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アボーテッド・チルドレン  作者: 襟端俊一
第三章 第二の刺客
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「酷い目に遭った」


 神慈の心臓は未だにバクバクと暴れ回っている。

 瑪瑙はあの搬送用リフトを使って受付奥と第三図書室を行き来しているらしいが、それは小柄だからこそ可能な芸当だ。

 どうおまけしても、大きめのダンボール箱を二つ以上乗せることはできない。

 そんなコンパクトなスペースに、重量過多間違い無しの男子高校生が詰め込まれたのだ。

 神慈は安全装置無しで遊園地のアトラクションを体験したようなものである。


「お互い様」


 胸を押さえて必死に動悸を止めようとする神慈に、瑪瑙はこれでもかと冷たく言い放った。


「そうか? 今回ばかりは、俺に非は無いと思うんだけど」

「本気で言ってるの?」


 乙女の柔肌を見ておいて、と言わんばかりに半眼で睨まれたが、一週間前に来たときとは状況が全く違う。


「前回のときも悪意はなかったけど、結果的に覗いちゃったから認めたし、謝った。でもさっきのはエレベーターから出た瞬間に瑪瑙が見えてたし、気を付けようがないだろ。そもそも、なんで死角で着替えずにエレベーターの正面で」

「それは……壁がないことを忘れていて。桐生さんだって何も」


 瑪瑙にとって第三図書室は、私室のようにリラックスできてしまう空間ということだ。

 これは何とかするべきか。

 ここには神慈以外のメディウムも訪ねてくるし、一般生徒だって来ないとも限らない。

 瑪瑙のあんなあられもない姿を他の人には見せられない。

 第三図書室に露出狂の変態がいる、なんて噂が立っては困る。


「桐生さんって言うのは、受付のあの人?」

「そう」

「前にも言ったけど、俺達のことやたらと勘ぐってくるだろあの人。俺が来るときの事前連絡はないと考えた方が良いよ」

「……」


 裸を見られるかもしれないというのに、瑪瑙は納得していないようだった。

 神慈が来ても平気なよう常に気を張っていなければならないのは、今までのリラックスっぷりを考えるとだるいのだろう。

 本の壁を復活させれば問題は解決だが、ついこの前少しずつ直していくと決めたばかりだ。

 神慈はかねてより考えていたことを提案してみた。


「ここに来るときは、俺から直接連絡を入れるようにするよ。そうすればあんな事故は起きないし。どうかな」

「良いかも」

「ん。じゃあ、赤外線」


 瑪瑙は隣の椅子に置いてある鞄からスマートフォンを取り出し、簡単に操作してこちらに差し出した。


「良し。これでもう大丈夫だな」


 誰かがここに来る場合は必ず桐生から瑪瑙に連絡がいくらしいし、一先ずは安心してよさそうだ。

 もっとも、単純に無防備な面があるので油断はできないが。


「少し残念とか思ってる?」

「視覚的な情報だけを見ればその考えもあながち的外れではないけど、その都度瑪瑙に嫌われることを想定すると結果的に不利益になることが多すぎる。居心地の良い空間を使えなくなるのはとても困るし」

 神慈は可能な限り回りくどく本心を言ってみた。


「興味自体はあるの? 異性に」

「あ、当たり前だろ……俺に何を期待してるんだよ」


 世の中には男性同士の愛情をこよなく愛す腐女子なる女性達がいるようだが、瑪瑙も同じ人種なのだろうか。


「この服を見て何とも思わない?」

「……チャイナドレス、だな」


 特にそれ以外の感想は思い浮かばなかった。

 恋人同士であれば気の利いた台詞の一つや二つ、強引にひねり出していただろうが、そこまでして無理矢理褒めるのもいかがなものか。

 本当に、心の底から可愛いと思ったときに褒めれば良い。

 神慈はお世辞というのがあまり好きじゃないのだ。


「そう」


 そっぽを向かれてしまった。

 デリカシーすら足りていないのに、繊細且つ気まぐれな女心を理解しろというのが無理な話である。

 自覚がある分無性にやるせない神慈だったが、これからのためにも瑪瑙の機嫌を損ねたままにはしておけない。


「この一週間のことを聞いてほしいんだ。瑪瑙からも何か意見を貰えると助かるっていうか」


 あさっての方向を見ている瑪瑙に向かって、神慈は必死に説明した。

 瑪瑙は聞いている内に興味を示してくれたようで、少しずつこちらを向いてくれた……のだが、変化のなかった表情に影が差したような気がした。


「……という訳なんだけど、どう思う?」

「それを聞いて私にどうしろというの」

「え?」

「貴方のパペットになった熊音小愛さんとひたすらイチャついていた話を聞かされて、私にどうしろというの?」

 半眼だった瞳が、更に半分になった気がした。


「そんなところを聞いて欲しいんじゃない! そうじゃなくて、ここ一週間テイルブロッサムに何の動きもないことを言ってるんだよ。それについて瑪瑙の見解を」

「惚気を聞かされているようにしか思えない」


 一週間前に会ったときとは全く違う瑪瑙の態度。

 心地良かった空気はなりを潜め、一転して神慈は針のむしろに座らせている感覚を味わっていた。

 これでは蘭子と眼鏡さんに質問攻めにされるのと大して変わらないではないか。


「一体どうしたんだ? 一週間前の瑪瑙なら、その辺は気にせずに淡々と意見を述べてくれてたと思うんだけど」

「!」

 既に八割方閉じかかっていた瑪瑙の瞳が、ここに来てまん丸に見開かれた。


「……ごめんなさい。確かに、少しおかしかった」

「いや、謝るようなことじゃ」

「桐生さんに色々言われて、自分で気付かないうちに惑わされていたのかも」

「な、成る程」


 神慈も似たようなものだが、その手の話に一際疎そうな瑪瑙がもっともらしい恋愛論を延々と語られたのだとすれば、惑わされてしまうのも無理はないかもしれない。

 恐らく桐生は、蘭子や眼鏡さんのような耳年増タイプだ。


「で、冷静になった瑪瑙としてはどう思う?」

「貴方が一人になるのを待っているんだと思う」

「一人なら勝てると思われてる訳か」

「それもあるけど、単純に二対一では不利だから。既に熊音小愛は負けて貴方のパペットになっているし、念には念を押してくるはず」

「んー……」

 少し腑に落ちない、といった感じで神慈は考え込んだ。


「子愛が言うには、俺と母さんが狙われてるらしくてさ。だから母さんにも護衛を付けてるんだけど、そっちも音沙汰ないんだよ。こうなると、解決するまでは今の状態を維持することになりそうだな」

「……? 信じられない。私達メディウムは、総じて貴方のお母さんに返しきれない恩がある。感謝こそすれ狙うなんて。貴方はメディウムだから、パペットにする目的で狙われてもおかしくないけど」

「その辺の理由は子愛も聞いてないみたいなんだよな……。母さんの熱狂的なファンとかか? 二番目にリーダーが来ることはないだろうし、襲われたらその辺も聞けると良いんだけど」

「どちらにせよ、貴方が勝てば聞ける」

「簡単に言ってくれるなぁ」


 沙癒里には二十四時間、護衛が付いている。

 怖いのは護衛共々パペットにされてしまう場合だが、対象を一人に絞ってドミネイトを唱えるのは意外に難しい。

 近付く者全てを疑えときつく錬子さんに言っておいたので、そう簡単に護衛がパペットにされることもないだろう。

 と来れば狙われるのはまず間違いなく同じ昇華学院に通っている神慈の方だ。

 しかし気持ち悪いぐらいに神慈と子愛は一緒に居たため、狙いたくても狙えなかった。

 だとすれば。


「もしかして、今とか危ないのか?」

「狙われるとしたら一人の時。私や一般人を巻き込むと後々面倒だから」


 確かに、子愛も無関係の人を巻き込むようなやり方はしなかった。

 彼女の場合、単にそこまで頭が回らなかったという可能性も否めないが。


「そういえば、前にパペットかどうか聞いたとき、瑪瑙はどちらでもないって言ってたよな。一度もメディウムと戦ったことないのか?」


 何十人ものメディウムが訪れているのなら、邪な目的で瑪瑙をパペットにしようとする者がいても不思議はない。


「ある」

「勝ってもないし、負けてもないと」

「私の『IA』は恵まれているから」


 瑪瑙は特に得意げになるわけでもなく答えた。

 勝ち負けを決めずに戦いを終わらせるには、時間切れを待つしかない。

 ひたすら時間を稼ぐような特性を持つ『IA』なのか、或いはもっと別の何かなのか。


「気になる?」

「そりゃね」

「見せてあげようか」

「……遠慮しておくよ」


 瑪瑙の『IA』がどんな特性であれ、神慈の『IA』は勝手に浸食を始めてしまう。

 浸食を無効化するような『IA』も中にはありそうだが、試すにはリスクが高すぎる。

 神慈は徐に立ち上がり、エレベーターの方に向かった。


「もう帰るの?」

「いや。もうすぐ昼だし、購買でパンでも買ってこようかと思って。あ……ここで食べても良いか?」

「!」


 昼休みは襲撃に遭う危険も高まる。

 できるだけ子愛と一緒にいるべきだが、またベタベタされながら昼食を取るのはごめんだ。

 月香曰く、パペットである子愛は『IA』に引きずり込まれることはない。

 それなら放って置いても問題は無いし、一番肝心な神慈自身の安全は第三図書室にいればいくらか保証される。


「駄目?」

「駄目じゃない」

「ありがとう」


 エレベーターのボタンを押す。

 しばらくして到着したエレベーターに乗り込む際、神慈は瑪瑙の機嫌を損ねてしまった件を思い出した。


「……さっきのことだけど」

「え?」

「あれはチャイナドレスの感想であって、瑪瑙のことを何とも思ってない訳じゃないから」


 そう神慈が言い終えた直後、扉は閉まった。

 閉まりきる直前の瑪瑙の表情は相変わらず不変だったが、少しだけ赤みが差していたのを神慈は見逃さなかった。

 神慈の微かな満足感に包まれたエレベーターはゆっくりと下降していく。


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