第51話 鬼の嫁入り、白無垢の宴と深夜の運動会
岐阜の城下町に粉雪が舞う中、堀尾屋敷は、早朝から戦場のような慌ただしさに包まれていた。
「兄上! 岩倉より父上と母上が到着されましたぞ!」
弟の氏光が、手拭いを頭に巻いて走り回っている。この純粋すぎる弟は、俺の結婚を一族最大の慶事と信じて疑わず、過剰なまでの奉仕活動を行っていた。
玄関へ向かうと、実家から到着した父・泰晴と、母上が立っていた。
「……見事な屋敷だ」
泰晴は、お館様から拝領した分不相応の屋敷を見上げ、満足げに頷いた。
「質実剛健。まさに戦国の世を生き抜く構えだ。……吉晴、よくぞここまで家を大きくしたな」
「はあ、まあ……」
母上は、俺の顔を見ると、複雑そうな、しかし安堵したような表情を浮かべた。
「……立派になりましたね。今日という日を迎えられたこと、あの子も草葉の陰で喜んでいるでしょう」
「母上、ありがとうございます」
俺は頭を下げた。重い。両親の期待と、死んだ本物への罪悪感が、祝言のプレッシャーと共にのしかかってくる。
俺は奥座敷の長持の陰に隠れたかったが、勘兵衛に引きずり出され、着せ替え人形のように紋付袴を着せられた
。
***
夕刻。
雪化粧をした庭を背景に、祝言の儀が執り行われた。
上座には仲人の木下藤吉郎・ねね夫妻。そして、俺の両親と、新婦側の親族がずらりと並ぶ。
そして、俺の隣には。
「……」
白無垢に身を包み、綿帽子を深く被った桔梗が座っていた。
息を呑んだ。
悔しいが、綺麗だ。
普段のキリッとした武道着姿も凛々しかったが、化粧を施し、伏し目がちに座るその姿は、どこからどう見ても深窓の令嬢だった。雪女のように透き通る肌、長い睫毛。
だが、俺は見逃さなかった。
彼女の懐のあたりが、妙に膨らんでいることを。懐紙にしてはデカすぎる。たぶん、短刀か何かを仕込んでいる。
さらに、背後の床の間には、嫁入り道具の「薙刀」が、鞘も払われた状態でギラギラと輝いている。
祝言の席に刃物。このミスマッチが、これからの俺の人生の困難さを物語っていた。
……三々九度
厳粛な空気の中、盃が交わされる。
俺の手は震え、酒が波打った。一方、桔梗は微動だにせず、スッと飲み干す。体幹が強すぎる。
儀式が終わり、披露宴となると、張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。
「ガハハ! めでたい! 茂助、てめえもついに年貢の納め時だな!」
すでに出来上がっている藤吉郎が、俺の背中をバシバシ叩く。
「いい嫁御寮じゃねえか! 織田家の親族だぞ。……粗相したら、俺の顔も潰れるからな! 分かってるな!」
「ひぃっ、分かってますよ……」
藤吉郎のプレッシャーに胃を押さえていると、今度は新婦側の席から、岩のような大男がぬっと立ち上がった。
桔梗の父、津田盛月殿だ。豪傑として知られる武人である。
「……堀尾殿」
「は、はいッ!」
「娘は、少々気性が荒いところがある。……だが、根は優しい子だ」
盛月殿は、ドボドボと俺の盃に酒を注いだ。表面張力の限界を超えている。
「もし娘を泣かせるようなことがあれば……この盛月、地獄の底まで追いかけて斬り捨てる所存。……ゆめゆめ忘れるな」
「ぎょ、御意ぃぃぃ!」
脅迫だ。これは結婚披露宴ではない。脅迫状の読み上げ会だ。
俺が一気飲みして噎せていると、今度はうちの親父(泰晴)がやってきた。
「吉晴。……見たか、津田殿の威容を」
泰晴は小声で囁いた。
「あの方と縁を結べたことは、堀尾家にとって千金の重みがある。……よいか、絶対に離縁などされるなよ。しがみついてでも添い遂げろ」
「……努力します」
逃げ場がない。
ふと見ると、母上が桔梗の隣に座り、何かを話している。
俺が耳をすませると、母上の静かな声が聞こえた。
「……あの子は、体ばかり大きくて、中身は子供のようなところがございます。……どうか、桔梗様の強さで、支えてやってくださいまし」
「……はい、お義母様」
桔梗が殊勝に頷いている。
母上……あんた、俺の中身を見抜いて、上手いこと保護者をお願いしてくれたのか。ありがとう、そしてすまない。
宴は進む。
竹中半兵衛が「お似合いですよ」とニヤニヤしながら酒を飲んでいたり、弟の氏光が「義姉上! その薙刀、どこで打たれたのですか!」と桔梗に武器談義をふっかけて目を輝かせていたり。
カオスだが、賑やかな宴だった。
俺は、自分が主役であることを忘れて、ただ「早く終わってくれ」と願いながら酒をあおり続けた。
***
夜が更け、客たちが千鳥足で帰っていく。
両親も「今日は宿に泊まる」と言って引き上げた。
祭りの後の静寂が、屋敷を包み込む。
そして、ついにその時が来た。
寝室。
行灯の薄暗い明かりの中、俺と桔梗は二人きりで向かい合っていた。
気まずい。俺は現代でも経験なんてもちろんなかった。リードしてくれないかな?
祝言の時の華やかな空気は消え、ピリピリとした緊張感が漂っている。
桔梗は正座したまま、膝の上に拳を置いている。俺も正座しているが、足が痺れて感覚がない。
「……あの、旦那様」
先に口を開いたのは、桔梗の方だった。
彼女は、意を決したように俺を見据えた。
「一つ、お許しいただきたいことがございます」
「は、はい! なんでしょうか?」
「……私は、普通の妻のようには振る舞えませぬ」
桔梗の声は、わずかに震えていた。
「幼い頃より武芸に励み、針仕事より薙刀の手入れが得意な女です。気も強く、口も減らない。……父からは『嫁に行ったら薙刀など捨てろ』と言われましたが、捨てられませんでした」
彼女は、床の間の薙刀を愛おしそうに、そして悲しそうに見つめた。
「これが私の魂であり、私そのものです。……このような武骨な女が妻では、堀尾家の恥になりましょう。もしお気に召さなければ、どうぞ離縁してくださいませ」
桔梗は深々と頭を下げた。
なるほど。彼女なりに、自分の男勝りな性格を気に病んでいたのか。今日の白無垢姿も、彼女にとっては窮屈な仮装だったのかもしれない。
ここで俺が「そんなことないよ」と優しく包み込んでやれば、夫婦の絆は深まるはずだ。
俺は、場の空気を和ませようと考えた。
そして、「俺は貴女の趣味を理解していますよ」というアピールをして、ご機嫌を取ろうとしたのだ。
「……気にすることないですよ。俺もほら、武士の端くれですし」
俺はへらっと笑った。
「むしろ、強い奥さんで頼もしいです。……そうだ、なんならアレですよ。俺にも、少し武芸を教えてくれませんか?」
これは、ただの社交辞令だった。
「今度飲みに行きましょう」くらいの、実現させる気のない口約束。
俺みたいなへっぴり腰にも、護身術くらい教えてくれればラッキーかな、程度の軽い気持ちだった。
だが。
その一言が、桔梗の中の「何か」に火をつけてしまった。
「……えっ?」
桔梗が顔を上げた。
その瞳が、行灯の光を反射して、カッと輝いた。
「旦那様……。今、なんと?」
「え? いや、だから……俺にも少し、教えてくれたらなーって……」
「本気……でございますか?」
桔梗が、にじり寄ってきた。
近い。香油のいい匂いがするが、それ以上に圧がすごい。
「私の武芸を……旦那様ご自身が、学びたいと?」
「あ、うん。まあ、暇な時にでも……」
「素晴らしい!!」
桔梗が叫んだ。
彼女は感動に打ち震え、俺の手を両手で握りしめた。
「なんと向上心のおありな方でしょう! 『鬼』と謳われながらも、妻の技をも吸収しようとする貪欲さ! そして、私の生き甲斐である武芸を共有したいという、深い愛情……!」
桔梗の目が潤んでいる。
待て。なんか話が大きくなってる。
「嬉しいですわ、旦那様! 夫婦で高め合う……これぞ武家の誉れ! 分かりました、この桔梗、全身全霊をもってお教えいたします!」
桔梗は立ち上がった。
そして、白無垢の打掛をバサリと脱ぎ捨てた。
下に着ていたのは、なんと動きやすい稽古着だった。
準備良すぎだろ。初夜に何するつもりだったんだ。
「……えっと、桔梗さん? あの、今日はもう遅いし……」
「武芸に時を選んでいては生き残れません! 敵は寝静まった頃にやってくるのです!」
桔梗は、床の間の薙刀を手に取り、俺に木刀を押し付けた。
「さあ、立ちなさいませ! まずは足腰の鍛錬から始めます!」
「ええっ!? 今から!?」
「祝言の夜に汗を流し、絆を深める……。最高ではありませんか!」
最高じゃない。最悪だ。
俺は抵抗しようとしたが、桔梗の笑顔は、有無を言わせぬ「鬼教官」のそれだった。
それから、地獄の時間が始まった。
「腰が高い! もっと落として!」
「ひぃぃぃ! 膝が笑ってる!」
俺は、寝室の真ん中で四股踏みをさせられていた。
回数はすでに百を超えている。太ももがプルプル震え、感覚がない。白無垢を脱ぎ捨てた花嫁に、深夜にスクワットをさせられる新郎。どんなプレイだ。
「いいですか、すべての武芸は下半身から! 大地に根を張るように!」
「む、無理です! 俺、インドア派なんで……!」
「泣き言を言わない! 旦那様の『鬼』の名が泣きますよ!」
桔梗は容赦なかった。どっちが鬼だよ。
彼女は薙刀の柄で、俺の姿勢の悪いところをビシバシと叩く。痛い。愛の鞭が物理的に痛い。
「次は体幹です! 私がお腹に乗りますから、耐えてください!」
「はあ!? 乗る!?」
俺は仰向けに寝かされ、その腹の上に桔梗が正座した。
重い。ただ苦しい。
この状態で腹筋に力を入れ続けろと言うのだ。
「ぐぐぐ……! 出ちゃう! 今朝のの祝い酒が出ちゃう!」
「耐えて! 丹田に気を込めるのです!」
桔梗は真剣そのものだ。
彼女にとって、これは愛の共同作業なのだ。夫を鍛え、強くすることが、妻としての最大の奉仕だと信じている。
俺の軽率な一言が、彼女のスイッチを完全に押してしまったのだ。
***
翌朝。
小鳥のさえずりと共に、朝日が差し込んだ。
俺は、布団の上で死体のように転がっていた。
全身が痛い。指一本動かせない。筋肉痛の向こう側に到達してしまった。
「……おはようございます、旦那様」
隣で、桔梗が爽やかに微笑んでいた。
彼女は肌艶もよく、運動後のような清々しさを漂わせている。
「昨夜は……素晴らしかったですわ」
「……俺は……死ぬかと……」
「ふふっ。旦那様の底知れぬ体力、感服いたしました。……これなら、毎晩でもお付き合い願えそうですわね」
悪魔か。
毎晩こんなことをされたら、俺は一週間で過労死する。
そこへ、廊下から三太夫と但馬の声が聞こえてきた。
「若! 起きておられますか! 朝餉の支度ができておりますぞ!」
家臣たちが、ニヤニヤしながら障子を少し開けた。
彼らの目に映ったのは、乱れに乱れた布団、汗だくでぐったりしている俺、そして艶やかに微笑む桔梗の姿だった。
「おお……! やはり!」
「若……あんなにお疲れになるとは……」
「奥方様も満足げなご様子。……相当、激しかったようですな」
三太夫たちが、赤面しながら顔を見合わせる。
違う。
激しかったのは筋トレだ。四股と腹筋だ。
だが、俺には弁解する気力も残っていなかった。
「……水」
「はい、旦那様」
桔梗が甲斐甲斐しく水を飲ませてくれる。
その様子を見て、家臣たちは「アツアツですな」と勘違いを深めて去っていった。
こうして、俺の新婚生活は始まった。
俺の安易な発言のせいで、夜は地獄のトレーニングタイムと化した。
だが、桔梗がこれほど嬉しそうなら、まあ、いいか……とは、とても思えない全身の痛みだった。
「……今日の夜は、絶対に寝たふりをしてやる」
俺は固く心に誓い、二度寝の淵へと沈んでいった。
俺の戦国ライフに、筋肉痛という新たな敵が加わった瞬間だった。
(第二部・完)
これにて、第二部完です。
明日は幕間を投稿し、明後日から第三部「京・上洛編」を投稿します。
本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
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