ツヨシ(9)
「協力、させてくれ」
俺は何を言ってるんだ。こいつは二言を許すような奴じゃない。こんなことを言ったら最後だって、分かってるはずだろ。俺は馬鹿か。どうしようもない奴だ。
「分かったわ。もう後には引けない……いえ、そんなことはさせないわよ」
町田ユウコが今までで一番の、飛びっきり悪女っぽい、飛びっきり綺麗で嬉しそうな笑顔を浮かべながら言った。
ほれ見たことか。やっぱりそうだ。この女に慈悲などないんだ。俺もこいつも、救いようのない奴なんだ。
「じゃあ、今から話すわね」
頷くことはせず、俺は町田ユウコの目を見た。覚悟は出来た、せざるをえないだろう。そう言ったつもりだ。性根の歪んだこいつに、どの程度俺の気持ちが伝わったかなど、考えたくもないが。
怪しげな地下室にある粗末な椅子に座る俺の正面には、町田ユウコが机に腰かけている。そして妖艶な赤い唇をゆっくりと開き、語り慣れているかのように流暢に話し始めた。
「ここはね、見ての通り研究所なの。住宅街の一軒家にこんなものを作ったのは、機密を守るためよ。誰もこんなところにこんなものがあるなんて思わないでしょ?」
「だから、俺を警戒したのか」
にんまりと笑いながら、その通り、とわざとらしく人差し指立てる。思い出したからか、太股が疼いた。糞。
「機密が何処かの組織にでもバレて、その内容が漏れれば何もかもパァだからね。内密に行なってこそ意味のある計画だから。まぁ撃つまでして警戒したのは、前に何度かそういう危険に直面したから。申し訳なかったわね」
以前ここを訪れた奴はどうなったんだ? なんてことを聞くのは野暮だろう。口封じをされたか、利用されたかのどちらかに決まってる。
しかし、そう考えると一つの疑問が浮かび上がる。
「どうして殺さなかった? 簡単に殺せたはずだ」
俺がそう言うと、女は顎に手を当てて考え込んだ。
「そうね……協力してくれそうだったから、かしら」
成る程。こいつの目に俺がそう映って良かった。「こんな話をすると、怪しいものとしか思えないでしょうけど、志しは高いのよ? なんてったって、この国を助けようとしてるんだもの」
無邪気で残酷な姫君。俺の目には、やはり町田ユウコはそう映る。美しい姿で嬉々として語るその姿は、それ以外の言葉では形容出来ない。不似合いになる。
「ねぇ、あなた、今の生活に満足してる?」
「そんなわけないだろ」
迷うことなく即答する。
「じゃあ、どうしたら満足出来るようになると思う?」
話が逸脱しているように思うが、構うことはない。この女のことだ。何か考えがあるに違いない。大人しく答えてやることにしよう。
「金があれば」
「でも、今の日本じゃお金なんて回らないわ。持ってても無駄よ」
「じゃあどうしても無理じゃねぇか。金がなきゃ食べ物も住むところも手に入れられないだろ」
「そうね。じゃあお金が回るような世の中を作ればいいと思わない?」
「まぁ確かにそうだが……」
「どうすればそうなる?」
これじゃ禅問答だ。いや、誘導尋問か?
「みんながお金を使うようになれば」
「みんながお金を手に入れるには?」
「一般的に考えるなら、働けばいいだろ」
「働くにはどうしたらいい?」
「働ける場所に行く」
「働ける場所はどうすれば出来上がるかしら?」
「金が必要なんだろうが、まずはどっかから助けてもらわなきゃ駄目だろうな」
「助けるのは政府としましょうか。でも、みんながまともに働くかは分からないわ。サボって楽をしようとか、そういうことを考える人間もいる。そうなれば何もかも破綻するわ」
「じゃあ本末転倒じゃねぇか」
結論らしき結論、いや、結末に辿り着いた。どうしようもないバッド・エンドだ。
しかし、そこに辿り着いた時、町田ユウコは嬉しそうに笑った。今度の笑みに、悪意は感じられない。だからこそ、不気味だ。
「だから、私達はその根本を変える研究をしているのよ。負のサイクルを断ち切り、より良い社会を作り上げることに貢献する研究、をね」
話が全く見えない。根本を変えるって言ったって、その根本が何処を指し、何処に存在しているのかが、俺には全く分からない。
「全ての元凶は人の心、精神状態なのよ。負の感情が、負の環境を作り出しているの。社会は人の心を映し出す鏡みたいなものなの。社会が病んでいるのは、人の心が病んでいるから。二つは表裏一体なのよ」
「それは何となく分かる気がしないでもないが、人の心なんてどうしようもないだろ」
「人の心なんて、簡単に操れるのよ? 薬があればね」
薬……。その単語に、俺は背筋が冷えるのを感じた。町田ユウコは白い百合のような可憐さで微笑む。毒を持った百合、だ。触れれば体が麻痺し、見れば視覚が騙されてしまうような感じ。
「人が変われば社会が変わる。従順に仕事に打ち込める精神状態を薬によって導くの。私達がしてるのは、その薬の研究。最終的なゴールは、安全性と確実な効果を持ち合わせた薬を開発して、それを全国民に処方すること。今は薬の開発をしてる段階なの」
待て待て。全国民に、だと? なんてことだ。全国民に合法ドラッグを無料配布するのと、何ら変わらないじゃないか。そんなことがまかり通るのか?
「もちろん、国家の救済が目的だからね。政府が計画してるものよ。資金も施設も全て、国家持ち。ちなみに施設の方は既に形になってるわ」
町田ユウコが、言いながら細くて白い足を組み換える。百合を連想させるのは、これのせいかも知れない。あとは、白衣のせいか。
「ま、これが私の知りうる国家機密の内容よ。M135という薬の名を取って、現段階ではこの計画はM計画と呼称されているわ」
――待てよ。まさか、こいつ……。
嫌な予感が再び俺を襲った。
「お前、まさかその薬を俺に飲め、とか、言うんじゃないだろうなぁ?」
町田ユウコは、意味深な笑顔を浮かべたかと思うと、顎に人差し指を当てて、悩むような、ねだるような素振りをして見せた。女特有の仕草だ。
「まぁそうしてもらうのも十分ありがたいんだけどねー……それはまだいいわ。ここであなたを失くすのは惜しい気がするし。あなたには他のことを頼みたいのよ」
「なんだよ、他のことって」
そう言うと、町田ユウコは少しだけ表情を翳らせた。眉をわずかに潜め、視線を落としている。その瞳には悲しみが映っているように思えた。今にも、涙が零れそうな、そんな危うげな瞳だった。
一体、俺に何を頼むつもりなんだ? どうして、そんな悲しげな顔をする? 何かを頼むのに、そんな悲しい顔をする必要なんて何処にもないだろ。
胸がざわつく。今までで一番、嫌な感じがする。町田ユウコの見慣れない悲しげな表情が、何故かこんなにも俺を不安にさせる。
心臓が一回り小さくなったように感じる。キュッと締め付けられ、心臓が血液を流し出す負荷に負けてしまうんじゃないかと思うくらい、大きな音を立てている。
首筋から背中にかけて、冷たい汗が伝っていく。口の中も乾いていく。このままじゃ、何か口にしようと思ったときにスムーズに話し出せそうにない。
「あなたさ……人を殺したこと、ある?」
――人を、殺したこと、ある?
町田ユウコの突拍子のない言葉が、何度も俺の頭の中でリフレインされる。
人を殺す……誰かの命を、意図的に絶つ、ということ……か。そんなこと、あるわけない。
いや、違うか。俺は――。
俺を、俺自身を、かつて、殺した。
兄に殺されそうになった時、弟だった俺を殺した。
違う。違う違う違う違う。
そうじゃない。違うだろ。
あの時、俺は、俺が殺したのは。
誰だった――?




