第92話 終話? 疫病神は見逃さない
教会堂で魔性討伐した日の深夜。私とマリが今いるのは豪華な部屋の窓際だ。ここはキルビ国迎賓館、王宮に隣接し国賓級が宿泊する建物だ。ハバラシティやコラクアル迷宮にもほど近い。
言っておくがこんな処に泊まるつもりは無かった。適当な宿を冒険者ギルド長に紹介して貰おうとしただけなのだ。
そうしたらギルド長、近くにいた役人らしき人と相談し、あれよあれよという間に此処へ招かれてしまったのである。
なお、明日は国王陛下と朝食会をするそうだ。なんてこった。
「これは逃げ出した方がいいでしょうか」
弱気になってマリにそんな事を聞いてしまう。
「どうしようもなく追い詰められてからでも問題無いのでは。アンの遠隔移動魔法でしたらどのような場所からも逃げる事が可能でしょう。この地は私達にとって地縁がありません。ですから最悪の場合に多少無礼な行動をしても問題はありませんよね」
マリからそう言われてちょっと安心。確かにそうだな。最悪、逃げ出した後にこの国に近づかなければそれで済む。イルワミナと違って知り合いがいる訳ではないしな。
「それにしても1日目からこんな事になるとは思いませんでしたわ」
これは私の本音だ。
「私もですわ。ですが今回の場合は仕方なかった事です。万が一この国を逃げる羽目になっても、私達の戦いで救われた方は大勢いらっしゃる筈ですわ。それでいいのではないでしょうか」
ああ、マリと一緒で良かった。私一人ならぐちぐちと悩んでしまうところだ。こう言ってくれる存在がいるのは大変ありがたい。
「それにしてもこの国のフルーツは美味しいですわね。これは此処へ来た甲斐がありましたわ。特にこの桃は絶品です」
マリがカットしてある桃を食べながらそんな事を言う。確かに桃も、大きな葡萄もとても美味しい。名物だと言うだけある。あとでこの部屋にある分全部こちらの自在袋に入れてしまおう。そう思った時だった。
コンコンコン、ノックの音がした。誰だろう、こんな深夜に。そう思った時だ。
『起きているのはわかっている。マリアンネ君、アンフィーサ君、私だ』
うっ、誰だか一瞬でわかってしまった。最強にして最悪、魔性なんて問題外なくらいの疫病神の登場だ。きっと奴にかかれば国外だろうと何処だろうと関係ないのだろう。
仕方ない。私に可能な返答はひとつしか無い。
「どうぞ」
「では失礼する」
入ってきたのはもちろんサクラエ教官だ。でもまさかこんな処までやってくるとは思わなかった。
サクラエ教官は部屋に入ってきて、私達の向かいに立つ。
「最初に礼を言わせて貰おう。これで魔性は全滅したようだ。君達2人と、君達の仲間のおかげだ」
そういえば気になっていた事があった。
「センガンジー山に魔性が出た時はどうなさっていたのですか。てっきり教官が応援に来て下さると思ったのですけれど」
「一応状況は見ていた。だが私の方も手を抜く事が出来なかった。無論アンフィーサ君達やカワルマタに直接の被害が及びそうな場合は向かうつもりだったが。私が交渉担当として出向いていたアルキデス国にも魔性が出たからな。流石に全てをすぐに片付けるのは難しかった」
おい待てサクラエ教官。
でもそう言えばギルド長がそんな事を言っていたな。
「それはどういう状態なのでしょうか」
マリも同じ事が気になったようだ。
「魔性とはリッチや尸解仙の同類だ。つまり不老不滅の為に魔の者へと術で変化した存在。中央教会の一部でそういった研究が行われていた。枢機卿やそれに準ずる一部の大司教はその研究成果を秘蹟のひとつとして知っていたらしい。
アンフィーサ君の襲撃事件の結果、中央教会が第16条の協約を破り、その事が誓いの水晶玉の前で明らかになった。そしてその件で神罰を受けた者、及び受けそうだと悟った者のうち何人かが、神罰を逃れる為に秘蹟を使用し魔性となった。
今回の件で魔性となった者は全部で25名。元枢機卿13名と大司教5名、研究職の司教と司教補、黒き司祭団関係で7名だ。
ほとんどはヴァルサルデにいたので私が掃討した。だがそれ以外にも2名いた。元アカツカ枢機卿は膨大な魔力を用いてイルワミナへと飛び去り、後は2人の知るとおりだ。また黒き司祭団の前副長ミカード司教はキルビ本部教会大司教として転任していた。これが本日の夕刻、君達が倒してくれた魔性だな」
理解した。ただ、それにしてもだ。
「どうやって23体の魔性を倒したのでしょうか」
10式やブッシュマスターは私のオリジナルな魔法だ。そしてそういった物理属性の魔法はこの世界には元々存在しない。
「簡単だ。接近して剣で魔石をぶった切った。これが一番手っ取り早い」
いや待て特級冒険者。
「魔性は肉体的にも人間よりは遙かに強靱かつ強力で、力も速さも数段上だと思いますけれど」
「相手を圧倒するだけの純粋魔力を直接ぶつければいい。これで相手の魔力は空になる。結果、気絶して動けなくなる訳だ。いくら攻撃魔法に耐性があろうとこの方法なら問題無い」
それって魔性を圧倒的に上回る最大魔力を持っていないと出来ないのでは無いだろうか。そんな最大MPなんて人間が持てるものなのだろうか。
確か秋の初め頃に見たサクラエ教官はレベル64で最大MPが1986、そこまで化物ではなかった筈だが、あれがもし偽装だったとしたら……
考えかけて私は理解を放棄することにした。きっとサクラエ教官は人間の問題外だ。理解しようと思わない方がいい。
「さて、それでは本題に入ろう。君達2人がさっさとイルワミナを出たからな。この辺を直接渡せなくて国王陛下も寂しがっておられた。正式な授与式は明日だが、私の仕事の都合があるから今日渡しておく」
まず懐から出したのは王国宝璽侯章と王国宝伯章の勲章本体。私とマリそれぞれの名義の商業ギルド発行預金通帳だ。
「これは受け取れませんわ。既に私達は王国を脱走してしまったのですから」
マリの言う通りだ。私もうんうんと頷く。
だがサクラエ教官はにやりと嗤った。あの枢機卿を罠に陥れた時と同じ嗤い顔で。
「マリアンネ君とアンフィーサ君は王国の方針で外国に長期留学に出た事になっている。更に戻った暁には王国でのそれなりの地位と、地位に見合った家屋敷を与える予定だ。明日、国王陛下自らがそう発表する」
うっ、そういう手段に出たか。逃げたのが裏目に出てしまった。何せ本人がいないから反論することも訂正することも出来ない。
かといって私がいたとしてもどうにも出来ないのだろうけれど。権力の乱用で横暴だ! そう思ってもどうしようもない。
「あとは脱走経験者からのささやかな心遣いだ。正直君達の脱走はまだ甘い。冒険者として入ると今日のようにいきなり事案参加を余儀なくされる事がある。
そういう時に備え、自由に放浪する場合は商業ギルドの会員証も取っておくのが良策だ。行商人なら自由に町に入れるしそういった問題も無いからな。
商業ギルドへの加入は一定の加盟金と預金残高が必要。だがその辺は今回、王国からの褒賞で出たもので賄わせて貰った。2人の会員証だ。業種は屋台営業及び移動販売業一般となっている。預金残高が充分あるからいきなりCランクだ」
私達2人の名前の入った商業ギルド会員証が私達の前に置かれる。
「更に以前、私がやったように個人的に誓いの水晶玉を使いたい時もあるだろう。だから昔作った予備を持ってきた。2つあるから1つずつ持っておけ。あればなにかと便利だ。アンフィーサ君は使い方を知っているな。マリアンネ君はアンフィーサ君に聞いてくれ」
誓いの水晶玉が2個出てきた。それぞれ私達の前に置かれる。
「あとは以前、アンフィーサ君に渡した魔法戦闘用ローブだな。マリアンネ君には渡していないからここで渡しておこう。耐衝撃、耐各種魔法、特殊効果無効、使用魔力半減その他便利な機能がついた特殊ローブだ。サイズ調整もついている」
マリの前にたたんだ黒いローブが1着。
「陛下と私とからの餞別は以上だ。返す必要はない。義理を感じる必要も無い。便利だし役にたつから受け取っておけ。それでいい」
うーん、やっぱりサクラエ教官には勝てない。こんなの反則だ。ちょい涙がにじんできそうになる。
でも一応聞いておこう。
「何故ここまでして下さるんですか。私達は逃げようとしているのに」
「理由はいつか君達もわかる時が来る。充分にあちこちを回って、知識と技術、技を身につけたその後にな。
こっちの事を気にする必要は無い。戻るのは気が向いたらでいい。いつか自分が得た知識や魔法を誰かに伝えたいと思った時にでも。それで充分だ。その為のポストくらいは用意しておく。屋敷とか地位とかはそのついでだ」
私にはわからない。考えても教官の台詞が私の気持ちとして理解出来ない。きっと今の私にはわからないのだろう。今の私には。
でもひょっとしたら、いつかわかる日が来るのかもしれない。ならその日の為にも受け取っておくのが正しいのだろう。多分きっと。
「ありがとうございます。褒章をはじめ、ありがたく受け取らせていただきます」
「ああ、それでいい」
教官は頷くと立ち上がる。
「それでは私はお暇しよう。この件を陛下に報告する必要がある。それにアルキデス国関係はまたしばらくかかりそうだ」
そう言ってこちらに一礼しかけ、そしてふとまた嗤った。
「そう言えば忘れていた。冬休みになったらまた殿下らの訓練に付き合ってくれとの陛下からの伝言だ。無論イルワミナで魔性を倒した時の他のメンバーも一緒だ。レベルが上がりすぎてもはや他の生徒と訓練がやりにくい状態だからな。
殿下らの送り迎えは私が責任をもって行わせて頂こう。マリアンネ君やアンフィーサ君が何処にいようとも。
それでは今度こそ失礼する」
別空間での魔力爆発の気配とともに教官の姿は消える。今度こそ本当に帰ったようだ。でも、今の台詞って、つまりは……
「今の台詞ってつまり、何処へ行こうが逃げられないぞって事でしょうか」
マリがそんな事を言う。
その通りだ。そう言いたいのを私はあえて堪える。どうせ逃れられないなら楽しい考え方をした方がいい。私の精神安定の為にも、きっと。
「深く考えない方がいいと思います。また冬休みに皆で一緒出来る。それを楽しみに思うだけで充分ですわ」
「確かにそうですわね」
マリの笑顔が微妙にぎこちなかったのはご愛敬だ。
きっと私も似たような表情をしていただろうから。
( 終? )




