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アサカ(11)

 神沢は診察室へアサカを連れていった。居住棟にある自室に連れていくことも考えたが、さすがにそれははばかられた。事が事ではあるが、そんなことが周囲に知れ渡れば、自分の立場がどうなるかは目に見えている。

 いつもと同じ光景だ。アサカがちょこんとソファーに座っている。その正面に座り、彼女を見つめる神沢。ただ、普段と違うのは、アサカの表情が異様に引きつっていることと、彼女の隣にいるべきシンゴの姿がないことだ。――もう、彼はここにいない。

「アサカちゃん」

 神沢は、肩を抱いたまま震えている少女に声をかけた。アサカがゆっくりと顔を上げる。その目には涙が浮かんでおり、恐らく冷や汗であろう汗が、頬を伝っていた。細い髪が顔にへばりついている。何とも言い難い程に、彼女の表情は悲壮感に満ちていた。かちかちと音を立てている口元から言葉が吐き出されることはない。何かを言おうとしているのだろう。

「もう大丈夫だよ」

 そんなありきたりな言葉でしかアサカを励ますことが出来ない。アサカがどんな言葉を求めているのか。きっとそんな陳腐な言葉では、彼女は満たされない。そんなことは分かっているのに。悔しさを噛み締め、神沢は思わずアサカから視線を逸らした。

「カナコさんは……」アサカが虫の鳴くような小さな声で言った。

「カナコさんは、どうしてここに来たの?」

「ここって……ベースにってことかい?」

 アサカがこくりと頷いた。

 今までずっと口を利かなかったアサカと、こんな風に普通に会話をしているのが何となく不思議だった。自然と話しているアサカを見ると、かつて失声症を疑われていたことが夢のように思える。

「ここって、私やお兄ちゃんみたいに、お金のない人達がくる場所なんだと思ってたけど……カナコさんは、そうじゃないみたいだった」

「どうしてそう思うの?」

「アルバム」

 神沢は、アサカが言った言葉の語尾を上げて疑問符を付けて繰り返した。アサカと神沢の視線が繋がる。

「さっき、カナコさんが見せてくれたの」

 そして、アサカはカナコに見せられた写真の光景や、彼女がアルバムに収められた写真について語ったエピソードの一部を、神沢に語った。

「カナコさんはお金持ちだったように思えたし、家族と写ってる写真も幸せそうだった。だから……」

「ベースにいるのが不思議だって思うのかな?」

 神沢がアサカが言おうとした言葉を代弁するように言うと、彼女は頷いた。眉間に皺を寄せ、困惑したような表情を浮かべている。

 アサカは、神沢が何か語りだすのを待っているのか、彼の目をじっと見つめたまま口を閉ざした。

 神沢は、彼女の担当というわけではなかった。だが、精神科担当の者達は互いに情報交換を欠かさないので、カナコのことについては、神沢も多少のことなら知っている。彼女の経歴など、基本的な情報は、神沢のファイルにも記されている。

 それを思い出した神沢は、分厚いファイルがずらりと並べられた鍵付きのロッカーから、一冊のファイルを取り出した。

 アサカがじっと神沢の行動を見守っている。神沢がその視線に気付き、手に取ったファイルをアサカに見せながら言った。

「この中に、カナコちゃんについての情報や記録が記されているんだよ」

 辞書程の厚さがあるファイルを片手に、神沢が再びソファーに腰掛けた。

 神沢がファイルをめくる音に合わせて、パラパラと紙の擦れる軽快な音がする。その音と、明らかに深刻そうな神沢の低い唸り声が重なる。その響きが余りにも不似合いで、アサカは何だか耳がこそばゆくなった。

「うん……アサカちゃんの言う通りだね」

 神沢が深く頷きながら言う。

「カナコちゃんは、裕福な家で生まれ育ったようだね。彼女の家は、今でも残っている数少ない企業のうちの一つだ。まぁ、すごくお金持ちだってことは間違いない」

 神沢はそこまでをアサカに伝えると、表情を曇らせた。アサカがそれを悟ることが出来るまでに、神沢の顔は強張っていた。アサカの顔がその不安げな表情につられてか、強張っていく。

「それで?」

 アサカが神沢の発言を促す。よっぽど沈黙が不快だったのか、カナコについての話が聞きたいのか、アサカが相手に発言を求めるのは珍しいことだ。

「カナコちゃんは……」神沢はそう言ってまた、唇を噛み締めて黙り込んだ。

「彼女は、両親に……売られてしまった……ようなんだ」

 途切れ途切れに、神沢は呟くように話した。

 ファイルに収められた資料の数々を見るうち、神沢の頭の中には、同僚から聞いた彼女についてのエピソードが蘇ってきていた。

「どういうこと?」

「アサカちゃんには少し難しいかな」

 小首を傾げて尋ねるアサカを見て、神沢が苦笑しながら答えた。

「カナコちゃんの両親は、お金を受け取ったんだよ。彼女と引き換えに……」

 神沢は思い出していた。同僚から聞いた話を。


 カナコの実家は、政府とも取引をしている大企業だった。しかし、熊井家が抱える企業も、やはり不況と治安の悪化に呑まれつつあったのだ。その波に呑まれまいとして、代表取締役であるカナコの父親は必死にもがいていた。

 そんな時であった。当時まだ発足したばかりであったNSOの人間が、カナコの父親に交渉を持ちかけたのだ。

「あなたの企業に対し、政府直々に支援をしましょう。その代わり、ご令嬢の身を、私達に引き渡して頂けませんか」

 交渉の内容はそんなものだった。

 さすがの父親も、その話に乗ることは躊躇った。大切な娘を、訳の分からない実験に差し出すわけにはいかない。彼はそう思っていた。

 しかし、カナコの母親は違った。カナコの母親というよりは、父親の妻、というべきだろうか。彼女は、カナコの生みの親ではなかったのだ。カナコの生みの親は、この時既に離婚し、熊井家を離れていた。当然のことと言うべきか、後妻である彼女は金銭のことにしか興味がなく、カナコのことを愛してなどいなかった。しかし、カナコを溺愛する父親に嫌われるわけにはいかないので、いつも彼女に愛情を注いでいるふりをし続けていた。

 そんな彼女にとって、政府との取引はこれ以上ない程に魅力的だった。カナコがいなくなる上に、金が手に入る。こんなにもいい話が、他にあるだろうか。

 妻は、夫を説得した。しつこく説得を繰り返し、彼女は彼を言い包めることに成功した。

 後はカナコだけだ。カナコを説得すれば、自分は本当の幸せを手に入れることが出来る。この世界の誰よりも、自分が幸せになれる。彼女はそう確信していた。

 カナコを言い包めるのは簡単だった。お嬢様として生まれ育ち、人を疑うことを知らない純真な彼女は、母親の言うことに驚くほど従順だった。

 そうして、カナコは母親から別れの証であるアルバムを受け取って、ベースにやってきた。

 しかし、彼女は真実を知らないままだった。

 自分が臨床試験対象者としてベースに閉じ込められ、実験や検査の繰り返しの毎日を送ることになるとは、思ってもみなかったのだ。母親から、そんなことは一言も言っていなかった。

「あなたには幸せな人生を歩んで欲しいの」

 それは母親が何度もカナコに告げた言葉だった。

 その言葉が嘘だったということに、カナコはベースでの生活を始めてからようやく気が付いたのだ。カナコは両親を憎んだ。自分を裏切ったのだと、カナコは全て悟った。

 優しげな表情を浮かべた、醜い女狐のような後妻、それにたぶらかされた愚かな父親。カナコは彼等を深く憎んだ。そして彼女は今も、その憎しみを胸に秘めたままだったのだ。

 この世で最も憎いのは、家族。最も信じられないのは、家族。

 誰を信じればいいのか、分からなくなり、ベースの中でカナコはいつも一人でいた。

 普通なら、絶望に暮れてもおかしくないはずだが、カナコはそうではなかった。M135の効能で、カナコは暗闇に溺れずに済んだ。

 カナコは、暗闇の中で光を見つけた。それが、『友人』という存在だった。

 ベースにいる人々は皆、カナコに温かく接した。そこで、カナコは徐々に自身の心の拠り所を確立していったのだ。

 ――家族じゃなければ、きっと私を裏切ることはない。家族だから、奴らは私を裏切ったんだ。友達がいれば、私は幸せに暮らせる。そうに違いない。

 カナコはそう思って、今まで生きてきたのだ。ベースにいる誰よりも多く友人を作り、自分が誰よりも幸せになるのだ。その思いだけで、彼女は生きてきた。

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