第36話 死のプレゼン、沈黙は金なり、雄弁は首を賭ける
清洲城大広間には、重苦しい湿気と、それ以上に息の詰まるような殺気が充満していた。織田家の重臣が集まる軍議、評定の場である。
俺は、末席の方で小さくなっていた。本来なら俺ごときが顔を出せる場所ではないが、最近は藤吉郎とセットで呼び出されることが常態化していた。
上座には、魔王・織田信長。その不機嫌さは頂点に達していた。扇子で畳を叩く音が、広間に乾いたリズムを刻んでいる。
「……佐久間。柴田。……またしても、か」
信長の低い声が響く。筆頭家老の佐久間信盛と、猛将・柴田勝家が、脂汗を流して平伏している。
「面目次第もございません……。敵地・墨俣は泥深く、足場が悪いうえに、美濃勢の妨害が激しく……」
「杭一本打つ隙も与えられず、撤退いたしました……」
二人の重臣が、言い訳にもならない報告をする。
無理もない。敵の目の前で城を作ろうなどという計画自体が、土台無理な話なのだ。現代のゼネコンだって、紛争地帯のど真ん中でビルを建てろと言われたら断るだろう。
「言い訳はよい」
信長が扇子を閉じた。パチン、という音が、処刑の合図のように聞こえた。
「金も、資材も、時間も費やした。だが、城は建たぬ。……織田家には、あの泥沼一つ制する能のある者はおらんのか!」
怒号が飛ぶ。重臣たちは一斉に下を向いた。誰も目を合わせようとしない。失敗すれば、ただでさえ気難しい信長の逆鱗に触れる。貧乏くじを引きたくないのだ。
覚悟を決めたはずだった俺も、流石にこれは一瞬で日和った。全力で気配を消した。壁になれ。俺は柱だ。ただのデカい置物だ。
だが、俺の隣で、空気を読まない男がスッと手を挙げた。
「……お館様。それがしにお任せくだされ」
藤吉郎だ。
広間がざわめいた。「猿が何を言うか」「農民上がりが」「身の程知らずめ」という嘲笑と、呆れの空気が流れる。
柴田勝家が顔を上げて睨みつけた。
「藤吉郎! 控えろ! このわしですら成し得なかった難事だぞ。貴様ごときに何ができる!」
「左様。兵を無駄死にさせるだけだ」
佐久間信盛も冷ややかに言い捨てる。だが、藤吉郎は引かなかった。むしろ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、信長を見据えた。
「お館様。……佐久間様は三千の兵で六十日、柴田様は五千の兵で挑みましたが、失敗なされました」
「ほう。……ならば貴様は、一万の兵と半年の時を欲するか?」
信長が試すような目をする。藤吉郎は首を横に振った。
「いいえ。……兵は五百。五百の兵をお預けいただければ十分でございます。期間は……七日。七日いただければ、城を築いてご覧に入れます」
ドヨォォォォン……。
広間が、爆発したような騒ぎになった。
「七日だと!?」
「気でも触れたか!」
「五百の兵で何ができる! 資材を運ぶだけで終わるわ!」
罵倒の嵐だ。当然だ。物理的にありえない。俺は横で、胃が雑巾絞りされるような痛みに耐えていた。言っちゃったよ。この人、本当に言っちゃったよ。
「……静まれ」
信長の一声で、場が静まり返る。信長は、興味深そうに身を乗り出した。
「藤吉郎。……大言壮語は重罪だぞ。七日で城を建てるなど、天狗か修験者の妖術でもあるまいし。……如何なる策がある」
信長の目が光る。「策を言ってみろ」と促している。
藤吉郎が口を開きかけた。
「はっ、それは……」
俺は、とっさに藤吉郎の袴の裾を強く踏んづけた。
(……言え! 早く全部言っちゃえよ! 怪しまれる前に!)
俺は目線で訴えた。信長様は気が短い。「実は山でプレハブ作ってます」って言えば、「ほう、面白い」ってなるかもしれないじゃないか。早く楽にしてくれ。
だが、藤吉郎は俺の足を踏み返し、口を閉ざした。
彼の目が、油断なく周囲の武将たちを巡った。この場には、何十人もの武将がいる。その中には、敵国・美濃に通じている者や、間者が紛れ込んでいるかもしれない。
もしここで「上流で加工した木材を川で流します」なんてネタ晴らしをしたら、作戦は筒抜けだ。川を封鎖されて終わりだ。
藤吉郎はニッと笑い、言葉を飲み込んだ。
「……策はございますが、ここでは申せませぬ」
「何?」
「壁に耳あり、障子に目あり。……敵に知られれば、全ては水泡に帰しますゆえ」
藤吉郎は、もったいぶって言った。重臣たちが「生意気な」「ただのハッタリだろう」と騒ぎ出す。
だが、信長は口元を緩めた。
「……よかろう。策は問わぬ」
信長は扇子で藤吉郎を指した。
「だが、失敗は許さん。……もし七日で城が建たねば、どうする」
来た。魔王の裁定だ。
「その時は……この首を差し出します」
藤吉郎が平伏する。俺は「まあ、そうなるよな」と他人事のように聞いていた。だが、次の瞬間、信長の扇子が、俺の方を向いた。
「……茂助。貴様もだ」
「へ?」
俺は間の抜けた声を出した。
「貴様は藤吉郎の知恵袋。……この無謀な策、貴様の入れ知恵であろう?」
いや、今回は俺じゃないです。今度は嘘じゃないっす。
「一蓮托生だ。……失敗せば、猿諸共、その首を刎ねる。よいな」
拒否権はない。俺は、ガタガタ震える膝を抑えつけ、声を絞り出した。
「……ぎ、御意……」
決まってしまった。成功すれば英雄。失敗すれば死刑。デスゲームの開幕だ。
***
評定が終わると、重臣たちは俺たちを冷ややかな目で見下しながら去っていった。
「フン。精々、泥の中で足掻くがよい」
「七日後に、さらし首になるのを楽しみにしておるぞ」
佐久間と柴田が、捨て台詞を吐いていく。彼らにとって、俺たちの成功は、自分たちの無能の証明になる。内心では失敗を願っているのだろう。嫌な職場だ。足の引っ張り合いばかりだ。
俺が回廊をトボトボと歩いていると、背後から声をかけられた。
「よう! 派手にぶち上げたな!」
振り返ると、派手な着流しの男――前田犬千代(利家)が立っていた。彼は数年前の森部の戦いでの功績が認められ、無事に織田家に復帰していた。今は「赤母衣衆」というエリート部隊の筆頭らしい。
「犬千代様……」
「見てたぞ。お館様の前であんな大見得を切るとは、いい度胸だ」
犬千代はバシバシと俺の背中を叩いた。
俺は何も言ってないけど……。
「俺は好きだぜ、そういう無茶な賭けは。……だが、大丈夫なのか? 五百人で七日だぞ?」
「……まあ、やるしかありませんから」
俺が力なく答えると、犬千代の横から、もう一人の若武者が顔を出した。精悍な顔立ち。育ちの良さと、野性味を兼ね備えた男だ。
「前田。あまり絡むな。……彼らは今、死地に赴こうとしているのだ」
その若武者は、俺と藤吉郎を真剣な眼差しで見た。
「私は池田恒興。……貴殿らの噂は聞いている」
「おお、勝三郎様!」
藤吉郎が頭を下げた。
イケダ・ツネオキ?
俺は首を傾げた。誰だそれ。また知らないキャラが出てきた。
信長様の乳兄弟で側近中の側近らしいが、俺の知っている戦国スター列伝には入っていない。真田幸村とか伊達政宗とか、もっとメジャーな奴は出てこないのかよ。この職場、モブキャラが多すぎる。
「……茂助、と言ったか」
恒興が俺を見た。
「お館様は、気まぐれで貴殿らに命じたのではない。……期待しておられるのだ。古いやり方では、美濃は落とせぬとな」
恒興は、懐から小さな包みを取り出し、藤吉郎と俺に手渡してきた。
「これは?」
「……良い薬だ。気付けになる。無理をするなとは言わんが、死ぬなよ」
恒興はそれだけ言うと、犬千代を促して去っていった。犬千代は「死ぬなよ! また酒飲もうぜ!」と手を振ってくれた。
「……いい人たちですね」
俺は包みを握りしめた。古い重臣たちは俺たちを嫌っているが、若手の武将たちは、新しい風を期待してくれているようだ。それが、少しだけ救いだった。
なお、あとから聞いたが、貰った薬は鼻詰まりに効くものらしい。
……少し格好いいモブかと思いきや、やっぱりわけわからんやつだった。
***
長屋に戻った俺は、すぐに部下たちを招集した。三太夫、勘兵衛、但馬の幹部三人。
「……というわけで、俺たちの命の期限は、あと一週間ちょっとになった」
俺が事情を話すと、三太夫が嬉しそうに刀を抜いた。
「へっ! 痺れますねえ! 首を賭けた大仕事、燃えてきやがった!」
但馬も真面目な顔で頷く。勘兵衛だけが、青ざめて紙を握りしめている。
「勘兵衛、計算は後だ。……行くぞ」
俺は立ち上がった。もう後戻りはできない。山奥の工場で作ったパーツを、川に流す時が来たのだ。
外は、夕立が降り始めていた。雨の匂いがする。俺の偏頭痛が、作戦開始の合図を告げている。
「……頼むから、雨漏りしない城にしてくれよ」
俺のささやかな願いと共に、伝説のプロジェクト・スノマタは、水面下から表舞台へと姿を現そうとしていた。




