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第六話 企み


 セバスチャンの自室は、グレースの自室の2倍ではきかないほどに広かった。


 入って左手のキングベッドはベッドメイキングされ、本がぎっしり詰まった本棚が壁一面を覆い、右手には子どものころから使っていたのであろう机と中央にはソファがある。


 掃き出し窓の向こうにはバルコニーがあり、大きな窓を覆うレースのカーテンは沈みゆく夕陽の色で染め上げられている。


 シックで飾り気のない清潔が保たれた部屋であった。


「どうぞ」


 革張りのソファに座るよう促され、グレースはこわごわと着席した。


 きょろきょろしては失礼にあたる。


 そう思って、視線を対面に座るセバスチャンに定めた。


 グレースの耳元で壁掛け時計の秒針が刻む音と高鳴りつづける己の鼓動の音だけがうるさいほどに響いている。


 少し待ったが、セバスチャンが沈黙を破ろうとしないので、グレースは口を開いた。


「殿下、わたしの存在がわずらわしかったら、すぐに追い払ってください」


 ゆるゆるとセバスチャンが首を振る。


「わずらわしいなどとは、思いません。

 ただ、不思議なだけです。

 グレース様が、私と話をしたいということが」


 セバスチャンの口調は大人びていて丁寧だが平坦だった。


 グレースは頭の中で、どう話を進めるべきか整理して、再び口を開く。


「殿下の持つ能力について、グレンさんから聞きました。

 『縁切り』というのですよね」


 セバスチャンの表情が明らかに暗い影を帯びる。


「はい、呪われた能力です」


「殿下は、『縁結び』という能力をご存知ですよね」


「ええ……。

 彼……グレンが血まなこになって探している能力保持者ですね」


 憂いを湛えた表情のセバスチャンが背に夕陽を背負う。


 グレースは冷や汗が流れそうになるのを堪え意識的にゆっくりと確かめるように言った。


「おそらく……いえ、憶測ですが、『縁結び』の能力者は、たぶんわたしです」


 グレースは袖をまくり上げ、左腕をあらわにした。


 セバスチャンが碧眼の瞳を見開く。


 そこにはあざがあった。


 姉のリリス曰く、「天使みたいね」と形容された、頭上に輪をいただいた天使に見えるあざが。


「このあざは足の裏にもあります。

 おそらく、殿下と同じように」


 だから、グレンからあざの話を聞いた瞬間、自分の能力を確信したとともに、目の前の研究者に絶対に悟られてはいけないと危機感を抱いた。


「先ほど、殿下の傷口が塞がれた瞬間、わたしには糸が見えました」


「糸……?」


「はい。

 なかなか説明をするのが難しいのですが、わたしは頭の中に浮かぶ赤い糸を使って病気や怪我をした患者さんを治癒させているのです」


 セバスチャンはあんぐりと口を開いたまま絶句している。


「城へきたのは病弱だと伝えられている殿下を、わたしなら癒してさしあげられるのではないかと考えたからです」


「ああ……だからグレース様のお父上は先ほど……」


「ですが、その必要はなさそうです。

 殿下は病気ではありませんから」


「では……どうして城に残ったのですか?

 私には自分の傷を修復するちからがあります。

 グレース様が能力を使う機会はありません」


 グレースは窓の外の夕焼けに視線を逃がしながらしばし考え込む仕草をする。


「……確かに、わたしにできることはありません。

 ですが、殿下は心に傷を負っていらっしゃるように見受けられます。

 わたしには、心の傷まで治癒する能力はありませんが、せめて、殿下の話し相手にでもなりたいと、そう思いました。

 殿下がつらいとき、つらいと訴えられる相手になれれば、とおこがましくも思ってしまったのです」


「話し相手……」


 グレースはひざに置かれた手を忙しなく組み替える。


「……やっぱり、迷惑、でしょうか」


 言葉尻が弱々しくなり、うつむいてしまう。


「あの……。

 なんと申していいものか、わかりかねます。

 あなたは、なにが欲しいのですか?」


「なにが、欲しい?」


「私に近づいてくる人間には、必ず目的があります。

 私の周りにいるのは権力だとか、金銭だとか、私利私欲のために私を利用しようとする人間ばかりです。

 あなたは、なにが目的なのですか?」


「舐めないでください!」


 グレースは立ち上がり、声を張り上げていた。


 見上げてくるセバスチャンの瞳に怯えが混ざる。


 それに気づきながらも、グレースは自分を止められない。


「わたしは見返りなど求めません!

 殿下といい、グレンさんといい、失礼です!

 わたしが、そんなに強欲な女に見えるのですか?

 自分の利のためなら、他人をも利用する、そんな人間に見えるのでしたら、これ以上の屈辱はありません!」


 顔を真っ赤にして叫ぶグレースに、セバスチャンはおろおろするばかりだ。


「す、すみません……。

 なんとお詫びすればいいか……。

 怒らせるつもりはなかったのです……。

 どうか、お許しを……」


 セバスチャンは両手で頭を抱えて身体を丸める。


 その身体が小刻みに震えていた。


 まるで親からの折檻に怯える子どものように。


 グレースはソファに腰かけると、身を乗り出してセバスチャンの両手に自分の手を重ねた。


「申し訳ありません、殿下。

 怯えさせるつもりはなかったのです。

 ですが、わたしの本心をわかってほしくて、ついきつい物言いになってしまいました。

 殿下、どうかご理解ください。

 この世には、誰かに尽くすことを生き甲斐にしている人間もいるのですよ。

 私腹を肥やすために殿下に近づく人間ばかりでは、きっとないはずです」


 セバスチャンがゆっくりと顔をあげ、いまにも泣き出しそうな表情でグレースを見上げた。


「私は、あなたになにも差し上げられないのに、ですか?

 あなたになにもお返しできないのに、ですか?

 それでいいと、あなたは仰るのでしょうか?」


 グレースはセバスチャンを安心させるために笑顔を作ってみせた。


「わたしは、殿下のおそばでお役に立てればなにもいりません。

 そう思っていましたが……。

 殿下相手に啖呵を切るなど……。

 とんでもない無礼を犯しました。

 どうか、お許しください」


 そっと手を離す。


「……殿下、やはり、わたしにはおそばにいる資格はないようです。

 殿下に罵声を浴びせる人間に、殿下を癒せるはずがなかったのです。

 殿下と対になって生まれてきた能力者……。

 そんな言葉に舞い上がってしまって、傲慢になっていました。

 治癒のちからが必要ないとわかったいま、わたしが城に残った意味はなかったんですね。

 わたし、家に帰ります」


 グレースがさっと踵を返そうとしたとき、その手がぐっと引かれた。


 その力強さにグレースは驚いて振り向いた。


 立ち上がったセバスチャンが真剣な眼差しでグレースを見下ろしていた。


 並ぶとグレースの身長はセバスチャンの肩ほどしかない。


「待ってください、グレース様。

 ……私は、あなたを信用してもいいのでしょうか?」


「そ、それは、殿下ご自身がお決めになることかと思いますが……。

 わたしは、殿下を裏切らない自信があります」


 セバスチャンは、心細さと猜疑心を宿した瞳でグレースの瞳を覗き込む。


「出会ったばかりのわたしを、手放しで信じろなんて言いません。

 ですが、殿下がもしわたしを必要としてくださるのでしたら、わたしは殿下のためにいくらでも尽くします。

 わずらわしくなったら、いつでも捨ててくださって構わないのですよ。

 わたしを、便利に使うことだって、いくらでもできます」


 腕を掴んだまま、セバスチャンは身動きしない。


 グレースも無言でセバスチャンをみつめていた。


 長い時間が流れた。


 ほうっとセバスチャンが息を吐く。


「私は、あなたを完全に信じることはできそうにありません。

 それでも、なぜかあなたをこのまま帰すのは気が進みません。

 あなたから手を離したら、もう二度と、あなたのような方に出会える機会はない気がします。

 あなたが私に呆れる日がくるまで、どうかそばにいてくださいませんか?」


 グレースが唇に笑みの形を作る。


「こんなわたしでよろしければ、殿下」


「グレース様……。

 嫌でしたら嫌と、遠慮せずに仰ってください」


「はい、そうします」


 グレースが笑うと、部屋でわだかまっていた冷たい空気が温かく解けていく気配がした。


 


「私は、幼いころから実験室で育ちました。

 大人たちに囲まれて、様々な実験をおこなわれ、学習は空いた時間に家庭教師に教わっていました。

 そのため、同年代の知り合いがいないのです。

 ですので、グレース様とも、どんな会話をしたらいいのか、さっぱりわかりません」


「『縁切り』の能力を消滅させるための実験、ですよね」


「……いえ」


 セバスチャンは口ごもりながらもつづけた。


「『縁切り』のちからを、軍事転用に使えないか、という実験です」


「軍事転用?」


 グレースの声が心なしか高くなる。


「グレンたち研究者は、軍から命を受けて実験をしているのです。

 私は、彼らのモルモットでしかないのですよ」


「能力を消滅させるというのは、表向きの建て前だということですか」


「ええ。

 私は忌み子ですから、どんなに乱暴に扱ってもかばったり助けてくれる城の者はいません」


 セバスチャンに水をかけたメイドを思い出す。


「王城の人たちから、いつもあんなにひどい扱いを受けているのですか」


「仕方のないことです。

 私は生まれてはいけなかった子どもですから」


 自分のことのように憤るグレースと、諦念の溜め息を漏らすセバスチャン。


「そんな、いじめじゃないですか。

 いい大人たちが、寄ってたかって嫌がらせをするなど、殿下に対する不敬もいいところです」


「いじめ、いじめなら、まだよかったのですが……」


「どういうことです?」


「私は昔から、暗殺未遂を何度も経験しているのです」


「暗殺?

 誰がそんなこと……」


 想像もしない単語にグレースはぐっと喉を詰まらせる。


「軍の幹部によって、です。

 この城には、国土拡大を目論む軍人と、私の頭を開いて脳を研究したいマッドサイエンティストしかいないのです。

 それでも、幸か不幸か、私はこうして生き延びています。

 正統な理由もなしに王位継承を認めないわけにはいきませんから、私の処遇に両親も頭を悩ませているのです。

 私も、私自身が正直怖くもあります。

 私の持つ能力が、どれだけ恐ろしいものか、自分でもわからないのですから」


「わたしが、殿下をお守りできたらいいのに……」


 グレースが呟くと、セバスチャンがはっとした表情になる。


 セバスチャンがグレースを穴が空くほどみつめていることに、グレースは気づかない。


「……グレース様」


 グレースが顔をあげる。


「お腹、空きませんか」


「え?」


 セバスチャンが視線だけで時計を示す。


 時刻は午後7時。


 今日はお昼ご飯を食べる余裕もなかった。


 思い出したようにグレースのお腹がきゅるきゅると鳴る。


 赤面しながらお腹を押さえると、セバスチャンが立ち上がって扉を開く。


 グレースも廊下を覗き込むと、かっちりとスーツを着込んだ若い男性が無表情で立ち尽くしているのが見えた。


「ジョン、夕飯の用意を頼みます。

 それから、私は婚約することにしました。

 婚約者のグレース様のお部屋を用意してさしあげてください」


 ジョンと呼ばれた男性は、無表情のまま「承知いたしました」とよく響く低い声で了承したことを伝えてきた。


「えっ、えっ、殿下、こ、婚約するって……」


 グレースはあまりの展開にしどろもどろになりセバスチャンの服を引っ張った。


「陛下に婚約のことも伝えておきます」


 そう告げるとジョンはすたすたと廊下を去っていく。


「殿下!」


「大丈夫です。

 婚約自体ははじめてではありませんから。

 両親も驚きません」


「そ、そういう問題では……」


「ですが、そうでも言わなければ、グレース様がこの城に滞在する理由がありませんから。

 申し訳ありませんが、婚約者のふりをしてくださいませんか」


「……わ、わかりました」


 自分でも、顔が熱を持って赤くなっていることがわかる。


 まだセバスチャンの服を掴んでいることに気付いてぱっとその手を離す。  


「し、失礼しました……」


 セバスチャンとグレースがソファに座って待っていると、10分も経たないうちに給仕のメイドが現れ、ガラスのテーブルの上に皿を並べていく。


 もちろん、グレースの分も用意されている。


 ハーブティーが入ったポットを置くと、メイドは頭ひとつ下げずに部屋を出ていった。


「……お食事は、いつもおひとりで?」


「ええ。

 ジョン、頼みます」


 すると、壁に貼り付くように気配を殺してメイドの様子を見守っていたジョンが、やはり無表情のままやってきて、セバスチャンの前に並べられた皿から、料理を一口含むと咀嚼した。


 グレースがその光景を唖然と眺めていると、数分置いたのち、ジョンがうなずいた。


「毒は盛られていないようです」


 その一言に、グレースは仰天した。


「ど、毒!?」


「いつものことです。

 ジョンは私の執事であり、毒見役なのです」


「では、私はこれにて失礼」


 さっぱりとした黒髪短髪の執事は険しい無表情を崩さないまま退室していく。


「では、いただきましょうか、グレース様」


「は……はあ。

 あの、ジョンさん、は殿下の味方なのですか?」


「味方?

 確かに、ジョンは私に無礼は働きませんが、それは私に興味がないからです。

 あくまで私の世話を焼くのは彼の仕事だからです」


「で、でも、毒見役なんて、ただの仕事でできるでしょうか」


「彼は孤児です。

 王城の使用人として職を得たことで、父上に忠誠を誓っていますが、どうやら彼は彼自身の命にも関心が薄いようなのです。

 なので、毒見役に選ばれたときも、彼は拒否しませんでした」


「そう、なんですか」


 釈然としないものを抱えて渋面を作っていると、「食べましょう」と食事のために敷かれたテーブルクロスに並べられたナイフとフォークを手に取る。


 テーブルの上にはストランドの伝統的な家庭料理が並んでいる。


 とはいえ、さすがというべきか食材は一般家庭で使われるそれとは明らかに違う。


 香ばしく焼き目がついた肉にナイフを差し入れると、ほろほろと柔らかく簡単に切ることができた。


 さすがは王城で提供される料理の品質は一級品だ。


「いただきます」


 グレースは一口に切り分けた肉を口に入れる。


「うん、美味しいです」


 甘めで柑橘系の香りがするソースがよく合っている。


 セバスチャンはサラダにフォークを突き刺して口に運んでいる。


 セバスチャンのナイフとフォークの使い方はマナーを徹底的に教育されたグレースから見ると、目を剥くほどにマナーを無視したものだった。


──お母様が見たら、ぱちんと手を叩いて怒りそう。


 しかし、その第1王子に相応しくない仕草が、彼がどれほど城の者に大切にされていないかを物語っていた。


 マナーなど、セバスチャンに教える者はいないのだ。


 両親も、乳母も、執事も、誰もセバスチャンに愛情を注いでいない。


──わたしが、お助けできたら。


 黙々と食事をつづけながら、グレースはそんな想いを強くした。


「誰かと食事をするなど、子どものころ以来で緊張しました」


 食後のハーブティーを飲みながら、しみじみとした口調でセバスチャンが言った。


「いつも、ひとりきりで……」


「私が食堂に行くと、みなを萎縮させてしまいますから。

 私とともに食事をしたがる者はいないのですよ。

 ひとりのほうが気が楽です」


 グレースの胸がきゅっと縮んで痛みを訴えた。


 この広い部屋で、来る日も来る日もひとりきりで、話しをする相手もおらず味気ない食事をしていたのかと思うと、不憫でならなかった。


 グレースは、両親と姉とで囲む温かな食事しか知らない。


 寒々しく孤独な食事など経験したことも、想像したこともなかった。


「殿下」


「はい?」


「失礼でなければ、これから食事をご一緒してもよろしいでしょうか」


 セバスチャンが探るような眼差しをグレースに向ける。


 磨き抜かれた宝石のような碧眼をグレースは緊張した面持ちで見返す。


「ええ、グレース様がよろしければ。

 誰かと他愛もない会話をしながら食事をするのも、楽しいものですね」


 セバスチャンの表情は変化に乏しく、まだなにを考えているのかわからなかったが、それでも拒絶されなかったことに、安堵したグレースは笑みを浮かべた。


 グレースがハーブティーを飲みながら夜のとばりが降りた窓の向こうを眺めていると、扉が不意にノックされた。


「失礼します。

 グレース様のお部屋の用意が整いましたので、ご案内いたします」


 慇懃な調子でそう言いながらジョンが部屋に入ってきた。


「そうですか。

 では、グレース様をよろしくお願いします」


 グレースは立ちあがると、「おやすみなさい」と挨拶し、部屋を出ようとする。


「おやすみなさい……」


 セバスチャンが不思議そうに呟いたのを聞いて、グレースは振り返る。


「殿下?」


 セバスチャンはひとりで、しきりにうなずいている。 


「おやすみなさい……。

 そうですね、明日も、会えるのですからね」


 セバスチャンはそう呟くと、不器用に唇の端を吊り上げた。


 美しい微笑みだった。


 グレースはなぜだか泣きそうになってしまって、セバスチャンへと近づくと、その両手を握った。


「明日も明後日も、わたしは殿下のもとからいなくなったりしません。

 殿下が心の澱を吐き出せる相手になれるよう、わたしも頑張ります」


 セバスチャンの手は、思いのほか大きく、温かかった。


「では、改めて、おやすみなさい、殿下」


「ええ、おやすみなさい、グレース様」


 ぎこちない笑みを向けてくるセバスチャンに笑い返し、グレースはセバスチャンの部屋を辞去した。


「4階にあるゲストルームをご用意しました。

 簡易ながらシャワールームもございます。

 そちらをお使いください」


 グレースを従えて廊下を歩きながらジョンは淡々と説明をする。


「お荷物はすでにその部屋に運んであります。

 王城の案内図も用意してありますから、迷わないようにお使いください」


 丁寧ながら平坦で突き放すような冷徹さをジョンの言葉からは感じてしまう。


 すると、突然ジョンが立ち止まり、くるりとグレースを振り向いた。


 そのまま、じっとグレースの顔を凝視する。


「……え?

 わたしの顔になにか……?」


 戸惑いつつもグレースがそう言うと、「いえ、失礼しました」とジョンは視線を逸らす。


「ただ……」


「ただ……?」


「はじめて、拝見したもので」


「なにをです?」


「セバスチャン様の、あのような穏やかなお顔を。

 私はセバスチャン様を子どものころから存じておりますが、あの方が笑われたところを見たことがありません」


「……え」


 笑ったことがない?


「私は、子どものときに拾われ、以来、執事になるべく教育されながらセバスチャン様とともにこの王城で育ってきました。

 その私が見たことがなかった笑顔を、出会って数時間のあなたが引き出した……。

 これは驚くべきことです」


 ジョンは切れ長で漆黒の瞳でグレースを再びみつめると、深く頭を下げた。


「どうか、あの方の心の支えになって差し上げてください。

 私ではできなかったことを、あなたならできるかもしれません」


「ジョンさん……ジョンさんは……」


──セバスチャン様の、味方なのですか?


 するとジョンが自嘲の笑みを作った。


「幼いころからともに育ってきたのです。

 情が移るのは当然のことでしょう。

 ただ、私では、あの方の支えになれなかった。

 あの方の固く閉ざされた心を開くことはできませんでした。

 でも、あなたなら……。

 ですから、どうか、あの方を裏切ることだけは、しないでください」


 グレースはなぜだか浮かんできた涙をそっと拭うと、何度もうなずいた。


「わかりました。

 できる限り殿下をお支えします」


「ありがとうございます、参りましょう」


 ジョンは冷徹な執事の顔に戻ると、なにごともなかったかのように歩きはじめた。





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