第二話:死闘・八頭川合戦
日が傾きはじめた頃、三好軍は怒涛の如く真柄勢に襲い掛かった。小野六路兵衛からの急報を受け、態勢を整えてはいたものの、開戦から戦い続けていた彼らにとって全くの新手と戦うのはあまりに酷であった。
たちまちのうちに長柄衆は押し崩され、敵の騎馬武者が群れを成して乗り込んでくると、足軽たちは一斉に浮足立った。
「こら、退くな、戦え!」
小野冬英らが声を涸らして叫ぶも、足軽たちの耳には入らなかった。
真柄勢や他の豪族に属する足軽たちはついに潰走を始めた。こうなると敗北はもはや止められない。敗軍を途中でまとめられるほどの武将は朝倉家中に存在しなかった。
「おのれ、三好め」
真柄太郎左衛門は憤怒の形相を浮かべながら、金砕棒を振り回して襲い来る敵兵を薙ぎ払い、打ち倒していく。
「真柄様、ここはもはや支えきれませぬ。一度勝山城へ退くべきかと」
冬英が馬を寄せてきて進言した。
「もう遅いかもしれぬが、是非もないか……」
勝山城への道は、既に本陣を襲わんとする三好軍が塞いでいた。三好氏の家紋『釘抜』を描いた幟旗の群れが北へ移動していく。
「兄上、城への道は塞がれております。南ならば……」
六路兵衛は五路兵衛に話しかけたが、兄は弟の考えを一蹴した。
「阿呆。遠回りなどしておるうちに、勝山を抜かれてしまう。城におる沙紀はどうなるのだ?」
「……それは……」
「考えている暇などない。このまま突っ切るぞ」
兄弟が話している間に、長尾軍の方から大きな鬨の声が上がった。
見れば六千の全軍が渡河を始め、こちらに迫っている。総攻撃が始まったのだ。
「我こそは、北条景広!手向かいする者は悉く斬り捨てる。武器を捨てよ!」
騎馬武者の一群と共に現れた長尾家中随一の名将はそう叫んだ。朝倉方の足軽は次々と降伏する。
「恩知らずどもがっ」
太郎左衛門は悪態をつくが、保護してくれない主よりも保護してくれる敵になびくのが人間である。朝倉方の武者たちは踵を返し勝山城へと向かう。その前方には既に三好軍が待ち構えていた。軍勢の先頭に立つ男が言う。
「主上は謀反人の侍どもを悉く捕らえるか殺すよう命ぜられた。降伏すれば命だけは助けてやる。この赤松新右衛門頼満が保証しよう」
これに対し太郎左衛門は、間髪入れずに言い放った。
「笑止!朝廷に媚びへつらう貴様らに屈服することなどない!者共、かかれ!」
「応!」
真柄勢の武士たちは鑓を構えて突進した。太郎左衛門への恩義と、三好氏への敵愾心が、彼らに降伏を許さなかった。小野父子も鑓を振りかざして敵陣に分け入った。
たちまちのうちに乱戦が始まった。始めは真柄勢の猛攻に怯んだ三好軍であったが、数に勝る彼らは赤松勢を中心に体勢を立て直した。
「何としても突破せよ!一人でも多く勝山城へ戻るのだ!」
太郎左衛門は金砕棒を振り回しながら叫ぶ。しかし、敵の軍勢は厚く、朝倉方の武士は次々と討ち取られていった。六路兵衛にも雑兵が迫り、鑓を突き出してくる。
「どけ!」
雑兵の群れに対して鑓を振り回して払いのけながら、六路兵衛は父の元に駆け付けた。
「父上!」
「保英、お前は真柄様をお守りせよ。儂はここで敵を防ぐ。急げ!」
「はっ」
六路兵衛は駆け去りながら、ふと後ろを振り返った。冬英は敵の騎馬武者を馬から叩き落とすと、目が合った六路兵衛を見た。
(頼むぞ)
そう言っているように見えた。六路兵衛は期待に応えるべく、寄親・真柄太郎左衛門の元へ急いだ。
ふと本陣の高台を見ると、朝倉若波守の本陣旗が西へと移動していた。高台に迫る長尾・三好両軍を振り切り、勝山城へと敗走していくようだ。
「とりあえず、殿は逃げられたようだな」
太郎左衛門が安堵したように言った。
「真柄様、我らも急ぎましょう」
六路兵衛の言葉を受け、太郎左衛門がうむと頷いた。未だ敵の数は多く、むしろ囲みを強めてきていた。
「往生際の悪い奴らよ!さっさと軍門に降れば良いものを!」
赤松頼満が吐き捨てつつも更なる攻勢をかけるよう配下に指示しているのが見えた。
「騎馬武者を潰せ!兜首は恩賞になるぞ!値百金ぞ!」
頼満が足軽たちに発破をかける。戦において唯一、人を殺して得られる手柄が兜首であった。雑兵首を取っても何の手柄にもならない。貧しい足軽たちにとって、兜首を得ることは大きな意味を持っていた。
「兜首じゃあ!侍首じゃあ!値百金じゃあ」
三好方の足軽が口々に叫びながら二間(約三・六メートル)の長柄を構えて殺到する。
「ええい、どけ!」
六路兵衛は鑓を振り回して足軽たちを追い散らそうとする。が、たちまち馬を鑓で刺され、落馬してしまった。
「くそっ」
襲い掛かる雑兵を鑓で殴りつけながら、六路兵衛はなおも前進しようとした。しかし、一人で数十人の相手をするのは不可能である。
窮地に立った彼を、兄が救った。
「六路兵衛!今助けてやる!」
五路兵衛が他の騎馬武者とともに敵中に乗り込み、隊列を乱した。
「兄上、かたじけない」
「礼は後にしろ。……このまま突っ込む!者共、ついてこい!」
騎馬武者に続き、歩兵が突入する。六路兵衛も五路兵衛の横に随伴しながら、鑓を振るった。
「兄上、父上は?」
「…討たれた。もはや後ろを支えることは出来ぬ。急がねば皆殺しだ」
「父上……」
父親の死を、すぐに呑み込めなかった六路兵衛であったが、すぐに現実に引き戻された。敵兵の一人を突き伏せ、もう一人の陣笠を叩き、戦闘力を奪う。そのまま次から次へと現れる相手の脛を払い、肩を打ち据えていく。さらに鑓を振り回して接近を図る敵兵を尻込みさせた。足軽たちは勿論、武士までもが命惜しさに近づこうとしない。包囲陣に一瞬の隙が生じた。
「今ぞ、突っ込め」
太郎左衛門が叫び、武者たちが突入する。
六路兵衛も続こうとしたが、ふと後ろを振り向いた彼は見てしまったのである。
背後にいた五路兵衛の首筋に矢が突き立ち、落馬する様子を。既に兄の目から光は消えていた。
「兄上ーっ!」
叫ぶ間もなく、次々と矢の飛来する風切り音が耳に入ってきた。六路兵衛はとっさに身をかがめて矢をやり過ごす。包囲陣の向こうでは、三十人程の武士が強弓に矢をつがえて待ち構えていた。赤松頼満は抜け目のない武将であった。
五間(約十メートル)あるかないかの至近距離から放たれた矢は、馬を射斃し甲冑を貫き、百戦錬磨の若波の武者たちを次々と射倒していった。
「おのれっ」
太郎左衛門も馬を失い、怒りの表情を浮かべて前方の頼満を睨みつけた。
「武士の道は本来弓矢の道ぞ。よもや忘れたわけではあるまい。選りすぐった武者の放つ矢の威力、思い知ったであろう。……これが最後だ。降るか、死ぬか。どちらを望む?」
「何を言うかと思えば。恩義ある殿に背くことなどない」
「これを見ても言えるか?」
頼満はそう言うと「あの方をお連れせよ」と部下に命じた。部下は首肯すると軍列の中に消え、すぐに戻ってきた。連れられてきた騎馬武者の姿を見て、太郎左衛門は驚愕した。
「景家殿!寝返ったのでござるか?」
朝倉若波守の甥にして八頭竜城主・朝倉若波介景家は無言のまま、太郎左衛門を見つめていた。太郎左衛門は驚いていたが、彼の裏切りは六路兵衛にとっては驚くべきことではなかった。本陣で八頭竜城の開城についての会話が耳に入っていたからである。
少しばかりの沈黙の末、景家が口を開いた。
「真柄殿、朝倉の、若波郡の命運は既に参議様(長尾為虎)の手中じゃ。我は朝倉の家を存続させるため、長尾に通じた。叔父上には申し訳ないが、それは叔父上の自業自得でもある。お主まで叔父上に殉ずることはない。降伏するのだ」
「殿よりの御恩をまだ返しておらぬ。それにこうなったのは殿の愚行を止められず、裏切り者の存在に気付かなんだこの真柄太郎左衛門の責でもある。殿一人に罪を被せるわけにはいかぬ」
太郎左衛門の決意は固かった。景家はまだ未練を残していたが、背伸びをして後方の様子を見ていた頼満はそれ以上の説得を許さなかった。
「景家殿、この者は梃子でも動きますまい。致し方ありませぬ」
「……真柄殿、許せ」
景家の姿が三好兵で見えなくなると、「かかれ!」という太郎左衛門の号令と共に乱闘が再開された。太郎左衛門は疲れを感じさせない動きで敵を打ち払い、包囲陣を突破しそうな勢いであった。
「まずい!止めよ!奴を勝山へ入れるな!」
青ざめた表情で頼満が命じる。だが足軽たちは臆病風に吹かれ、もはや太郎左衛門に手を出さない。
「役立たずがっ」
頼満は吐き捨てるが、かといって自分が太郎左衛門に挑もうとする気配はない。
(あの大将は真柄様に勝てぬ。我らの勝ちだな)
六路兵衛がそう思った時、雷が落ちたような音が轟いた。同時に太郎左衛門は胸から鮮血を噴き、落馬した。
(どこから……)
見回すと、二町(約二百メートル)程離れた高台に展開する長尾軍を見つけた。恐らくそこから手銃を発砲したのだろう。今すぐ突っ込みたかったが、今は太郎左衛門の方が優先であった。駆け出そうとする六路兵衛の前に数本の鑓が突き出された。
「どけ!死にたいのか」
六路兵衛は行く手に立ちふさがる三好兵数人を鑓で振り払い、太郎左衛門の元へ辿り着いた。彼は既に虫の息であった。
「真柄様」
六路兵衛の呼びかけに、太郎左衛門はまだ応える事が出来た。
「六路兵衛……やられたらしい…無念じゃ……」
「何を仰せですか、しっかりしてくだされ」
「必ず生きろ……これは命令ぞ…何があろうと…生きろ……」
そう言って、太郎左衛門は目を閉じ、それきり動かなくなった。
享年三十四。朝倉最強の豪傑と呼ばれた男は主君に殉じ、散った。
「おのれ………おのれえぇ!」
戦に生き死には付き物。武士の常識として、六路兵衛はそれを十分に理解していた。それでも、父と兄、さらに寄親までも一度に失い、六路兵衛の頭から理性など吹き飛んでいた。
「うおおおおおおおおおおおお!」
絶叫した六路兵衛は敵に向かって突進した。一度理性を無くすと命などどうでもよくなる。すぐに何本もの鑓が突き出されるが、彼は鑓のひと薙ぎで軽く払いのけた。それだけで足軽たちは戦意を失くし、後ずさりをした。
六路兵衛の目の前にいかにも屈強そうな騎馬武者が現れた。よりにもよって、彼は三好家中で三十人斬りとして知られた筒井監物であった。如何に六路兵衛といえども騎馬と徒歩では分が悪い。鑓を突き合った末、彼は道の端に追い詰められた。背後は森へと続く急斜面である。
「若造。邪魔だ」
声と共に頭上から鑓が降ってくる。六路兵衛は鑓をかざして受け流したが、姿勢を崩してしまった。足場が崩れたのだ。
「あ」
倒れた方向には、幸か不幸か急斜面。
「うわあぁぁぁぁぁ」
六路兵衛は、何とも間抜けな声を上げて、斜面を転がり落ちていった。
「くそっ…何ということだ」
六路兵衛は斜面の下の小川で舌打ちした。命拾いしたのはよかったものの、小川を下れば長尾軍だらけの八頭川、遡れば小野家の在所へと続くが、勝山城からは離れてしまう。勝山城へ向かうには、千人以上の将兵を突破する必要がある。
軍勢は崩壊し、父と兄は討死した。こんなことがあって良いものかと、一瞬現実逃避しようとも考えたが、ここが現実であることは確かである。肉親を討たれ、味方を失ったとき、生き残った者が為さねばならないこととは。
「…よし、一旦村まで逃げよう」
仇討ちのため敵陣に一人突っ込んでも、それは犬死にといって恥ずべきこととされた。今は生き延びて、再起を図るべきなのである。この時代の武士道は無意味な死を嫌う。自分や一族が生き残るため、常に最善の道を探らなければならない。
六路兵衛は背中の指物を捨てると、鑓を担いで歩き出した。
小川沿いにおよそ四里(約二キロメートル)歩くと小野家の所領、小野村に到達する。在所が比較的近かったのは幸いであった。村には既に逃げ帰った足軽が数名辿り着いていた。一方、使用人がいるはずの小野家の屋敷は無人であった。恐らく、勝山城に籠もるべく向かったのだろう。
「六路兵衛様、御無事で」
二間鑓を担いだままの足軽、新吉が叫ぶ。彼は村長の三男坊でもある。
「ああ、何とかな」
「あっしらも城へ向かおうとしたのですが、はぐれてしまったで。そんで村へ戻ったんですわ」
「勝山城は?」
六路兵衛は勝山城へ向かうつもりであったが、新吉はそれを察して止めた。
「お止め下され、城は既に長尾と三好の侍どもがぐるりと囲んでおります。六路兵衛様はあっしの屋敷へ隠れて下せえ、すぐに長尾の兵がここにも来るでぇ。あ、具足は脱いで隠して下せえ」
六路兵衛は急いで村長屋敷に入ると、頭形兜を取り樋川胴具足と籠手・佩楯を脱ぎ捨て、藁の束の中に隠した。これで着ているものは小袖だけとなり、見た目は浪人者と変わらない。
六路兵衛が一息つけたその瞬間、「長尾軍だ!」という村人の叫び声が聞こえた。と同時に、二百人程の部隊が村に入ってきた。先頭の騎馬武者が大音声で告した。
「この村は我ら長尾が制圧した!本日よりこの村は畠山正就様の領地となる。それがしは畠山家中、長義龍である。これより村内を検分する。村長はすぐにまかり出よ!」
すぐに村長が屋敷から飛び出し、義龍の前に平伏した。
「わ、私めが村長でございまする。以後、お見知りおきを」
「うむ。我らは乱暴狼藉を厳禁しておる故、そう肩を震わせんでも良い。安心致せ。村の統治については今後お主らの助けがいることも多々あろう。よろしく頼むぞ。……ところで、朝倉の武者を匿ってはおらぬであろうな?」
義龍が念を押した。
「はっ。只今浪人者が一人屋敷に逗留中でございますが、朝倉方の武者は皆勝山城に籠もられてございます」
「ほう、そうか。なら良い。我らはこのまま勝山城へ向かう。逆らわねば無体な真似はせぬ。良いな」
義龍は特に『浪人者』への詮索をするでもなく、村長の言葉を真に受けると、そのまま悠々と去って行った。三十人の兵が残されたが、他は勝山城へ向かった。
「城には沙紀がいるが……無事であろうか」
六路兵衛が妹の身を案じながら屋敷に潜んでいると、やがて日が暮れた。六路兵衛は疲れが出たのか、寝入ってしまった。
「火だ!勝山のお城が燃えておるぞ!」
村人の叫びに、六路兵衛は飛び起きた。
屋敷の表に出ると、畠山の足軽たちがいた。
「ああ、うぬがここに逗留しているという浪人か。見ろ、朝倉もこれで終わりだ」
組頭らしき武士の指さす方角を見ると、山の頂上が燃えていた。勝山城のある山である。
「ほう、盛者必衰ですな、ははは」
六路兵衛は作り笑いを浮かべて応じたが、心の中は地獄に叩き込まれていた。
(沙紀は無事なのか?)
逃げ切れればそれで良いが、逃げ遅れて敵に捕まれば、身を辱められることとなる。武家の宿命だ。とはいえ、六路兵衛にできることはない。今動けば怪しまれるだけである。
六路兵衛はこの日、眠ることが出来なかった。




