第13話 軍神の占い、またはオセロ賭博の熱狂
季節外れの雨は、しつこいストーカーのように清洲城下に居座り続けていた。
来る日も来る日も雨。
長屋の壁には青カビが生え、俺たちのふんどしは生乾きの雑巾のような臭いを放っている。
「……湿気でキノコが生えそうだ」
俺は、長屋の柱にもたれて死んだような目をしていた。
外での訓練は中止。かといって城外に出ることも許されず、狭い長屋に男たちが缶詰状態になっている。ストレスと湿度が限界突破していた。
だが、この陰鬱な長屋の中で、一箇所だけ異様な熱気を帯びている場所があった。
「そこだ! 挟め!」
「うわああっ! 角を取られたァ!」
「次! 次の挑戦者は誰だ!」
部屋の中央。俺が暇つぶしに考案した「オセロ」が、木下組の中で爆発的なブームを巻き起こしていた。
最初は俺と藤吉郎だけでやっていたのが、見ていた弥七たちが真似し始め、さらには噂を聞きつけた他の組の足軽までが「俺にもやらせろ」と押しかけてきているのだ。
娯楽のない戦国時代。
シンプルかつ奥が深く、短時間で勝負がつくこのゲームは、退屈を持て余した荒くれ者たちの心を鷲掴みにしたらしい。
「……茂助様。お願いします、一番手合わせ願います!」
屈強な男が、俺の前に盤を置いて土下座した。
丹羽長秀様の隊に所属する、強面の足軽だ。手には、賭け金代わりの干し柿が握られている。
「嫌だ。面倒くさい」
俺は即答した。
もう何十回もやった。飽きた。俺はただ寝ていたいのだ。
「そこを何とか! 『鬼の茂助』に勝てば、戦での運が開けると評判なんです!」
「なんだそのジンクス。俺は神社か」
断ろうとしたが、弥七が横から「茂助様、干し柿ですよ! 甘味ですよ!」と耳打ちしてきた。
……甘味。
兵糧作りで焦げた味噌味ばかり食わされていた俺の舌が、反応してしまった。
「……一回だけだぞ」
俺はのっそりと起き上がった。
周囲の足軽たちが「おおっ!」とどよめき、人垣を作る。まるでタイトルマッチだ。
パチッ。パチッ。
石を置く音が響く。
俺は黒。相手は白。
俺は何も考えていなかった。定石通りに打ち進め、相手がミスをしたらそこを突く。ただの作業だ。
だが、その無表情で機械的な手つきが、周囲には「深淵な読み」に見えるらしい。
「……速い。迷いがない」
「盤面全体が見えているのか……」
「まるで、未来を知っているかのようだ」
勝手に解説が入る。
ただの「慣れ」だっつーの。
パチッ。
俺が最後の一手を打った。
盤面は黒一色に近い状態で埋め尽くされた。圧勝だ。
「ま、参りましたぁ……!」
男が崩れ落ちる。
俺は干し柿をひったくり、口に放り込んだ。甘い。渋みもあるが、今の俺には極上のスイーツだ。
「ごちそうさん。もう寝る」
俺がゴロンと横になると、周囲から割れんばかりの拍手が起こった。
何なんだ、この空間は。
いつ今川の大軍が来るかもしれないというのに、俺たちは石遊びに興じている。
これが「平和ボケ」というやつか。いや、現実逃避か。
***
夕方。
城に上がっていた木下藤吉郎が、興奮した様子で戻ってきた。
濡れた蓑を脱ぎ捨てるなり、俺の肩をガシッと掴む。
「おい茂助! 大変なことになったぞ!」
「なんですか。また排水溝掘りですか?」
「違う! 『オセロ』だ! お館様が興味を持たれた!」
俺は吹き出しそうになった。
「はあ? 信長様がオセロを?」
「ああ! 俺が先日、この盤を見せたろう? そうしたら今日、お館様が『あの石遊び、吉凶を占うのに使えるかもしれん』と仰ったんだ!」
藤吉郎の話によるとこうだ。
信長は、白黒の石を置き換える様を見て、「戦況の変化」を連想したらしい。
そして、あろうことか「今川との戦の行方を、この石で占ってみよ」と言い出したというのだ。
「……で、誰が占うんですか?」
「決まってんだろ! 考案者のてめえだ!」
藤吉郎が俺の顔を指差した。
「明日の朝、軍議の席で、てめえが『織田軍(白)』を持って、今川軍(黒)と対戦するんだ! そこで勝てば『吉兆』、負ければ……まあ、縁起が悪いってことで斬られるかもな」
「斬られるかもな、じゃないですよ!!」
俺は叫んだ。
なんだそのロシアンルーレット。
たかがボードゲームの勝敗に、自分の命と、織田家の士気が懸かる?
責任が重すぎる。胃に穴が空きそうだ。
「あ、相手は誰ですか……?」
「柴田勝家様だ」
「は?」
「柴田様もこの遊びにハマっててな。腕に自信があるらしい。『今川軍(黒)の役、この勝家が引き受けよう』と名乗り出た」
終わった。
柴田勝家。織田家筆頭家老にして、猛将中の猛将。
そんな人が相手で、しかも俺は「絶対に勝たなきゃいけない」状況。
もし俺が勝ったら、「柴田様に恥をかかせた」と恨まれるかもしれない。
もし俺が負けたら、「不吉な占いを出した」として信長に殺されるかもしれない。
どっちに転んでも地獄だ。
これが戦国クオリティ。現代の「接待ゴルフ」どころの騒ぎじゃない。命がけの接待オセロだ。
***
その夜。俺は一睡もできなかった。
雨音を聞きながら、天井の節穴を見つめ続ける。
どうすればいい?
一番いいのは、「接戦の末に、ギリギリで織田軍(白)が勝つ」という展開だ。
これなら、柴田様の顔も立つし、信長様も「苦戦するが最後は勝つ」という予言に満足するだろう。
だが、そんな器用なことができるか?
相手の実力が未知数なのに、手加減して接戦を演じるなんて、俺はプロじゃねえっての。
「……やるしかねえ。俺の生存本能フル稼働で、盤面をコントロールするんだ」
俺は覚悟を決めた。
ニート時代、オンラインゲームで培った「空気を読むチャット力」と「接待プレイ」の経験。
それが今、試されている。
***
翌朝。
雨は小降りになっていたが、空はまだ重く垂れ込めていた。
清洲城の大広間。
重臣たちがずらりと並ぶ中、中央に置かれたのは、誰が作ったのか豪華なオセロ盤だった。
上座には信長。
対面には、鬼のような顔をした柴田勝家。
そして、その向かいに、震える子猫のような俺。
「始めよ」
信長の短い号令で、世紀の茶番……いや、神聖なる占いが始まった。
柴田様が黒(今川)。
俺が白(織田)。
先手は黒だ。
パチッ。
柴田様が石を置く。
力強い。石が割れそうだ。
パチッ。
俺も置く。手汗で石が滑りそうだ。
序盤は静かに進んだ。
柴田様は、意外にも慎重な打ち手だった。奇をてらわず、着実に石を増やしていく。
強い。
初心者特有の「とにかくたくさん取る」という欲がない。じっくりと構えている。
(……マズい。普通に強いぞ、この人)
俺は冷や汗をかいた。
手加減どころじゃない。本気でやらないと負ける。
だが、本気でやって圧勝してもマズい。
中盤。
盤面は黒(今川)が優勢になってきた。
「……ふむ。やはり今川は強大か」
信長がポツリと呟く。
広間の空気が重くなる。
やばい。このまま負けたら、「敗北の予言者」として俺の首が飛ぶ。
俺は必死に頭を回転させた。
勝つ道筋を探す。
柴田様の打ち筋には、一つだけ癖があった。
「形を整える」ことに固執しすぎて、自分の内側が手薄になるのだ。
(……ここだ)
俺は一か八かの勝負に出た。
あえて、自分の石を大量に取らせる手を打った。
ここまで我慢していただろうが、この『絶好の餌』には食いつくだろう。
「ほう! 自滅か茂助!」
柴田様が嬉々として俺の石をひっくり返す。盤面は真っ黒になった。
周囲から「ああっ……」と落胆の声が漏れる。
だが、これでいい。
俺は「角」を取るためのラインを通した。
終盤。
俺の逆襲が始まった。
パチッ。
角を取る。
そこから、取られない石を増やしていく。
「むっ……!?」
柴田様の顔色が変った。
置く場所がない。
俺があえて取らせたことで、黒石が邪魔になり、柴田様の打てる手が限定されていたのだ。
「手詰まりですね」
俺は小声で言った。
柴田様が呻く。
俺は連続で石を打つ。
白が、黒を侵食していく。
オセロの醍醐味、大逆転劇だ。
パチッ。
最後の一手。
白(織田)の僅差勝ちだ。
「……勝負あり」
信長の声が響いた。
静寂。
そして、次の瞬間。
「おおおおおお!」
重臣たちから歓声が上がった。
「勝った! 織田が勝ったぞ!」
「大軍を相手に、最後の大逆転……!」
「これぞ吉兆! 我らは勝てる!」
興奮の坩堝と化す広間。
俺はへなへなと座り込んだ。
勝った。なんとか勝った。
柴田様を見ると、悔しそうに、しかし清々しい顔で頷いていた。
「……見事だ、茂助。わしの完敗だ。……この勝負、まるで戦場において地形利用する兵法を見るようであった」
え? 地形? 兵法?
「大軍ゆえに動きが取れず、小勢に一点突破を許す……。貴様、この盤上で兵法を説いたか」
買いかぶりです。ただのオセロの定石です。
信長が立ち上がった。
その目には、燃えるような野心が宿っていた。
「聞いたか、皆の者! 軍配は上がった! 天は我に味方する!」
信長が扇子を開き、高らかに宣言した。
「雨が上がり次第、敵は出陣するはずだ! 今川義元の首、この手で挙げるぞ!」
オーッ!!
鬨の声が上がる。
城内の士気は最高潮に達した。
俺は安堵のため息をつき、こっそりと広間を抜け出した。
外に出ると、雨が小降りになっていた。
雲の切れ間から、薄日が差している。
「……止んだか」
俺は空を見上げた。
この雨が上がれば、地面が乾く。
地面が乾けば、軍隊が動く。
俺の「接待オセロ」が、最後のひと押しをしてしまった。
もう止まらない。
俺は、懐に入れた干し柿をかじった。
甘い。
だが、その甘さは、これから始まる血生臭い現実を誤魔化すには、あまりに頼りなかった。
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