ツヨシ(7)
眉間に銃口を突き付けられた俺は、また動けなくなった。
「だから言ったじゃない。私には勝てないって」
まるで吐息で耳をくすぐるように、女がふふ、と笑った。
畜生――。
「さぁ、また形勢逆転よ。どうするの? また私に撃たれたい?」
女が構えている銃はさっきのものよりも、一回り小さなものだった。なるほど、これなら身に付けていたとしても、なかなか気付かれないだろう。くそ。
「分かった。もう大人しくするよ。言う通りにする」
俺は両手をあげ、さすがに観念した――ふりをした。というか、もはや開き直りだ。ほとんど観念している。何だか、何もかも面倒に思えてきた。
けれど、少しの隙さえあれば、一泡吹かせてやる。そんな思いは、俺の中で確かに燻っている。火は消えたように見えても、未だに高温を維持している。下手に触れようとすれば、火傷を負うのは免れない。そんな感じだ。
「じゃあそのまま両手を上げてなさい。もし動いたら、次は右足を撃つわよ。分かった?」
俺は何も言わずに、ただ頷いた。その様子を見た女は、満足気に口元に笑みを浮かべた。その笑顔は、可憐で残虐な姫君のようだった。
「まずは質問に答えてもらうわ」
女はそう言うと、いいわね? と念を押してきた。
全く、そんなに警戒しなくても、もうこっちは何もする気はないってのに……。俺はわずかに呆れたような表情を浮かべ、何も口に出さずにそう語ってみせた。
それから、また頷いてみせた。これで満足だろ、お姫様。
「どうしてこの家に入ったの?」
「特に理由はない」
お姫様の片方の眉が、ピクリと動いた。お気に召さなかったようだ。
「言っておくけど、嘘ついたりしたら許さないわよ。それでも嘘をつくなら、私が満足する理屈ぐらいこねなさいよ」
全く、本当に厄介な女だ。まさか空き巣に入って、こんな目に遭うとは思ってもみなかった。
金輪際、俺の勘は一切信じないようにしよう。悪い予感だけを信じよう。やはり過信はいけない。
俺は再認識し、女が満足する理屈というものを考えてみた。
女はじっと俺を見つめている。いや、睨み付けている。嘘の一つも見落とさないぞと、その目をもって俺に告げている。実際、嘘をつけば見透かされるだろう。
嫌でもそう思わせる、妙に説得力のある不思議な目をこいつは持っている。
俺は大袈裟にため息をつき、それから唇を開いた。
「ここらの住宅街は、俺達みたいな奴にしたら鬼門なんだ。逆に言うと、穴場ってやつだ。だから敢えてそこを狙って、なおかつその中でも、監視カメラとか防犯対策が杜撰に見えたこの家を選んだ」
「本当にそれだけ?」
「あぁ、本当だよ。嘘はついてない」
そこで俺は一つのことを思い出し、言い足した。
「あと、地下室がありそうだったから。金持ちの上に、何かいいもんがありそうな気がしたからよ」
特に問題はないだろうと思っていた。それなのに、俺がそう言った途端、女の目の色が変わった。俺の観察眼も、きっとこいつに負けちゃいない。野性の目は誤魔化せない。
女の銃を握る手に力が入った。
「本当に何も知らないで入ったの?」
心なしか緊張しているようだ。女の目が一層鋭くギラつき、その口調もそれに相応する鋭さを帯びた。
「何だよ、本当に何かあるってのか?」
挑発してみた。我ながら、馬鹿な真似をすると思う。本当に、好奇心旺盛だな。
しかし、女の反応は意外なものだった。
「あなた、国家機密に関わる気はない?」
挑発し返された。ほんと何なんだよ、こいつは……。訝らずにはいられない。
女は俺以上に楽しそうだ。俺の上をいく好奇心の持ち主だというのか。
無邪気な姫君は、まるで悪戯を思い付いたかのような、意味深な笑みを浮かべている。
対する俺に、緊張感が走る。何だか、予想を上回る展開が俺を待っている、そんな危険で甘美な予感がした。
「どういうことだ?」
「そのままの意味よ。とりあえず、あなたがどう思うかを教えて頂戴」
国家機密と言っても、この国がそもそも国家として成り立っているのかが疑わしくてならない。何か機密を抱えられる程の財源があるとも思えない。そんな狂言染みたものに関わろうなど、誰が思うだろうか。
そんな率直な考えを、目の前で俺に向かって銃を構える女に伝えた。
「成る程ね。まぁもっともな意見だわ。そこまで頭が悪いわけじゃないのね」
燗に障るようなニュアンスを含んではいるものの、ただ馬鹿にするでなく単純にそう思った。そんな風な言い草だ。不思議と俺も苛立たなかった。ただ、そう話す女の歪んでいるとも言える笑顔を見ると、妙に腹立たしかった。いや、悲しいのかもしれない。
「あなたは幸運よ。いえ、不幸なのかも。けど、何か特別であることは間違いないわね」
女の底知れぬ笑顔を目にした瞬間、背筋がぞくりとした。こいつは、一体俺に何を告げようとしているんだ?
この異様な空間に立ち込める、異様な空気。そして、異様な存在。相異なる存在が二つ対峙しているだけで、重い空気が更に淀み、沈み込んでいく。
吸い込む空気が鉛のように重い。息苦しさを感じるのはそのせいだろうか。肺が黒く染まり、その色が体の様々な場所に染み出していくように感じた。
嫌な予感だ。そう、これじゃないか。このままいくと、事は良くない方向へと展開していくに違いない。さっき俺は思った。悪い予感を信じようと。
再び、女が微笑みの影を濃くした。
「怖がってる?」
俺の心臓がかっと熱くなった。一塊の炎が俺の中心で燃え上がり、消えた。
「いや、半分、期待してる。怖いっていうのよりは、好奇心が勝ってるかな」
「上出来じゃない」
女は俺に向けていた銃を、艶やかとも言える静かな仕草で下ろした。そして、ゆっくりと一歩踏み出し、腕を伸ばしていた分の間合いを詰めた。女の顔が眼前に迫る。
発光しているかのような、白い絹のような肌。キメの細やかさが手にとるように見える。
「あなたの好奇心、満たしてあげるわ」