表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/62

ツヨシ(10)

「俺は……」

 無意識に口に出していた。というか、頭の中がぐちゃぐちゃだ。何を考えて、何をしているのか、自分でも分からない。


 誰が殺した?

 誰を殺した?

 何故、どうやって、いつ、何処で。

 殺した。

 お前が、お前を。あいつが、お前を。

 お前が、あいつを。

 ――殺した。


 昔、兄と過ごしていた部屋。

 そこに、兄がうつ伏せて眠っている。

 兄の頭の側には、何かが転がっている。赤い。

 というか、兄の周辺が赤い。

 この赤は、何の赤だろう?


 映像と音声が入り乱れた、混沌とした意識で俺は必死に町田ユウコの姿を捉えているように努めた。そうしなければ、意識が全て持っていかれてしまいそうだった。『過去』に、意識が捕らわれてしまう。

「どうしたの? 顔が真っ青だけど……悪かったわね、変な質問して。無理させちゃったかしら。またベッドで横になっておいた方がいいかもしれないわね」

町田ユウコは俺の体調を心配しているようだ。まぁ銃で撃たれ、麻酔を打たれ、手術をされたばかりなのだ。無理もない。

「大丈夫だ」

予想以上にかすれた声が出た。これでは余計に心配させるだけかもしれない。


 俺は深呼吸をして、椅子に深くもたれた。ギシ、と椅子が鳴く。

 染み一つない、真っ白な天井を見つめる。こんな風に空っぽなら、何もなければ、どんなに楽だろう。自分がこの場所にいるのがひどく不似合いな気がした。

「ちょっと嫌なこと思い出しただけだ……兄貴のこと……兄貴を殺したときのことを、な。ずっと忘れたまま生活してたんだよ。忘れようとしたけど……そんなこと、出来るわけないんだよな」

「そう」

 町田ユウコは静かに応えた。表情は見えないが、恐らくあの綺麗な顔で、それはそれは美しく微笑んでいるのだろう。そんな気がする。

 別に尋ねられたわけでもないのに、俺は話し始めていた。兄を殺してしまった、経緯について。話したところで、何にもならないのに。

 思えば、今までここまで詳しいことを話したことはなかった。

 町田ユウコは、俺の話に静かに耳を傾けていた。相槌を打つこともなく、ただ静かに。まるで、読書をしているのかのような穏やかさだった。



「殺意は……なかったのね」

 町田ユウコがようやく発した感想は、それだけだった。何処か残念そうにも聞こえる呟きだった。

「まぁ……そうなんだろうな。あの時、俺が何を考えてたかはよく分かんねぇ。パニくってたし、殺されたくない一心だったからな」

 俺がそう言っているとき、町田ユウコは立ち上がって煙草を手にしていた。もう片方には、茶色く濁ったビーカー。

 色気のある仕草で町田ユウコは煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出した。

「煙草、吸う?」

 煙草、という存在は知っていたが、吸ったことはなかった。そんな高価なものを手にすることなど、俺には許されていなかった。

「……って、未成年なんだっけ。一応、法律で禁じられてるのよね。まぁ警察なんかいないようなもんだし、関係ないわ」

 町田ユウコは笑いながら、俺に一本の白い棒を差し出した。落ち着くから、と言う。

 見よう見まねで煙草をくわえ、火を灯す。

 何だ、これ。苦い。

 でも、何だか落ち着いた。その苦さが、俺を罰しているみたいだ。初めて煙草を吸った感想は、そんな妙なものだった。

「煙草、吸ったことあんの?」

 左右に首を振る。その動作に操られるかのように、煙が俺にまとわりつく。

「そう。初めての割りに、上手に吸うのね」

 ますます気に入ったわ、と町田ユウコは言った。背筋がゾクゾクする。 互いの煙草の火が消えるまで、俺達は黙ったままだった。俺は珍しくたくさん話したので、いささか疲れていた。もしかすると、彼女もそうだったのかもしれない。

 煙が充満する。二人を包む。

 白い煙が吐息の音を伴って、沸き立つ。

 霞んだ視界が何故か心地いい。目に白い膜が張ったようで気持ち悪い感じもするが、ゆらゆらと揺れる煙の儚さが俺の目には幻想的に映った。

 ゆっくりとした時間が漂った後、ビーカーに煙草の吸い殻がじゅっと音を立てて放り込まれた。

 町田ユウコはビーカーに浮かんだ吸い殻を見つめていた。黒い水の上にたゆたう、白。白が黒に滲み、やがて静かに沈んでいく。彼女はそれを見つめ、何を思うのだろう。そんなことを考えていると、息を吸う音が俺の鼓膜に届いた。

「私、父親を殺したいの」

 吐息混じりに彼女は言った。その言葉は気味が悪いくらい、官能的に俺の心に響いた。

 そして今度は、俺の目を見て彼女はもう一度言った。

「父親が、憎いの」

 憎い。憎悪。嫌悪。

 それらの感情が彼女の中で黒く渦巻いているのであろうことが、彼女の表情からはっきりと分かる。

 口をきゅっと結び、頬を強張らせて。そこには、怒りが見える。しかし瞳には、悲しみが映る。暗い色をしている。深い、悲しみ。苦しみ。


 今度は、彼女が過去を語り始めた。俺が思い出したくなかった過去を語った、そのお詫びだと、町田ユウコは自嘲気味に笑いながら言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ