脱出敢行
「ムスタ、トミ、降りて来い。アンも忘れるな」
ヨエルが下から呼んだ。俺は、大砲を静止させ、制御を失わないようにその場所を頭の中に思い描きながら階段を降りた。階下に降りても、大砲の手ごたえは残っていた。トミは、アンを助け下ろしてくれた。
自分が動きながら大砲を支えるのはむつかしいが、何とか落とさずに済んだ。俺は、階下に降りてすぐに窓際に行った。見えないと、長くは操れないんだ。敵から見られないようにかがむと、二階の高さに浮いている大砲を見るのにちょうどいい。
俺が余裕を取り戻したのを見て、ヨエルが説明を始めた。
「作戦を説明する。ここを脱出して見つからない場所まで移動することが目標だ。特に、三名の魔術師を確実に逃がさなければならない」
魔術師以外は捨て駒になる可能性があるということだ。武士たちは難しい顔をしながらもうなずいたが、自警団員は動揺した。そんな中で、ウッジは、眉ひとつ動かさなかった。たとえ生活臭が強くても、高い志は本物だ。
サラが、すました顔で言った。
「でも、魔術師も最後まで一緒に戦うことになるわよ。魔術師が自分を守れるなら、他の人も守れるに決まってるじゃない。普通の人より遠くまで力が届くんですからね」
そう言いながら外をうかがい、袋から取り出した数個の礫をほうり上げた。一言短く呪文を唱えた途端、ピシッと鋭い音がして、落ちかけていた礫が消えうせた。一瞬の後、戸外でいくつもの悲鳴が上がった。
「こんな具合にして敵を近づけないわ。討ち漏らした敵はお願いね。みんなで一緒に脱出よ」
今度は自警団員たちも覚悟ができたようだ。ヨエルが後を引き取った。
「もちろん、全員で脱出する。誰かを犠牲にするつもりはない。魔術師を優先するのは、どうしようもなくなった場合だけだ。では、具体的な戦術を説明するぞ」
戦術は、単純だった。旧下水管理所の裏から出て逃げるんだ。表側は広場になっているが、裏は、路地だ。一度に遭遇する敵兵の数が少なくて済む。とにかく敵兵がいなくなるまで、戦いながら逃げる。
俺は、何度も危機を潜り抜けてきたことで、すっかり肝が据わっていた。最初のころなら腰を抜かしただろうこんな作戦でも、必要ならやるしかないと納得できた。
しかし、こりゃ何だ? この緊急事態だし、俺は走りながら魔法を使えない。これが良い考えなことは認めるんだが、それにしても、これはないだろう。
「本当にこれに乗るのか?」
「そうだ。できるだけ補強した。大丈夫なはずだ」
ヨエルが俺に乗るように言っているのは、手押し車だ。子供を乗せるために使われていたんだろう、籠がしつらえられている。要するに、乳母車だ。窮屈だが、俺が乗れるくらいの大きさがある。籠に板が括り付けられているのは、防壁のつもりだろう。
「お前は、これに乗って大砲を操るんだ。走りながらじゃ無理なんだろう?」
「うう、分かった」
この年で乳母車に乗る羽目になるとは思わなかった。かなり気恥ずかしいが、ヨエルの言う通りだ。乗らなければしょうがない。俺は、ちらっとサラの様子をうかがった。よかった。彼女も同じような手押し車に乗せられている。おさまりのいい姿勢を探したりして、なんだか楽しそうだ。これなら、後でからかわれずに済む。
俺が手押し車に乗ると、膝の上にアンが放り込まれた。アンは、俺の腹に背をつけて丸まった。目をつぶって何かを考えているようだ。
「魔術師殿、かなり揺れたり跳ねたりすると思う。見習い殿をしっかり抱いていてくれ」
手押し車の取っ手を持った自警団員が注意を促した。俺は、うなずいて、アンの体に手を回した。アンは、俺の腕をぎゅっと抱えた。
俺は、ヨエルの作戦通り、大砲を持ち上げるために呪文を唱え始めた。一回離してしまったから、もう一度持ち上げるには時間がかかる。その間、武士や自警団員は、手を振り回したり、足を曲げ伸ばしして体の調子を整えていた。サラは、袋を広げて、中の礫を確認した。アンは、俺の腕越しに広場の方を見ている。何か呪文を唱えているようだが、俺も呪文を唱えているから、何をしているのか聞くわけにはいかない。
ほどなく俺の呪文が完成して、大砲が持ち上がった。ヨエルが号令をかけた。
「やれ、魔術師、裏の壁をぶち抜け」
俺は、大砲を広場側の窓から室内に入れ、裏の壁にぶつけた。壁が崩れて大きな穴が開き、外が見えた。
「走れっ!」
ヨエルの声とともに、武士と自警団員がその穴から走り出た。俺たちを乗せた手押し車は、がれきを乗り越えられないから、裏口を使う。敵が壁の穴から出た武士たちに気を取られて、戸口のほうが手薄になったので、すぐには攻撃を受けずに済んだ。もしかしたら、乳母車にびっくりしただけかもしれないけれど。俺は、その時間を利用して、大砲を振り回し、路上の敵を追い回した。敵だって、回転したり突進したりしてくる大砲の相手なんかしたくないんだろう。すぐに、俺たちが走り抜けられる空間を確保できた。
サラは、手押し車に揺られながら、礫をほうり上げては呪文を唱えていた。あのピシッという音が絶え間なく聞こえ、行く手の敵が倒れていく。うまくいけば、このまま逃げられそうだ。
「サラ殿、左上!」
トミが叫んだ。一瞬の遅れもなく礫が飛んだ。前方左側の建物の二階から、弓を持った敵兵が転がり落ちた。
二階にいる敵に対処するために、俺は、大砲に縦の動きを加えた。俺の大砲は、機敏には動かない。敵兵は、素早く動けば避けられる。だから、俺は、敵を殺すことができない。だが逆に、どうせ怪我くらいで済むと思うと、思う存分大砲を振り回せた。敵は、思うように俺たちに近づけない。うまくすり抜けてきた敵兵も、体制を整えなおす前に、武士の剣や自警団員の斧に向かえ撃たれた。
飛び道具を持った敵は、サラが担当している。前に後ろに、礫を飛ばしまくっている。トミがひっきりなしに敵の居場所を叫び、サラが礫で敵を倒す。かなりの数の敵が倒れた。それでも、飛んでくる矢は、一向に減らない。
「がっ」
俺たちの手押し車を押していた自警団員が、つんのめって転んだ。足に矢が刺さっている。仲間が助け起こし、他の一人が手押し車を押す役を変わった。俺は、バランスを崩して呪文が滞りそうになったが、何とか持ちこたえた。改めて大砲を激しく振り回す。最初の曲がり角は、もうすぐだ。
「ムスタ、角のあちら側に大砲を回せ。待ち伏せている敵を追い散らせ」
俺は、大砲の動きを頭の中に思い描いてから、呪文を切り替えた。大砲が角を曲がって見えなくなったが、大丈夫だ、手ごたえを失わずに済んでいる。
その時、武士の一人が後ろから矢を受けた。広場にいた連中が路地になだれ込んできて、矢を射ている。曲がり角があるせいで俺たちの前に奴らの仲間がいなくなったから、遠慮なしに射られるようになったんだ。武士を襲った矢は、胸を貫通していた。武士は、口から血を吐きながら、先に行けと身振りをした。俺たちは、倒れた武士の名前を叫びながら、それでも、止まらずに走り続けた。
サラが、ひときわ大きな声で呪文を喚いた。何十もの礫が敵の射手たちに向かって飛んで行った。多くの悲鳴が上がる。飛んでくる矢の数が目に見えて減った。しかし、すぐに、より多くの敵が俺たちを追い始めた。サラの礫でも、その勢いを抑えられない。
その時、腕に痛みを感じた。さっきから声を出さずに何かの呪文を唱えていたアンが、爪を立てて俺の腕を握りしめていた。アンの呪文詠唱の声が大きくなり、後ろからガランガランという音が聞こえてきた。
何が起きてるんだ? 思わず、後ろを振り向いた。広場においてきたはずのもう一つの大砲が、激しい勢いでこちらに転がってきていた。空を飛んでいるんじゃない。地面や壁にぶつかりながら転がってくるんだ。運悪く大砲と壁や地面との間にはさまれた敵兵は、人数こそ少ないものの、あっさりとつぶされ、腕を失ったり、足を失ったり、命を失ったりした。俺は、一瞬呆然としたが、操っている大砲の手ごたえを失いそうになり、慌てて気合を入れなおした。射手たちは、あっという間に地面を転がる大砲に追い散らされ、俺たちが逃げる隙ができた。
下水管理所でアンが唱えていた呪文はこれだったんだ。大砲に予備呪文をかけたに違いない。アンは、俺の腕を掴んで目をつぶったまま呪文を唱え続けている。見もせずに、いったいどうやって操っているんだろう? どう動かせばいいのか、なぜわかるんだ?
俺たちは、角を曲がった。俺の大砲は、その役割を果たし、敵が家々から持ち出した家具で道をふさぐように作った急ごしらえの防壁を破壊していた。防壁に通れる穴が開いているが、大きな破片が手押し車が通る邪魔をしそうだ。大砲の制御を失わなくてよかった。俺は、大砲を地面にこすりつけるようにして、破片を弾き飛ばした。掃除が終わったところで、大砲を振り回して、邪魔する敵兵を排除した。
「魔術師殿、うまいぞ」
手押し車の横を走る武士が俺をほめた。下水道管理所を出た後のたった数分間で、俺は、何人の敵にけがをさせ、何人を殺したんだろう。大砲が地面や壁にぶつかったり、建物を崩したりしたときに巻き添えを食った敵兵は、十人や二十人ではないはずだ。だが、このころには、俺も敵の生き死になど気に掛けてはいなかった。それどころか、自分の魔力で仲間を守っていることに、誇りすら感じていた。仲間のために必要とされることをやって、自分の役割を果たす。それこそが重要だと、やっと理解したんだ。




