王軍魔術師団の使い
男爵邸に戻ると、初老の魔術師が俺を待っていた。その魔術師は、ローブをきっちり羽織っている。彼が着ている褐色がかった灰色のローブは、王軍魔術師の印だ。サラも、彼と同じローブを着ていた。マッツが言ったとおり、こいつも王軍魔術師だったんだ。サラは、一歩下がって立っていた。どうやら、この魔術師は、サラより偉いらしい。
「エリス・ハターヤです。王軍魔術師団を代表してまいりました」
そのハターヤと名乗った魔術師は、軽く頭を下げた。サラも後ろで頭を下げた。あのサラがこんな折目正しい態度を取るなんて、妙だ。嫌な予感がする。
「実はお願いがあるのです」
ほら来た。何だ?
「アン殿を、王軍にお預けいただけないでしょうか」
俺は、即答した。
「お断りします。あれは、私の弟子です」
これ以外の返事は、ありえない。くれと言われて、自分の弟子を差し出す師匠なんかいるわけがないだろう。ハターヤ魔術師は、俺の返事に頷いた。分かってくれたか。じゃあ、帰ってくれ。
「お気持ちは分かります。しかし、クーセラ魔術師の報告によると、アン殿は素晴らしい才能の持ち主とのこと。ぜひ、王軍魔術師団に参加してもらいたいのです」
誰だ、クーセラ魔術師ってのは? とまどった俺に、サラが自分を指さして見せた。なるほど、サラのことか。あれ?
「サラ、アンがやったことを話したのか? 内緒だと言ったのはあんただろう」
「アンの才能を埋もれさせるわけにはいかないもの。王軍魔術師団には報告したわ」
「なぜ話すんだよ。いらんことをしやがって」
普段ならぽんぽんと言い返してくるサラが、俺に言い返さず、黙ってじっと俺を見た。その目は、何かを訴えている。何を言いたいのかわからないが、その目に押され、お俺の次の言葉は、のどに詰まって出てこなかった。
「ムスタ殿、どうかお考えいただきたい。才能を引き出す機会をアン殿に与えるのも、師匠の務めですよ」
「私がアンの才能を伸ばしてやります」
「だが、アン殿の魔力は、ムスタ殿とはかなり傾向が異なります。あなたでは、力を十分に引き出してあげられないのではないでしょうか」
「傾向の違う弟子を育てている魔術師は、大勢いるはずです。私にだけそれができないはずがない」
「メッケルン王軍魔術師の実力をご存知でしょう。その力の源は、所属魔術師の力を最大限に伸ばす術に長けていることにあります。王軍であればこそ、アン殿の才能を十分に伸ばせるのです」
「私にはできないと言っておいでか?」
ハターヤ魔術師は、気色ばんだ俺には気づかないかのように答えた。
「普通の弟子を相手にするならおできになるでしょう。しかし、アン殿の魔力がどの程度のものかを考えるべきです。現時点でも先日のような活躍ができるのです。正しく導けば、どこまでも伸びるでしょう。その芽をつぶしてしまうことは、大きな損失です」
つまり、王軍魔術師団は、アンに大破壊をさせたいということだ。
「冗談じゃない。断る。あんなにひどい魔力の使い方はない。アンにもう一度あんなことをさせるのは間違いだ」
俺は、ハターヤ魔術師に向かって、あらんかぎりの力で怒鳴った。アンの魔力を人を殺すために使わせるのか? そして、俺がいつの間にかそうなったみたいに、人を殺すことに慣れさせたいのか? 俺は、下水管理所からの脱出の時に感じた高揚感を思い出した。自分の役割を果たしているという充実感、自分が仲間を守っているという誇り、確かな戦果を上げたという満足感。全部敵の犠牲の上に成り立っていた。今分かった。あんなものは、全部間違いだ。あんなことのために魔力を使うものじゃない。
ハターヤ魔術師は、俺の剣幕に押されて片足を引いた。
サラが、ハターヤ魔術師に軽く頭を下げながら、前に出てきた。
「アンがここに留まったらどうなるかわかる?」
「神聖敵国が出て行っちまえば、もとどおりになるだろうよ」
「ならないわ。あれだけの魔力を見せてしまったんだから」
「口止めしたじゃないか」
「いつまでも秘密が守られると思ってるの?」
「誰もしゃべってないぞ。お前以外はな」
「二十人近い人がアンがしたことを知っているのよ。これから先いつまでその話が漏れずに済むと思ってるのよ。戦争が終われば、しばらくはお祭り騒ぎでしょうし、お酒もふるまわれたりするでしょう。あの作戦に加わっていた人は、どこに行っても大人気でしょうね。みんなが話を聞きたがるわ。みんなからねだられて、気持ちよく武勇伝を語るわけよ。その時に、武士にしても、自警団員にしても、つい口を滑らせないなんて思える? 誰か一人がうっかり話してしまえば、すぐに知れ渡るに決まってるじゃない。そうなったときに、誰がアンを守るの?」
秘密を守り切れないことくらい、わかってる。俺は、すでに覚悟を決めてるんだ。
「俺が守る」
「そう。あまりに強力な魔法使いがどんな風に見られるか知ってる? みんなが恐れて気を使うようになるわ。逃げてしまう友達だっているのよ。アンにそんな経験をさせたいの?」
「させたくない。でも……」
「いいから聞きなさい。それにね、アンは、あの時に少なくとも数百人の敵兵を殺しているわ。アンの活躍が知られるということは、アンがそれを知ることになるのよ。アンがどんな気持ちになるか考えてよ」
考えるまでもない。アンは、魔力以外はいたって普通の女の子だ。自分がそんなことをしたなんて、耐えられないに違いない。しかし、どうやっても一生隠せるものではない。
「王軍に行っても、それは一緒だろう。いずれは知ってしまうはずだ」
「そうよ。でも、王軍ならアンがその衝撃を乗り越える手助けができるわ」
「俺にはできないってのか?」
「あなたには無理よ。弟子を育てた経験なんて一度もないんでしょ。下手をすれば、心に深刻な傷を負うのよ。アンは、一生不幸になるわ」
俺は、反論できない。秘密を知った時にアンが受ける衝撃が心の傷となって残ることまでは考えなかった。
「王軍なら、何とかできるのか?」
「できるわ。魔術師だって、人間だもの。激しい戦いの後には疲れるし、心に傷を負うことだってあるわ。そういう傷を癒した経験は、十分よ」
「武士だって同じだろう」
「魔術師は、武士とは違うわ。あたしの礫はもちろんだけど、あんたの大砲でさえ、殺した敵兵の数は、一人の武士が殺した数の十倍以上になるのよ。あんた自身だって、あの時にその違いが分かったでしょ。平然としていられるのなんて、戦っている間だけよ」
「だからこそ、アンにそんな仕事はさせられないんだ」
「アンを守れるのは王軍だけよ。分かるでしょ」
「でも、そんな仕事をさせるわけにはいかない」
俺は、そこから言葉が続かなくなった。人を殺すような仕事をしてほしくはないが、アンは、すでに一回やっちまったんだ。近いうちに、アンもそれを知るだろうし、その事実からは一生逃れられない。俺がアンを守るという決心は、揺らいでいた。俺にとっては、あまりに大きな仕事だ。
「ムスタ殿、あなたが心配するのは分かりますが、王軍魔術師団は、人殺しの集団ではありません。今回のような戦いをするのは、やむを得ない場合だけです」
それまで黙っていたハターヤ魔術師だ。
「でも、必要なら殺すんでしょう」
「その通りです。しかし、この国が平和なら、決してやらないことです」
「平和ならね」
「そうです。この国の平和を誰が守っていると思っているのですか? 今でこそ周辺国と仲よくやっていますが、こうなるまでには長い年月がかかりました。王の下に優れた武人や魔術師が集い、努力して築き上げたのです。我々は、それを維持し、発展させる義務を負っています。先人たちが武士や魔術師に負わせた義務であり、今生きている人たちの期待です」
「だからと言って、アンがその役割を負う必要はないでしょう」
「ありますとも。それが魔術師ですから。あなたもそうでしょう。今回の戦いでの活躍をお聞きしていますよ」
俺は、オレーグ男爵の指示で、パウルやトミが言うままに魔法を使っただけのような気がする。だが、それだけとは言い切れない。
「自分の責任を果たしただけです」
「アン殿のように強力な魔術師は、本人が好むと好まざるとにかかわらず、大きな責任を負うことになります。その責任を全うできる強さを身に付けなければなりません」
「私がそのようにアンを指導できないと言いたいんですか?」
「できますか?」
そんな力が俺にないことは分かっている。だが、言い負けたくなくて、反論した。
「アンがそんな責任を負わなければならないんですか?」
「今はまだです。十年後にはそうなるでしょう」
十年後か。アンも立派な大人だ。今でも、サラに勝る魔力の持ち主だ。その頃には、俺には想像もできないほど強力に魔術師になっているだろう。そんなアンを指導するのは、俺には無理だ。
サラが指摘した心の傷の問題もある。今回の戦いの真実を知った時に受けるはずの傷だ。真実の知らせ方、その後の手当て、俺にはどちらもどうしていいか分からない。ターケットに住み続けたら、意図せぬ形で知ることになり、取り返しがつかないかもしれない。王軍に行けば、そんな心配は、なくなる。
俺は、しばらく唇を噛んでから、やっと声を絞り出した。
「残念ながら……」
「ムスタ、あんた」
俺が言いかけると、サラが声を上げた。ハターヤ魔術師が制止する。俺は、最初から言い直した。
「残念ながら、アンを守り育てるのは、私にはむつかしいようです」
こんなこと、言いたくなかった。だが、俺は、続けた。
「アンを健やかに育て上げていただけるなら、王軍魔術師団にお願いしたいと思います」
サラは、踏み出していた足を下げ、頭を垂れた。ハターヤ魔術師も、深く礼をした。魔術師の正式な礼だ。責任を持って引き受けるという意味だ。
俺の頬を、涙が伝った。弟子であるアンを指導しきれないふがいなさ、アンを守り切れない情けなさ、そして、アンを手放さなければならない悲しさが、まとめて俺を襲ってきたんだ。




