第1話、選ばれざる者
昼前
太陽が煌々と街を照り付け、穏やかな空気に包まれていた。
通りには買い物をする人々の姿があり、商店からは店主の威勢のいい声が響いている。子供たちが笑いながら駆けていき、街のあちこちで人々の日常が営まれていた。そんな街の一角に、一軒の家がある。
「カイル、もう少しゆっくり食べなさい。誰も取ったりしないわよ」
母の言葉に、カイルは口を動かしながら顔を上げた。
「別に急いでないよ」
そう素っ気なく答える男の名前はカイル・アステル。16歳の少年の顔は幼く、窓から降り注ぐ日の光に照らされた美しく靡く銀色の髪の毛はカイルの誠実な性格を表すように光り、目は青く透き通っていた。
「いや、急いでるだろ。さっきから一度も顔を上げてないぞ」
隣に座る男が、呆れたように笑う。
「兄さんまで……」
カイルの横に座る男は、ジイ・アステル。カイルの3つ年の離れた兄で顔は少し面影を感じるが、くるっとうねっている黒色の髪の毛はカイルとはまるで真逆の印象を与える。
「食べ終わったら、また鍛錬か?」
「うん。昨日の続きがあるから」
「毎日毎日、よく飽きないわね」
母がため息をついた。
「強くなるのに、飽きるも何もないだろ」
カイルが当然のように答えると、ジイは声を上げて笑った。
「ははっ。確かにそうだな」
食卓には、どの家庭にもあるような空気が流れていた。
母の小言。兄のからかい。それに反発するカイル。
何の変哲もない、ありふれた家族の時間だった。
「そういえば、カイル」
母が思い出したように口を開いた。
「10時にセレナちゃんが来るそうよ」
「セレナが?」
「ええ。何か話があるみたい。あの子の事だから、5分前には来るわね」
「分かった。じゃあ、少し待ってるよ」
「お前が誰かを待つなんて珍しいな」
ジイが口元を緩め、カイルを少しいじる。
「うるさいな、兄さん」
カイルは食器を台所に持っていくと、逃げるように席を立った。
その背中を、ジイは微笑みながら見送っていた。
*
「カイル!」
家の外で待っていたカイルの耳に、聞き慣れた声が届いた。振り返ると、長いエメラルド色の髪の毛がゆらゆら揺れながら、誰かがこちらへ歩いてきていた。
彼女の名前はセレナ・フェリス。カイルの幼馴染で同級生。一見どこかのお嬢様かと思うぐらい煌びやかに輝いていた。
「お、来たか」
「何その言い方。待っててくれたんじゃないの?」
「母さんが言ったからだよ。セレナなら5分前にくるって。」
「ふーん?」
「……何だよ」
「別に?流石おばちゃま、しっかりしてるね。」
「まあA型だしな。」
「カイルはB型だから合わないわね。」
セレナは楽しそうに笑った。
二人は幼いころから、こうして何気ない会話を交わしてきた。特別な用事がなくても顔を合わせ、くだらないことで言い合いになる。それが二人にとって当たり前の日常だった。
街を歩きながら、セレナがふと思い出したように口を開いた。
「ねえ、最近の話、聞いた?」
「最近の話?」
「元素神のこと」
その言葉に、カイルの表情がわずかに変わった。
「ああ……何かあったのか?」
「この国で、元素神の憑依先になっていた人が亡くなったらしいの」
「……亡くなった?」
「うん。それで今、新しい憑依先を探しているんだって」
元素神。
それはこの世界に存在する、元素を司る神々。
国々はそれぞれの元素神を信仰し、その力を国の守護や戦いに利用してきた。そして、元素神が人間に憑依することで、その力は人の身を通して現世に顕現する。
しかし、元素神の憑依先になれる者は限られている。
憑依先を失った元素神が、次に誰を選ぶのか。それは国の未来を左右するほど重大な問題だった。
「元素神が宿る人間を、また探しているってことか」
「そう。憑依先がいなくなれば、その国は元素神の力を今までどおり使えなくなる。だから必死なんじゃないかな」
カイルはしばらく黙っていた。
「……次の憑依先は、どうやって決めるんだ?」
「詳しいことまでは知らないよ。でも、誰でもなれるわけじゃないんでしょ?」
「そうだな」
セレナは道の先へ目を向けた。
「選ばれる人って、どんな気持ちなんだろうね」
「さあな。俺には分からない」
「カイルは、もし元素神に選ばれたらどうする?」
「急に何だよ」
「いいから。もしもの話!」
カイルは空を見上げて少し考えたあと、肩をすくめた。
「選ばれたなら、その力を使う。それだけだろ」
「それだけ?」
「力を手に入れたからって、急に別人になるわけじゃない。大事なのは、その力で何をするかだ」
セレナは優しく微笑み彼を見つめた。
「カイルらしいね」
「そうか?」
「うん。でも、選ばれなかったら?」
「そのときは、自分の力で何とかする。その為に毎日鍛えてんだ」
カイルは迷いなく答え、その言葉にセレナは小さく笑った。
「ふふっ。ほんと、変わらないね」
「お前はどうなんだよ?」
「私?」
「もし選ばれたら、どうする?」
セレナは手を口元に当て、地面に視線を落とした。
足元では、蟻がせっせと食べ物を運んでいる。
「……どうするんだろうね」
ほんの一瞬、彼女の表情に迷いが浮かんだ。
「でも、もし誰かを守れる力が手に入るなら……私は、使いたいかな」
セレナはそうカイルを見て言った。
「そっか」
「うん」
二人は再び歩き始めた。その後も、他愛のない話は続いた。
明日のこと。街で聞いた噂。いつもと変わらない、ありふれた会話。
このときの二人は、まだ知らなかった。その日常が、間もなく脅かされることを。
*
夜になると、昼間の賑わいが嘘のように、街は静まり返っていた。
窓から漏れる明かりが、街灯も少ない真っ暗な通りを淡く照らしている。店は次々と閉まり、街を行き交う人影も少なくなっていた。
その街の入口に、数人の男たちが姿を現した。
隣国からやってきたチンピラたちだった。
「……本当に、ここには元素神がいないんだな?」
一人の男が、街を見渡しながら尋ねた。
「ああ。憑依先がいないって話だ。少なくとも、今はな」
「だったら、怖いものなんてないだろ」
男たちは顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべた。
「ここを好きに荒らしても、止められる奴はいないってことだ」
「決まりだ。今夜は、この街で好きにやらせてもらうぜ」
彼らにとって、元素神の不在は好都合だった。強大な力を持つ守護者がいないのなら、恐れるものはない。そう考えた男たちは、ためらうことなく街の中へ足を踏み入れた。
やがて彼らは、一軒の店の前で足を止めた。店じまいをしていた店主に、一人の男が近づいていく。
「おい、ちょっといいか?」
「……何でしょうか?」
「この国、元素神がいないんだってな?」
店主の顔がこわばった。
「そ、それは……」
「質問に答えろよ」
別の男が椅子を蹴り飛ばし、店主を壁際へ追い詰める。
「だったら、俺たちが何をしても文句はないよな?」
「や、やめてください……!」
「おいおい、そんなに怖がるなよ。ちょっと話をしてるだけだろ?」
男たちの笑い声が、夜の街に響いた。
そのときだった。
「おい」
背後から、低い声が飛んできた。男たちが振り返ると、そこには、一人の少年が立っていた。
「その人から離れろ」
その声の主はカイルだった。
「あ?」
男たちは低い声でカイルを睨みつける。
「もう一度言う。その人から離れろ」
男たちは一瞬きょとんとしたあと、顔を見合わせて笑い出した。
「んだよ、ガキか?」
「正義の味方気取りかよ」
男たちの言葉にカイルは
変えなかった。
「……聞こえなかったのか?」
一人の男が、店主から手を離してカイルに向き直った。
「お前、この街の人間か?」
「そうだけど」
「だったら教えてやるよ。ここはもう、俺たちの好きにできる街なんだよ」
カイルは上を見上げ、男の目をまっすぐに見返した。
「……誰が決めた?」
「あ?」
「お前らが勝手に入ってきて、勝手に決めるなって言ってるんだ」
男の顔から笑みが消えた。
「生意気なガキだな。痛い目を見たいらしい」
男が拳を握り、カイルへ向かって踏み込んだ。拳がカイルの顔に迫っていく。
だが、カイルは少しも慌てなかった。わずかに身体をずらし、攻撃をかわす。そのまま相手の腕を取ると、男の勢いを利用して背負い投げで男を地面に叩きつけた。
「がっ…」
男の身体は地面でバウンドし、意識を失った。
「てめえ!」
別の男が横から殴りかかった。
カイルは一歩踏み込み、相手の懐へ入る。
腹部への強烈な一撃は男の息を詰まらせ、膝をつかせた。
「ぐっ……!」
今の一撃で残る男たちの表情が変わる。
「こいつ……!」
最初に倒された男が、怒りと痛みに顔を歪めながら立ち上がった。
「調子に乗るなよ!」
再び突っ込んでくる。カイルはその攻撃を受け流し、足を払った。
男はバランスを崩し、再び地面へ倒れ込んだ。
カイルは静かに男を見下ろした。
「まだやるのか?」
男はすぐには答えなかった。
カイルの動きには、無駄がなかった。力任せに殴るのではなく、相手の動きを見極め、必要な動作だけで攻撃をかわす。元素の力に頼ることなく、身体の使い方と判断だけで男たちを退けていた。
「お前らが元素神を恐れないのは勝手だ」
カイルは言った。
「だが、だからといって何をしてもいいわけじゃない」
「くそっ……覚えてろよ!」
男たちは捨て台詞を吐き、夜の街へ逃げていった。
カイルは店からその姿を見るだけで追いかけなかった。
代わりに、壁際にいた店主へと振り返る。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……助かったよ。本当にありがとう」
「いえ。気をつけてください」
「君、名前は……?」
「カイルです」
「カイルくん…か。恩に着るよ」
店主が何度も頭を下げる。カイルは軽く会釈を返すと、その場を離れた。
路地を抜ける途中、ふと夜空を見上げる。
「元素神がいない……か」
先ほどの男たちの言葉が、頭の中で繰り返される。
「……そんな理由で、好き勝手されてたまるかよ」
カイルは拳を握り、家路についた。
この夜、自分が追い払った男たちの存在が、翌朝の出来事へとつながっていくことを、彼はまだ知らなかった。
*
翌朝、街の様子は、昨日までとは違っていた。
人々は通りの先を見つめ、互いに不安そうな顔を向け合っている。いつもなら聞こえてくる商店の声も、今日はどこか遠慮がちだった。
「何があったんだ……?」
家を飛び出たカイルは、街の異変に気づいて足を止めた。
そのときだった。
「カイル!」
と聞き慣れた声がした。振り返ると、セレナがこちらへ駆け寄ってきた。
「セレナ? どうしたんだよ」
彼女の表情がいつもの笑顔とは違い、強張っていた。
不安と戸惑いが入り混じり、何かを言おうとしても、うまく言葉にできないようだった。
「……私、連れて行かれるの」
「……は?」
「急に来て……私を連れて行くって」
「誰が?」
セレナは答えられず、視線を落とした。
「私にも、よく分からない……」
カイルは彼女の背後へ目を向けた。通りの向こうに、人影が見える。
周囲の人々は次々と道を空け、誰も口を開こうとしない。街全体が、その人影に怯えているかのようだった。
「何でお前が……」
カイルの言葉は、そこで途切れた。すると、セレナが顔を上げる。
「カイル……」
その声は、かすかに震えていた。カイルは初めてここまで恐怖を感じるセレナを見た。
「私、どうなっちゃうのかな」
いつもは楽観的に答えるカイルも答えられなかった。
昨日まで、二人はいつもどおりに話していた。元素神のことを話し、未来のことを話し、笑っていた。
それなのに今、目の前の少女は、どこかへ連れて行かれようとしている。すると、通りの向こうにいた者たちが、ゆっくりと近づいてきた。
コツコツと革靴の足音が、静かな街に響く。そして、セレナの腕を取る。その手をカイルが咄嗟に掴み、
「……待てよ」
カイルの口から、思わず言葉が漏れた。誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
「カイル……」
セレナは、心配そうに彼を見つめていた。
カイルは拳を握りしめる。
目の前で何かが起きようとしている。自分の大切な人が連れて行かれそうになっている。それなのに、自分にはまだ、何も分からない。
なぜセレナなのか。
どこへ連れて行かれるのか。
そして、何が始まろうとしているのか。
いくら思考を巡らせても答えには辿り付かなかった。
ただひとつ確かなことは、昨日までの日常はもう戻らないかもしれないという事だった。
カイルは、セレナを見つめたまま静かに口を開いた。
「……セレナを、どこへ連れて行く気だ?」
その問いに、答えるものは誰1人いなかった。
第1話終了




