第43話 久しぶりの実家、弟の成長と政略結婚の罠
清洲城で信長様から面倒くさい任務を与えられた俺は、藤吉郎から短い休暇が与えられた。
「せっかく尾張に戻ってきたんだ。岩倉に行ってこい。三人衆の説得が本格化する前に、精気を養ってこい」
藤吉郎はそう言ったが、その目は「今のうちに休まないと、次は死ぬほど働かせるぞ」と告げていた。
俺は、愛馬の「軽トラ」に跨り、護衛の三太夫たちを引き連れて、久しぶりの岩倉街道を進んでいた。
「……半年ぶり、か」
俺は、色づいた山々を見ながら呟いた。
美濃攻略が始まってからというもの、現場に張り付きっぱなしで、実家には顔を出せていなかった。それ以前も、仕事にかまけて足が遠のきがちだった。
「若! 見えてきましたぜ! 懐かしの岩倉だ!」
三太夫が声を上げる。
俺の心は少し重かった。あの時の母上の拒絶。そして、「吉晴」という他人の人生を生きる罪悪感。時が経ち、何度か顔を合わせてはいるが、その溝は埋まるどころか、俺が武功を立てるたびに深まっている気がする。
***
堀尾屋敷の門前に着くと、門が新しく修繕されていた。
「たのもー。……吉晴だ。戻ったぞ」
俺が声をかけると、中からバタバタと足音がして、一人の若武者が飛び出してきた。
「兄上ッ!!」
背が高い。俺よりは低いが、当時の平均よりは頭一つ抜けている。
筋肉質で、日焼けした精悍な顔立ち。
弟、氏光だ。
今は十六歳。元服を済ませ、立派な武士になっていた。
「おお、氏光か。……デカくなったな」
「兄上こそ! ますます『鬼』の風格が増されましたな!」
氏光は目を輝かせて俺を見上げている。
六年前の可愛らしさは消え、今は力への渇望が全身から溢れている。ヤンキー漫画に出てくる喧嘩の強い兄貴を慕う弟分みたいだ。
「母上と父上は?」
「奥におられます! さあ、早く!」
俺は氏光に手を引かれ、屋敷の中へと入った。
広間には、父・泰晴と、母上が座っていた。
父上は、髪に白いものが混じり、少し老けた気がする。だが、その眼光の鋭さは変わらない。
そして、母上。
彼女は、俺の顔を見ると、静かに頭を下げた。
「……お帰りなさいませ、吉晴『殿』」
以前のような拒絶の悲鳴はない。
だが、その丁寧すぎる言葉遣いが、俺たちの間に横たわる「壁」を感じさせた。
彼女の中で、俺は息子として受け入れられたのではないのだろう。
「……ただいま戻りました、母上」
俺も、他人行儀に頭を下げた。
これが、この家の「平和」の形なのだろう。
***
その夜。
久しぶりの家族団欒。
食卓には、俺の好物が並んでいた。お手伝いさんの爺が俺の好みを研究してくれたらしい。
「兄上! 聞きましたよ! 墨俣に城を一夜で築いたとか!」
氏光が、興奮して身を乗り出してきた。
「川並衆という荒くれ者を手懐け、激流を下り、敵の目の前で城を組み上げた……。巷では『伝説の墨俣一夜城』と呼ばれておりますぞ!」
「……なんだそれは。」
俺は苦笑いした。
氏光は、俺の誤解された武勇伝を全て収集しているらしい。
「私も早く、兄上と共に参りたいです! いつ呼んでくださるのですか!」
「……まだ早い。お前は家の守りをしろ」
「なぜですか! 私だって剣術は道場一番です! 兄上の背中を守る盾になりたいのです!」
氏光が食い下がる。
若い。そして危なっかしい。
戦場を知らない子供の目だ。俺は、泥と血の味を知っている者の責任として、彼を止めた。
「ダメだ。……戦場は、お前が思っているような格好いい場所じゃない。泥臭くて、痛くて、惨めな場所だ」
「兄上……」
「それに、お前までいなくなったら、誰が父上と母上を守るんだ?」
俺が言うと、氏光は不満そうに口を尖らせたが、反論はしなかった。
ふと、父・泰晴が口を開いた。
「……吉晴。氏光の気持ちも分かるが、お前の言う通りだ」
泰晴は、茶を啜りながら言った。
「今、織田家は拡大の一途を辿っている。だが、急激な拡大は歪を生む。……家中の派閥争い、新参と古参の確執。お前も感じているだろう?」
ドキリとした。
そうだ。柴田様や佐久間様といった古参と、藤吉郎のような新参の間に流れる冷たい空気。俺もそれに巻き込まれつつある。
「氏光を戦場に出すのは、まだ早い。……お前がもう少し、確固たる地位を築いてからだ」
親父殿は、冷静に情勢を見ていた。
俺が出世頭だからこそ、弟を安易に動かして弱みを作りたくないのだ。
「それに……」
泰晴は、チラリと母上を見た。
母上は、黙って食事を続けている。だが、その箸を持つ手が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
「……そうですね。俺がもっと偉くなって、安全なポストを用意できるまで待ってくれ」
俺は氏光に言った。
氏光は「……はい」と渋々頷いた。
食後。俺は父・泰晴に呼ばれて、奥の間へ行った。
そこには、帳簿と、一枚の書状が置かれていた。
「吉晴。……一つ、重要な話がある」
泰晴の顔が、昨夜よりも真剣だ。
「縁談だ」
ゲッ。
俺は茶を吹き出しそうになった。
「……え、俺にですか? 今さら?」
「今だからだ。お前が出世し、墨俣での功績で名も売れた。……そこで、津田家から話が来た」
「……津田?」
俺は首を傾げた。
津田……ツダ……。
どこかで聞いたような?
「どこのどなたですか? 地元の地主さんとか?」
俺が間抜けな質問をすると、泰晴は呆れた顔をした。
「馬鹿者。津田家といえば、お館様の縁戚にあたる名家ではないか。」
「あっ」
俺は声を上げた。
思い出した。あの、高級住宅街の立派な屋敷。
壊れた味噌樽の謝罪に行って、白湯をもらった、あの家だ。
「……まさか、あそこの?」
「そうだ。津田盛月殿の娘御。名は、桔梗殿だ」
桔梗。
その名前を聞いた瞬間、俺の脳裏に鮮烈な映像が蘇った。
紅葉の庭。鋭い風切り音。そして、俺に向けて放たれた冷ややかな眼光。
『誰じゃ!』と薙刀を突きつけてきた、あの美少女だ。
「……マジかよ」
俺は顔面蒼白になった。
あの人かよ。
確かに美人は美人だったが、気性が激しいなんてもんじゃない。俺を不法侵入者として斬り捨てようとした人だぞ。
しかも、男も縛られてるなんて適当なことを言って、変に気に入られてしまったような……。
「……なぜ、俺なんです? 釣り合いが取れないでしょう。相手は織田家の親族、こっちは元敵方の家臣ですよ?」
「普通ならな。……だが、これは『政治』だ」
泰晴は声を潜めた。
「我ら堀尾家は、かつて信長様に敵対した岩倉織田家の家臣だ。今は従っているとはいえ、古参の家臣たちからは『外様』として冷ややかな目で見られている」
確かに。柴田様や佐久間様からの当たりの強さは、そこにも原因があったのか。
「一方で、岩倉の旧臣たちは、肩身の狭い思いをしている。……そこで、岩倉出身の中でも出世しているお前と、織田の縁戚である津田家を結びつけることで、旧臣たちのガス抜きと、融和を図ろうというのだ」
なるほど。
俺の結婚は、ただの潤滑油というわけか。
ロマンもへったくれもない。完全にビジネスだ。
「……向こうは、俺のこと知ってるんですか?」
「ああ、『あの変わった男か』と笑っておられたそうだ」
覚えられてた。
しかも変わった男認定されていた。
「『力持ちだが、欲がなく、話のわかる男だった』とな。……あちらも乗り気だ」
俺は頭を抱えた。
あの時、カッコつけて「男も縛られてる」とか語っちゃったのが仇になったか。
でも、あの人と結婚?
毎日薙刀の稽古に付き合わされたり、サボってるところを見つかって怒られたりする未来しか見えない。
「……断れませんよね?」
「断れば、岩倉の者たちの立場が悪くなる。……それに、お前ももういい歳だろう。身を固めろ」
痛いところを突かれた。
「……分かりました。受けますよ。武士ですから」
俺は諦めの溜息をついた。
泰晴は「うむ」と満足げに頷いた。これで家の安泰は守られた、という顔だ。
***
翌朝。
俺が出発の準備をしていると、母上がやってきた。
手には、小さな包みを持っている。
「……吉晴殿」
「はい、母上」
「これを。……道中の足しに」
渡されたのは、握り飯と漬物だった。
母上は、俺の目を見ずに言った。
「……津田家との縁談、聞きました。……あの子なら、恐れ多くて逃げ出したでしょうね」
母上は自嘲気味に笑った。
「桔梗殿は、武家の女として育てられた、強い方だと聞きます。……貴方様のような、図太い方でなければ、務まらないでしょう」
それは、初めて母上が俺に見せた肯定のようなものだった。
息子ではない。だが、この乱世を生き抜き、家を守り、嫁をもらい受ける次期当主としては、認めてくれたのだ。
「……任せてください。俺は、しぶといですから」
俺は包みを受け取り、頭を下げた。
帰り道。
俺は「軽トラ」に揺られながら、清洲への道を急いだ。
「……結婚、か」
顔も知っている。性格もだいたい知っている。
美人だが、劇薬のような女性。
俺の戦国ライフに、新たな爆弾が投下されようとしている。
「……ま、なるようになるか」
俺は握り飯を齧った。
塩気が強くて、美味かった。
清洲城が見えてきた。
あそこには、藤吉郎がいる。信長がいる。半兵衛がいる。
そしてその先にはまだ見ぬ未来が待っている。




