第三話「彼女の場合(後編)」
小さな『官庁街』を越えて少し進めば、緑色の橋に差し掛かる。何気なく視線を下に向けると、数日前の雨の影響で、まだ川は増水しており、灰色に濁っていた。
「昨日と同じね。空とは違って、川は、すぐには回復しない……」
そんなことを思いながら、佐知子が橋を渡りきった時。
再び「ワンワン、ワン」という鳴き声が聞こえてくる。
「えっ?」
一瞬、空耳かと思った。捨て犬をそのままにしてきたことが罪悪感として残り、幻聴を生み出したのだ、と。
だが、違う。反響音のようにも聞こえるが、それでも現実感のある鳴き声だ。
「まさか……」
少し寄り道をして、川原に下りる。すると、すぐにわかった。
ちょうど橋の真下、つまり橋の上からでは見えない場所に置かれていたのは、一つのダンボール箱。先ほどのものとは違って、最初から蓋は開いており、中で一匹の子犬が、ちょこんと座っていた。
「また捨て犬!」
同じく茶色の芝犬で、サイズも同じくらい。
パッと見た感じでは区別がつかないが、別に先ほどの子犬が先回りしてきたわけでもなかろう。
「『事実は小説よりも奇なり』って言うけど……。偶然って、本当にあるものなのね」
一日に二匹の捨て犬に遭遇したことを『偶然』の一言で片付けて、佐知子は帰路へと戻った。
さらに数分の距離を歩くと、道路の両側は雑木林となり、道幅も少し狭くなる。ひたすら同じような木々が続くので、いつもならば、特に佐知子の注意を引くものは何もないのだが……。
今日は事情が違っていた。
一本の木の根元に置かれた、一つのダンボール箱。中身は「ワン! ……ワンワン!」と断続的に吠える子犬。しかも色や形は、最初の二匹とそっくりだ。
「もう偶然じゃない!」
顔を歪めて、佐知子は叫んでしまった。
もちろん『二度ある事は三度ある』という言い回しもあるが、現実的には、まずありえない話だろう。
「それよりも……」
佐知子は想像する。
三匹の容姿が酷似しているのは、同じ母親から生まれたからに違いない。ひょっとしたら、学校に迷い込んだあの芝犬が、この子犬たちの親犬だったのかもしれない。捨てられた我が子を探していたのかもしれない。
いや、そこまでは想像の飛躍だとしても。
誰かが子犬を捨てて回っていることだけは、まず間違いないだろう!
「なんでそんなことするの! 捨てるにしても、どこか一箇所でいいのに! なんでわざわざバラバラに!」
小さな怒りが胸の内に生まれて、思わず両の拳を握りしめる佐知子。
捨てた飼い主に対して腹が立つと同時に、だからといって自分が飼うことも代わりの飼い主を探すことも出来ないという事実に、彼女は打ちのめされていた。
結局、今度もそのままにして、また佐知子は歩き始めたのだが……。
子犬と出くわすのは『二度ある事は三度ある』どころの話ではなかった。
この日、家に帰るまでの間に、何度も何度も佐知子は見かけたのだ。ライトブラウンの芝犬の子供が入った、同じようなダンボール箱を。
「これって……!」
最初は「誰かが子犬を捨てて回っている」と思った佐知子だが、四匹目、五匹目と続くうちに「それにしては、いくら何でも多すぎる」と感じ始めていた。
自分の行く先々だけでも、この数なのだ。ならば、もっと他の場所にも、たくさん捨てられているはず。
いや、あるいは。
それこそ『自分の行く先々だけ』を狙って、ピンポイントに捨てられているのだろうか?
しかし、それでは『捨てられている』というよりも、むしろ、この子犬たちが自分を追いかけ回しているような……。
そう考えてしまうと。
何か得体の知れない感覚が、佐知子の背中を、ゾワゾワと這い上がってくるのだった。