変装
俺たちは、潜伏場所間近の曲がり角の手前で止まった。そっと覗いてみると、斥候が報告した通り、潜伏場所のあちらとこちらに一軒ずつ窓がわずかに開いている建物が二つあった。あそこに敵兵が潜んでいるんだろう。奴らを排除しないと、大砲を潜伏場所になっている建物に持ち込めない。裏から回ると時間がかかるし、出入り口をふさいでいる板などを除いている間に見つかってしまう。
パウルが建物までの距離を目測したり、魔法を使っている間の俺の援護方法について他の武士と相談していると、なぜか姿の見えなかったパウルの弟が、服の山を抱えて現れた。
「兄さん、さっき死んだ敵兵から上着を引きはがしてきました。これで敵の目をくらましましょう」
パウルの返事はこうだった。
「しまった」
「はい?」
怪訝そうな弟。
「俺が思いつくべきだったんだ。お前に一本取られてしまった」
悔しそうなパウル。
「何を言っているのですか。若者の考えが老人より柔軟なのは当たり前のことです。礼には及びません。まあ、この手柄で私のほうが先に騎士に叙されてしまうのは仕方がありませんけどね。あっはっは」
弟は、胸を逸らして笑った。パウルは、そんな弟をげんこつで殴りながら、みんなに指示を出した。
「俺の小隊の者、それからそこの五人、この上着を着ろ。ムスタ、お前もだ」
俺は、パウルの指示に従って上着を着た。敵兵の血がべったりと付いている。そのにおいが鼻を突く。嫌な臭いだ。また心がひるむ。
パウルは、上着を取り上げて着込みながら、残りの者たちに指示を出した。
「お前たちは大回りしてあちら側に潜んでいる敵を牽制できる場所に移動しろ。俺たちは、大砲を移動させているふりをして潜伏場所に近づく。十分近づいたら大砲を敵が潜んでいるこちら側の建物にぶつけるから、それを合図に援護を開始しろ。お前たちの役割は、あちら側に潜んでいる敵兵を俺たちに近づけないことだ。鹵獲した矢筒を全部持っていって、物陰から奴らを牽制しろ。足止めできている限り無理をするな。奴らが俺たちに迫りそうになったら、命に代えても押しとどめろ」
彼らは、大きくうなずくと、来た道を走って引き返していった。
パウルは、俺たちにも指示を出した。
「いいか、さっき言ったように、俺たちは、大砲を護衛しているように歩くんだ。武器や外套をうまく使って血の跡を見られないようにしろ。ムスタは、大砲の影になる位置に付け。奴らから呪文を唱えているのが見えないようにだ。ずっと呪文を唱え続けて、大砲をいつでも動かせるようにしてくれ。潜伏場所の前まで来たら、一気に大砲を持ち上げて、敵が潜んでいる建物にぶち込め。できれば中で大砲を振り回して、敵が反撃できないようにしてほしい。そのあと、大砲を潜伏場所の建物の壁にぶつけて穴を開けろ。そこから中に入る。入ったら、俺が指示する場所の床を大砲でぶち抜いてくれ。そのあと、地下室の中でも大砲を振り回すんだ。いいな」
俺は、一瞬躊躇した。見えないところで持ち上げている物を振り回すなんてやったことがない。しかし、考えてみれば、何にぶつかっても構わないんだから、動かしさえできればいいわけだ。魔法をかけ続けているものなら、位置が分かっている限り操れる。市壁工事の時だって、石のバランスをとるために、見えない部分も扱っているだろ。そこにあることと、どのように動いているかが分かっていればいいんだ。建物の中に入れてしまうと見えなくなるけれど、入れる前にどのように動かすかを決めておけば、短時間なら俺の思うように動かせる。
「わかった。大丈夫だ」
そう返事をしたら、また高揚した気分になってきた。何でもできるような気がする。自信がわいてきて、すぐにも行動できるように大きく息を吸った。服に付いている血のにおいが鼻を突いた。
生々しい恐ろしいにおいに圧倒され、心の半分が怯えて縮こまる。自信と怯えが俺の心に同居する。その矛盾に混乱させられる。
「頼むぞ」
パウルが、俺の背中を強く叩いた。力のこもった手だった。俺は、それで正気に戻った。高揚した気分が残っていて、俺の怯えた心を元気づけてくれる。
パウルは、俺の心を察して背中を叩いてくれたんだろうか。パウルの目を見ると、俺に対する信頼に満ちていた。そうだ。俺は、この作戦を始める前に、パウルに大丈夫だと言ったんだ。俺は、この作戦を遂行できると約束した。約束は守らなくちゃ。
「任せろ」
半分は義務感が言わせた言葉だったが、言ってみると、心から怯えが去った。戦争が始まってから初めて冷静になれた。俺は、仲間のために、やらなければならないことをやるんだ。
血のにおいは、もう俺を怯えさせなかった。だが、その代わりに、嫌な想像を呼び起こした。魔術師の弟子であるアンの血のにおい。いや、決してそんな目には逢わせない。




