第三話:妹の行方
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翌日の早朝、六路兵衛は荷物(甲冑とその他武具一式、日用品)をまとめ、村長屋敷を辞去した。
「六路兵衛様、どうかご無事で。死んではなりませぬぞ」
村長と新吉に見送られて村の南の入り口を出た六路兵衛は、村の北にいる哨戒兵を避け、山道を迂回して村の北西にある勝山城へ向かった。が、すぐに長尾勢の陣営にぶつかり、先へ進めなくなった。旗印を見れば、城の周囲を長尾の本陣を始め北条、色部、畠山、直江ら名だたる豪族衆の陣が幾重にも取り囲んでいる。さらに城の反対側には三好軍が展開しているようであった。
山上の城は無残にも焼け落ち、黒煙が各所から立ち上っているのが、遠目からも確認できた。城主を失った城は容易に陥落したのであった。
既に長尾の軍勢は移動するために陣を引き払いつつあった。他に彼方の街道を南へ向かう一群があったが、何なのかは解らなかった。
六路兵衛は知らなかったが、これとは別に村上正清率いる別働隊二千が北の鯖江城を開城させていた。加えて郡の中央部への入り口である勝山城の落城により、名門朝倉氏の運命は決した。ここから朝倉氏の本拠、大野城まではほぼ一直線である。
「朝倉も終わりか…」
六路兵衛はそう呟きながら、黒煙を上げる城を眺めた。在地土豪の小野家は寄親・真柄太郎左衛門への忠誠心こそ高かったが、暗愚な朝倉本家の当主・若波守景時への忠誠は、あまり高いとはいえなかった。
六路兵衛もまた、太郎左衛門の死を悲しむ気持ちは強かったが、朝倉氏そのものの滅亡には、さして感傷に浸る気にならなかった。
むしろ問題なのは小野家の行く末である、朝倉軍の敗北に殉じ、当主である冬英と嫡男五路兵衛が討死し、男子は六路兵衛のみである。親戚筋も大半が城と運命を共にしたはずであるし、そもそも長尾家重臣・畠山正就が進駐してきた以上、所領没収は確実である。小野家は降伏する前に壊滅してしまったため、恭順の意を示すこともできない。勝山城が開城すれば、小野家も存続できたかもしれないが、抵抗、落城した以上長尾為虎の敵である。恐らく六路兵衛がのこのこ長尾の陣所に出頭すれば最後、敵対者として首を刎ねられるだろう。逆らった者達への制裁は厳しい。
「つまり、俺は本当の浪人となってしまったわけか。うへ」
このままでは終われない。必ずや家を再興し、武士としての誇りを取り戻さなければならない。ここで死んでは犬死にである。
「……にしても、今さら大野城に行って大殿に加勢したとしても、討死必至だな、こりゃ」
それではまずいので、六路兵衛は早々に大野城行きを諦めた。滅びゆく家に殉じるような思考は、生憎持ち合わせていない。
「まずは、沙紀だ」
勝山城に籠もっていた一族は、沙紀だけである。母は沙紀を生んで間もなく流行り病でこの世を去っている。
「城を逃げ出せていれば問題ないが、捕らえられでもしたら…」
城攻めで捕まった城方の女性は、乱暴されるのが常である。十三歳の沙紀とて例外ではない。五年後の安来城の戦いで論坊狼藉が厳禁されるまで、この風景は当たり前のものであった。おまけに、逃げた民衆や武家の女子供を狙う人買いまでもが跋扈している。
「くそっ」
嫌な予想はさっさと忘れて、六路兵衛は行動を開始した。
結局、沙紀の消息を知る者を見つけ出すのに二日かかった。落城の混乱の中、人の顔などいちいち覚えてなどいないのが普通である。
しかし、彼が三十四人目に出会った男は隣村へ婿養子に入った小野村出身者であり、沙紀の背格好を良く知っていた。
「いやあ、沙紀様は俺のことを覚えとって、城で会った時も親切にして下さったんでさあ、それがあんなことに……」
そう言って泣き出した男を見て、六路兵衛は嫌な予感がしたが、勇気を出して男に尋ねた。
「で、沙紀はどうなったのだ?」
「…俺たちと一緒に捕らわれた。俺ら百姓上がりの足軽は許されて放免されたが、お武家様と浪人(ここでは傭兵を指す)どもは許されず、お侍は悉く斬られて、浪人と女子供は人買いに売られた。沙紀様は駿相屋とかいうところの人買いに買われて南へ連れていかれた。一昨日の事だ。これは本当だあ。間違いねえ」
「……」
六路兵衛は、しばらく言葉が出なかった。妹は生きている。しかし、人買いに売られて縄につながれた状態だ。
六路兵衛は単純な男であった。一瞬嗚咽を漏らしそうになったが、そんなことをしている暇はない。妹を助けるのは兄の務めではないか。なにを立ち止まる必要がある。
「分かった。お前の言葉を信じよう。恩に着るぞ」
六路兵衛は男になけなしの丁銀一つ(一貫=千文に相当。結構な金額と思っていただきたい)を握らせ、足早に街道を南へ向かった。
「沙紀、俺が必ずお前を助けだしてやる。そして小野の家を再興して見せるぞ」
その志は本当に立派なものだが、これを為すには数多くの困難が立ちはだかっていた。六路兵衛は若く、未だそのことを深く意識していなかった。
ところで、六路兵衛と村人が話しているのをすぐ近くで聞いている者がいた。もし六路兵衛がこの世の闇の部分を良く知る人間であったならば、不審な気配を感じ取ることが出来ただろう。見た目は休息中の旅の行商人に見えたが、六路兵衛が立ち去るとおもむろに紙と筆を取り出し、何やら手紙を書き始めた。さらに荷物から鳩の入った鳥籠を出すと、鳩の脚に手紙を括り付けて空へと放った。
鳩は街道をゆく六路兵衛を追い越すと、そのまま南へ向かって飛んでいった。
翌日。南へ向かう六路兵衛にとって最初の関門となるのが、郡境の八頭竜城である。街道はこの城の二ノ丸を貫く形で通っており、既に長尾へ寝返っている城兵にばれたら一巻の終わりである。
「ま、抜け道を使えばいいんだがな」
六路兵衛は呟きながら街道筋を外れ、間道へと入って行った。この道を進めば城を迂回し、城内を通過することなく郡境へ向かうことが出来る。隣郡の美前は三好領だが、六路兵衛を知る者は皆無であり、危険性は低いと思われた。
「それにしても……この道、直前に誰か通ったな?」
この間道は人ひとりがやっと通れるほどの狭い道だが、周囲の雑草には踏まれた跡があり、ぬかるみにはいくつもの足跡まで残っていた。
六路兵衛は用心しながら間道を進んだが、やがて出口に近づくと、嫌な匂いが流れてきた。
「血の匂いか……!」
出口の先には、五人の男が血だまりの中に斃れていた。一人は胴丸を着ていたが、他の者は農民の恰好であった。そのうちの一人に、六路兵衛は見覚えがあった。
「こいつは隣村の加助……」
なぜこんなところで死んでいるのか分からず、六路兵衛が立ち尽くしていると、突然周囲の空気が変わった。殺気を感じた六路兵衛が反射的に後ろへ跳ぶと、上から山伏と思しき男が刀を抜いて六路兵衛がいた空間を切り裂いていた。
「ちっ。一人と思って甘く見てしまったか」
山伏は舌打ちした。気持ちに余裕を得た六路兵衛は男に問うた。
「この者らを殺したのはお前か?」
「左様。口ほどにもない奴らであった。貴様はちとできるようだな」
「何者だ?」
「我が名は黄昏幻魔斎。別に覚える必要はないぞ………貴様はここで死ぬのだからな」
言うが早いか幻魔斎と名乗った怪人が斬りかかるも、六路兵衛は軽く受け流し、鑓の柄で彼の脚を払った。
「うわっ」
幻魔斎は転んだが、そのまま受け身を取って一回転すると間合いを取った。丁度雲に隠れていた太陽が現れ、二人の間に六路兵衛の影が浮かび上がった。
「幻魔斎とやら、お前の雇い主は誰だ。答えれば見逃してやってもよい」
「クク……今、貴様の生死は我が手に握られた」
「はあ?」
首を傾げる六路兵衛の前で不敵な笑みを浮かべた幻魔斎は、苦無(短剣の一種)を懐から取り出し「影……」と呟きながら六路兵衛の影に向かって投げ打った。
「何がしたいのだ……むっ!」
六路兵衛は気づいた。体が動かせないのである。見れば彼の影の胸の部分に苦無が突き立っていた。
「これぞ忍法『影縫い』……貴様はもう身動きがとれまい」
「あの村人たちもこれにやられたのか」
「その通り。我に狙われた人間は全て死ぬ定めとなっておる。死から逃れられることは出来ぬ」
幻魔斎はクックと笑うと、勝ちを確信したのかぺらぺらと語りだした。
「冥土の土産に教えてやろう。我が雇い主、駿相屋茂兵衛様は自分の商品を狙う者すべてを排除するように命じられた。そこで血祭りにあげた愚か者どもも、貴様も、商品とやらを狙っておるゆえ殺せと駿相屋の手の者が言うので、依頼通りにしたわけだ」
六路兵衛は黙って聞いていた。
「驚いたぞ。前々から胡散臭いと思っていたが、まさか豪商・駿相屋が人身売買に手を染めておるとはな。まあ、これも乱世の定め。不憫ではあるが、見逃すほど憐憫の情は抱かぬ。我とて生活が懸かっておる。ここで死ぬがよい」
幻魔斎はそう言って刀を構えた。
「まっ待て」
六路兵衛は焦った表情を見せながら幻魔斎を止めた。
「何だ?往生際の悪い奴め。武士なら潔く死ね」
「何故俺が小野六路兵衛と分かったのだ?」
「ああ、それか。村人に家族の消息を聞きまわっている浪人がおると聞いて、駿相屋が人を出して鼠を探していたのだ。結果、掛かった鼠が貴様だったというわけだ。貴様の名は今知った。前の奴らも同じように見つけ出し、追跡を始めたので殺した。もういいか?さっさと終わらせたいのだ」
「うむ。もういい」
六路兵衛は言うと、鑓の石突を突き出し瞬時に幻魔斎の手を打った。彼の手から刀が離れる。
「何故だ?我が『影縫い』が破れることなどないはず……!」
「いや、影が消えたら意味ないだろ、この術」
はっとした幻魔斎が上空を見上げると、いつの間にか太陽は再び雲に隠れていた。
「不運だったな。俺にとっては幸運だが…」
「くそっ。我としたことが」
幻魔斎は悔しげに言うと懐から苦無を数本取り出した。
「死ねっ」
六路兵衛は全ての苦無を鑓で叩き落とすと、穂先を幻魔斎の喉元に突き付けた。
「さて。何か言い残すことはないか?」
六路兵衛の声は冷たい。
「待ってくれ!…そうだ、と…取引をしよう」
「はあ?」
「まず貴様は我を見逃す。我は貴様を襲わない」
「信用できるのか?」
「それはもう」
六路兵衛としては今すぐこの邪魔者を突き殺したいところであったが、こう命乞いされると哀れに思えてしまう。
(馬鹿。迷うな。迷った分だけ時間を浪費するぞ)
六路兵衛は自分に言い聞かせるが、やはり躊躇してしまう。
「頼むから助けてくれ。本当に悪かった。悪かったから……」
「ん?何だ?俺たちは見逃しやしねぇぞ」
幻魔斎の命乞いを中断させたのは、突然藪から現れた、髭面で毛皮の上着や破損した甲冑を身に着けたいかにも人相の悪い男たちであった。五人はいる。
「朝倉がもう終わりと聞いて荒稼ぎに来たが……早速獲物を見つけるとはな。今日はついてるぜ」
山賊の頭目らしき男は言いながら六路兵衛の方を見て、「げっ」と言って口をあんぐりと開けた。
「あっ…お前は、小野六路兵衛!」
他の山賊たちも口々に叫ぶ。
「此処で会ったが百年目!」
「タマ寄越しやがれ!」
六路兵衛は頭目の顔を見て、思い出した。
「ああ、あの美前の山賊ども」
二年前、この山賊たちが八頭竜一帯を荒らしまわったとき、討伐隊に参加し撃退に貢献したのが六路兵衛であった。
「へへっ。こいつは運がいいぜ。先年の借りを返してもらおうか」
「また叩きのめされたいのか?五人までなら何とかなるぞ」
すると頭目は嫌らしい笑みを浮かべ、
「五人まで、ねえ。ならこれでどうだ!」
彼が手を叩くと、道の前後に次々と山賊が湧き出てきた。
「おいおい、これはまずい……」
青ざめる六路兵衛に対し、頭目は勝ち誇ったように言った。
「さすがに三十六人が相手では手も足も出まい。そこの山伏と一緒に金目のもの全部差し出せ。お前は命も差し出せ」
「いや、それは勘弁」
「そうだ!我はこのところ金欠で銭などほとんど持っておらぬ!見逃してくれ」
早くも不利を悟り命乞いを始めた二人であったが、頭目は冷たかった。
「ならば仕方ない。欲しい者は力ずくで奪い取るのが俺たちの流儀。分かっているだろう?」
「「………」」
六路兵衛と幻魔斎は覚悟を決めた。
(こうなったら意地でも囲みを突破してやる。八頭川のことを考えればこっちの方が格段に楽だ)
(六路兵衛が動いて奴らの注意がそれた時が勝負だ。必ずや逃げ延びて見せよう)
山賊たちはそれぞれの得物を構えた。それを確認した頭目が叫ぶ。
「やれぇ!」
山賊たちが一斉に襲い掛かろうとした瞬間、斜面を転がって何かが道に飛び出してきた。白くて丸いその物体には導火線がついていた。
ぼむっ
すぐに物体は破裂し、白い煙幕が周囲に広がる。煙の中からは「ぐはっ」「なっ?」などという男たちの呻き声が何度か聞こえた。
煙幕は幻魔斎のいた辺りを中心に発生していた。六路兵衛も山賊たちも、突然のことに身動きが取れない。
煙が晴れると、そこには何人かの倒れた山賊と、棒状の武器を手にした若い女がいた。一八歳くらいだろうか。小袖と股引という典型的な旅装に身を包み、長い黒髪を後ろで束ねている。整った顔立ちは、男ならばつい見てしまうような美しさであったが、切れ長の目には怜悧な感情が垣間見えた。殺気に近いものである。
「女、何者だ?俺らの邪魔をするというのなら……」
頭目が手にした鑓の穂先を女に向けた。
同時に、女が棒を投げつけた。棒は六路兵衛の右を掠め、頭目の眉間に直撃した。頭目は声を上げることもなく白目をむいて倒れた。
「ひいい!」
「頭!」
山賊たちの間から驚愕の声が漏れる。女は呆然とする山賊たちに向かって言った。
「去れ。次はこの男のように手加減はしない」
そのまま腰の刀に手をかける。
同時に、彼女の周囲に強烈な殺気が発せられた。
(何と……)
六路兵衛に害意は向けられていないが、それでも全身から発せられる警告を六路兵衛は感じ取った。
(この娘……本気だな。しかし……)
女の眼は殺人者や戦士のような『人殺しの眼』ではない。恐らく彼女は人を殺したことがない。
だが山賊たちにはそこまで分からなかったらしい。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶと、頭目や負傷者を抱えて遁走した。仲間は見捨てないらしい。
見れば、幻魔斎もいつの間にか姿を消していた。先ほどの煙幕に紛れて逃げ去ったのだろう。
山賊たちの姿が見えなくなると、六路兵衛は女に礼を言った。
「かたじけない。おかげで助かりました。失礼ながら名をお聞かせ願いたい」
女は先ほどとは打って変わった笑顔を浮かべた表情で答えた。
「千歳と申します。難波の総前郡の出身で、これでも用心棒をやっている身です」
「何か礼をしたいのですが、何分手持ちに余裕がないので、ご容赦頂きたい」
「今のことはお気になさらず。当然のことをしただけです」
千歳の言葉を聞いて、六路兵衛は内心ほっとした。この手の助っ人は、往々にして多額の金銭を要求するというのを、亡き真柄太郎左衛門から聞いたことがある。
「お武家様。貴方の名は?」
「これは失礼。朝倉家家臣……いや、若波郡浪人、小野六路兵衛保英と申す者にございます。以後、お見知りおきを」
「朝倉は先日戦に敗れ風前の灯火と聞きましたが?」
「はい。重要拠点の勝山城を落とされた今、朝倉は潰えたも同じです」
そう言って六路兵衛は、朝倉と自らの現状、及び旅の目的を語った。
「それはお気の毒に。私は都から若波に出る途中だったのですが、駿相屋の一行とは会いませんでした。目的地を変えて連中に遭遇していれば、相応の報いを与えてやりたかったのですが」
「駿相屋をご存じなのですか」
「はい。彼らはかつての私たちにとって不倶戴天の仇敵であった者達です」
千歳はそう言うと、駿相屋について語り始めた。六路兵衛はここで、初めて妹を攫った相手の詳しい素性について知ることとなる。




