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ツヨシ(2)

 決行の時が近付いてくるにつれ、鼓動が速まっていくのを俺は感じていた。

 心臓の鼓動によって、俺の血液が全身を駆け巡っていく。勢いよく頭に達した流れが、三日前の頭痛を呼び戻した。

 幸い、頭にあれだけの衝撃を受けたにも拘らず、派手なたんこぶが出来ただけだった。それに併せ、一時的な意識と記憶の喪失はあったものの、それだけで済んだのはむしろ奇跡だと言うべきなのかもしれない。

 しかし、あれだけ痛かったのに出血がなかったことが、むしろ妙に理不尽なようにさえ思える。

 さすがに昨日は大事を取ることにし、一日中じっとして安静にしていたが。


 ――ドクン、ドクン。

 ――ズキン、ズキン。

 そんな二つの旋律が俺の中で掻き鳴らされている。

 それが、緊張感と相まって俺の集中力を高めているように感じた。それと共に高揚感も高まる。やけにテンションが上がっている。確実に興奮している。

 けれど。――うん、いい傾向だ。今日はいい仕事が出来る気がする。俺の頭をかち割ろうとした奴に、ある意味では感謝するべきなのかもしれない。

 俺は、町田邸の裏手にある林の土手に身を潜め、じっと主人の男が家から出てくるのを待っていた。

 俺が今、どんな目をしているかが自分でも分かる。獲物を狙う、獣の目だ。目の奥に決死の覚悟を静かに燃やし、その瞬間が来るのをじっと待つ。

 目だけじゃない。息遣いや身の潜め方まで、俺の全てがそんな風に鋭くなっている。しかし、そんな余りにもギラギラした気配を漂わせていると、俺の存在を悟られかねない。上手く隠さなければ。俺は野生の狩人なんだ。


 俺の体が、無意識にピクリと小さく動いた。

 ――出てきた。町田邸の主人であろう男が、ついに家の中から姿を現した。

 俺の中で奏でられている旋律が、一層激しくなった。興奮を抑えることで精一杯だ。

 落ち着け。焦るな。何度も自分に言い聞かせる。

 町田氏は家の前で一度立ち止まると、きょろきょろと周りを見回した。

 しまった。気付かれたか?

 その様子を見ていた俺は一瞬肝を冷やしたが、特に心配することはなかった。そう言えば、彼は家を出るとき、いつもそうする習慣があった。緊張感に呑まれ、そのことをすっかり忘れていた。

 町田氏のその行動故に、彼にとってこの家が大切であることと、彼が用心深い人間であることを見抜いたのだ。だからこそ、俺はこの家を選んだのだ。絶対に当たりだという確信を与えてくれたのは、彼の行動であった。それは言うまでもない。

 やはり落ち着かなければ。少し気負い過ぎなのかもしれない。町田氏の姿が見えなくなったのを確認してから、俺は深く息を吐き出した。

 ――落ち着け。

 再び自分によく言い聞かせ、俺はゆっくりと動き出した。


 下手に物音を立てないように気を付けながら、ずるずる這うようにして土手を下っていく。

 焦ることはない。町田氏は家を出ると、いつも深夜近くまで帰ってこないのだから。時間はたっぷりある。十分過ぎるくらいだ。何をするにもゆっくり、時間をかけて慎重にやるべきだ。

 そうして町田邸の塀の脇まで辿り着き、俺はその塀のふちを視線でなぞった。それから改めて、目の前にそびえる町田邸を注視する。

 やはり、監視カメラのような機械は何処にも見当たらない。今や、こういった一戸建ての家のほとんどが監視カメラなど、侵入者を感知するための機械を取り付けている。

 町田氏は用心深いにも拘らず、そういったものを取り付けていないということが、妙に引っかかってはいた。

 ――もしかすると、罠かもしれない。

 俺の中にあった、最大の懸念要素が不安となって、俺の中にじわじわと広がっていく。こんな状況になる前にじっくり考えておくべきだったと、俺は後悔した。半ば、勢いで決意し、行動した節があった。大きな仕事であるだけ、やはり迷いも大きかった。しかし、自分が臆病になってしまっているのが嫌で、無理やりに己を奮い立たせ、今日を迎えた。

 どんなに迷いが生じようと、それを慎重であるとはせず、単なる腰抜けに過ぎないと、俺は判断していたのだ。

 この付近には、少なくとも俺の身内の人間は誰も近付いていない。周囲の人間がこの付近に盗みに入ったという噂さえ耳にしない。それだけ、この界隈は穴場であると共に、鬼門でもあるのだ。そこに俺は今、足を踏み入れようとしている。

 突然、全身の毛穴が広がり、そこから汗が滲み出てきた。動悸が更に激しくなる。頭も痛くなる。

 ――もう、ここで辞めるか?

 もう一人の俺が、俺に尋ねた。弱い自分が、どんどん押し迫って、俺を迷わせる。弱い、俺が。確かに俺の中には、こんな弱い俺が潜んでいるのだ。

 強く、なりたい。だから、お前は黙ってろ。

 そう思った次の瞬間、俺は塀を乗り越えようと、自分の頭ぐらいの位置にある塀の縁に手をかけていた。

 ――本当に、それでいいのか? 本当に大丈夫なのか?

 俺はそんな声に耳を傾けず、勢いよく塀を飛び越えた。

 時間が経つのが、やけに遅く感じる。何だろう。周りの景色がまるで、スローモーションになったみたいだ。

 足が、町田邸の庭に着いた。衝撃を緩めるため、膝をクッションにして静かに着地する。

 今にもサイレンか何かが鳴り出してもおかしくはない。そう思うと、更に汗が流れ出す。背中がじっとりと蒸れている。俺は着地の瞬間、きつく目を閉じていた。

 静かだ。サイレンなど、何処からも聞こえてこない。さっきまでと同じ、ここは閑静な住宅街だ。

 ――よし。

 勝負に勝った。そう思って、心の中でガッツポーズをせずにはいられない。

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