はローニが来る日だったのですわ」
「ローニ?何のために?」
「エリルとアリリアの様子を見に来てくれる約束をしていたのですわ」
「ああ、そうか。検診か。それなら入ってもらおう」
リコに案内されてローニはダイニングにやってきた。彼女は俺を見るとぴょこんと頭を下げる。
「これはリノス様、お久しぶりです」
「久しぶりだなローニ。いつもリコとメイが世話になるな」
「いいえ。出産の主治医ですから、折に触れてお子様の様子を確認するのは、医師として当然のことです」
「すまないが、よろしく頼むよ」
「お任せください」
そう言ってローニはリコたちを連れて別室へ行ってしまった。そして、しばらくして、彼女たちはダイニングに戻ってきた。
「お子様たちも、リコ様、メイ様も、特に大きな問題は見当たりませんでした。お子様たちは順調にお育ちです。ご安心ください」
「ありがとうローニ。そろそろメシの支度をするが、どうだ?晩飯食って帰るか?」
ローニは再びぴょこんと頭を下げる。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
夕食はリコが作るという。俺は飯が出来るまでエリルの子守をすることにする。アリリアを抱っこしているメイとローニの三人で、ダイニングのテーブルで他愛のない話をする。そういえばローニは医者だ。俺は思い切ってクリミアーナ教が発表した獣人が不治の病の源であるという話をしてみることにした。
「・・・え?どういうことでしょうか?」
「俺も詳しくはわからないんだが、クリミアーナ教国の連中がそう言っているんだ。何でも世界一の研究者のお墨付きとかで、俺も対処に困っているんだ。俺はどうしても獣人たちがそんな病気を媒介しているとは思えないんだ。ローニ、お前はどう思う?」
「大変申し訳ありません。リノス様の仰る意味が分かりかねます。そんな話は聞いたこともありませんし、ましてや、羊獣人の胆汁が特効薬になるなど、聞いたこともありません」
「でも・・・これにはそう書いてあるのよ・・・」
メイがクリミアーナ教国から送られてきた医学書をローニに手渡す。ローニはその本を見て目を見開く。
「これは・・・サンクチュアリ・・・」
そう呟いてローニは、パラパラとページをめくりだす。途中、ほう、とか、ほおおなどという声をあげながら医学書を読み進めていく。そして、該当するページにたどり着いたのか、彼女の目が細めになり、動きが止まる。
パラ・・・パラ・・・パラ・・・一字一字丁寧に読んでいるかの如き速さで、ゆっくりとページがめくられていく。そして、ローニは目を閉じたままゆっくりと医学書を閉じ、上を向いて何かを考えている。
「メイ様・・・」
不意にローニが、目を閉じたままの姿勢で呟く。
「メイ様は、これをご覧になって、どう思われましたか?」
メイは目を伏せる。
「論理上は、完璧だと思いました」
ローニは目を閉じたまま、ゆっくりと首を振る。
「メイ様としたことが・・・」
「どういうことだ、ローニ?」
俺は目を閉じたままのローニに話しかける。彼女はゆっくりと目を開き、メイを見る。
「メイ様、これは、医学の話です。医学の話なのです」
「ローニさん?」
メイが首をかしげている。
「まだわかりませんか?メイ様ともあろう御方が。メイ様、よくお考えになってください。医学なのです。医学なのですよ?」
「落ち着け、ローニ。どうしたんだ?」
ローニはメイの下に近寄り、両手でメイの肩を掴む。
「メイ様、医学なのです。医学とは、論理で説明できないことで成立しているのですよ?その医学の中で、論理的に完ぺきなものほど、怪しいものはないではないですか?」
「あ・・・」
メイが何かを思い出したかのように、どんどん目が見開かれていく。メイの目に生気が宿ってくる。
「そうです。そうなのですメイ様!目をお覚まし下さい!」
メイは再び医学書を手に取り、ページをめくる。
「そうか・・・そうだわ・・・私としたことが・・・そんな簡単なことを見落としていた」
「そうです、メイ様。お分かりになりましたか」
「ありがとうローニさん。わかったわ。騙されていたわ。ありがとう。ローニさんは、すごいですね。騙されていないんですもの」
「いいえ。よくあることです。私も、何度もそんな経験があります」
二人はニコニコと笑みを交わす。
「・・・すまん、二人とも。俺には全くわからん。説明してくれないか?」
ローニはハッとした表情をして、ぴょこんとお辞儀をする。
「申し訳ありませんでした。リノス様を置いてけぼりにしてしまいました」
「いや、いい・・・。気にしないでくれ」
「わかりやすく説明しますと、医学というのは、経験と確率の積み重ねなのです」
「うぁん?」
俺は首をかしげる。
「例えば、シャドボの木の根を粉にしますと、人間は深い眠りにつきます。これは開腹手術をする時などに使うのですが、なぜ、シャドボの木の根が人間を眠りにつかせるのかはわかりません。それどころか、千人に一人程度の割合で、眠りから覚めない場合もあります。これも、なぜ目覚めないのかがわかりません。また、回復魔法も、なぜあの呪文を唱えると傷が癒えるのかということについては、わかりません。こうしたことは、何度も何度も繰り返し実践してわかったことなのです。つまり、医学は、経験の蓄積の上に成り立つ確率の学問なのです」
「ええと・・・まだ、ちょっとわからんのだが・・・」
「申し訳ありません。私が口下手なもので」
「いや、ローニのせいじゃない。俺の理解が悪いんだ」
「つまり、このサンクチュアリに発表されている内容は、経験の蓄積の上に成り立っていません。まず、この理論を証明するための確率を明らかにする必要があります。つまり・・・」
ローニは、噛んで含めるように話をしてくれたおかげで、やっと俺も理解することができた。
「なるほど、そういうことか・・・。結果論だが、俺の予測は半分当たっていたわけだ」
「直感でお感じになられたのはさすがだと思います。リノス様、まずは、クリミアーナ教国へ使者を立てられることをお勧めします」
「わかった。そうしよう」
その時、お腹の鳴る音が聞こえた。
「ローニ、腹減っているな?今日はお礼だ。思う存分食って帰ってくれ。何かリクエストはあるか?今から俺が作ってやろう」
「できれば・・・からあげを・・・」
「いいだろう。黄金鳥のから揚げを、たらふくご馳走しよう」
俺はエリルをローニに預けて、いそいそとキッチンに向かった。
クリミアーナ教国にアガルタ国から特使が出発したのは、その翌日のことであった。