橋
その晩は男爵の言葉に従って泊めてもらい、従士たちから避難命令の細かいことを教えてもらった。従士たちは、デマや勘違いで市民が混乱することを恐れていた。
次の日の朝、せめて声の届く範囲の人たちだけでも混乱なく避難できるようにさせてくれと言われて、俺たちは、下宿に戻った。
だが、案外、心配するまでのことでもなかった。前もって少しずつ自警団員が知らせて回っていたからだ。戸締まりやら荷物やら食い物やらの附則は多かったが、指示の骨子が単純なのもよかった。他の町に逃げたい者は逃げろ、それ以外は市壁内に入れ。それだけだ。大半の人々は、その通りに行動した。中には変な奴がいて、貧乏人は市壁内に入れてもらえないだの、病人は自警団に殺されるだのと言いふらしていた。そういうやつらは、人を惑わせないように、従士たちが捕まえて留置場に押し込めた。
俺が下宿についたら、ベアッテおばさんが、男と口論していた。
「結局、逃げればいいのかよ? 市壁に入るのがいいのかよ? はっきり教えてくれよ」
「何を馬鹿なこと言ってるのさ。あんたの考えでさっさと決めなよ。誰も指図なんかしやしないから」
「何が馬鹿なんだよ。俺は、ちゃんと見通しが立たないことは嫌いなんだ。こんな大事なことなのに、どうなるかわかってる奴が誰もいないってどう言うことだよ。貴族たちは何をやってるんだ」
「無茶をお言いでないよ。戦争ってのは、相手のあることなんだからね。そんなに簡単に見通しが立つわけないだろ」
「そもそも、こんな事が起きちゃいけなかったんだ。領主たちはいったい何をやっていたんだ。高貴な義務を負ってるのが貴族なんだろ。貴族の義務を果たせ」
騒いでいるのは、三階にかみさんと子供三人とともに住むマイニオだった。遠くの町に逃げる当てはあるらしいんだが、逃げるのと留まるのとのどちらが得かで迷っているらしい。
「あー、めんどくさ。あたしゃ、もう、あんたなんか相手するのはやめるよ。一番悪いのはどう考えたって神聖帝国なんだから、あいつらのところに行って文句を言ってやりな」
まだまくしたてているマイニオに背を向けたおばさんは、俺を見つけて駆け寄ってきた。
「ムスタ、どこに行ってたんだい? 昨日武士があんたを連れて行っちまったから、みんな心配してたんだよ。マイニオったら、あんたが昼間からごろごろしてたのをあげつらって、神聖帝国の間諜だったに違いないなんて言い出すしさ。みんなが動揺して、そうじゃないって言っても聞かなかったんだ。夜半に帰ってきたウッジがそれを笑い飛ばして、それでも食い下がるマイニオを怒鳴りつけるまで続いたんだからね。ウッジに礼を言っときなよ」
「わかった。昨夜は大変だったんだな」
俺は、心の中でウッジに感謝した。勘違いしていないウッジは、いい奴だ。
「あんたはどうするんだい? 市壁はもうできたんだろ?」
おばさんに本当のことを言うわけにはいかない。
「とりあえず、石工の徒弟として働くことになった。俺は、親方たちと一緒にターケットに残る」
「アンは?」
「アンもだ」
「そうかい。本当はどっちがいいんだろうねえ? 迷っちまう人が多いわけは分かるよ。マイニオみたいになるといただけないけどね」
「おばさんも迷ってるのかい?」
おばさんは、マイニオのほうにやっていた視線を俺に戻し、目を剥いて見せた。
「何言ってんだい、全然迷っちゃいないよ。他の町に親戚なんかないし、友達も全部ターケットに住んでる。それに、あたしゃターケットが好きなんだ。だから、あたしも残るよ。あたしの旦那も子供たちもさ。ただ、アンは、この町の子じゃないだろ。縁もゆかりもないこの町に留めるのもどうなんだろうね」
「何言ってんだ、おばさん。弟子といえば子供も同然って言ったのはあんただろ」
「そうだったね。そしたら、あんたは、子供そのものだって言ったっけ。縁とゆかりならここにあるわけだ」
おばさんは、心配顔を引っ込めて、俺の背中をばんばん叩いた。いつもながら、ずいぶん堪えるぜ。
俺が見たところ、下宿の周りに住んでいる連中も、大体冷静のようだった。マイニオみたいなやつは、他にはいないようだ。
町は、別れを惜しむ姿や、旅姿で町の外に向かって歩いていく姿、荷物を抱えて市壁内に入ろうとする姿で埋め尽くされていた。領主様の指示通りに板を打ち付けた窓や扉が目だつ。普段見られないほど大勢の人が通りにいるのに、うら寂しい感じだ。これからどうなってしまうんだろう。
俺が男爵邸に戻ると、鋳掛屋が梯子のようなものを作っていた。鉄枠に格子が付けてある。指図をしている従士には見覚えがある。昨日の話し合いの席にいた。
「あの、えっと」
そいつに話しかけようとしたが、名前を覚えていなかった。
「おお、魔術師殿。戻られたましたか」
「これは何ですか?」
「これですか。昨日ヨエルが提案した、存在しない道ですよ」
ヨエルってのは、誰だっけ? ああ、自警団長だ。
「これが橋?」
「そうです。これをあなたに支えてもらって、我々が上を走るんです」
なんだか、短いな。同じ並びの隣の家にだって届きそうにないぞ。使い物になるのかな? 眉をひそめる俺を、その従士は、楽しげに見ていた。
「短すぎるとお思いでしょう」
「短いですよね?」
「短すぎるんですよ、橋にするには。そこが我々が苦労したところでしてね」
その従士は、嬉しそうに説明を始めた。鋳掛屋への賛辞を適当にはさみながら教えてくれたところによると、この鉄枠をいくつか縦に並べて、横の閂鎹のようなものに鉄棒を差し込むと長い橋になるそうだ。彼は、二人で持てるぐらい軽くて人が乗っても壊れないくらい強くするのがむつかしかったが、創意工夫で解決できたと自慢した。根っからこういうのが好きなんだろうな。
「何枚か出来上がっているので、試してみませんか?」
どうやら、俺が戻ってくるのを待ち構えていたらしい。引っ張られるようにして作業場の隅に行くと、完成した鉄枠が数枚置いてあった。従士は、俺をそこに残して、母屋の方に走って行きながら大声で団長を呼んだ。
「ヨエル、ヨエル!」
「なんだ、パウル、大声を出して。おっ、魔術師殿が戻られたのか?」
あの従士は、パウルってのか。
「そうだ、早く来い。無き道を試してみようぜ」
「無き道か。いい呼び方だ。俺も今度からそう呼ぼう」
団長は、俺のところまで小走りに駆けてきた。
組み立て方法は、パウルが威張るだけあって、簡単だった。閂鎹は、鉄の棒を長手方向からではなく、横からはめ込むことができるようになっていた。おかげで、二つの橋桁の向きをぴったり同じに保たなくても、簡単に連結できる。叩き込めば揃うんだ。鉄の棒だけでは弱いから、補強の鎹も使うようになっている。ものの数分で数個の橋桁がつながって、五尋位の長さになった。両端を台に乗せて真ん中に立つと、大きくたわむ。
「これじゃ、何人も乗ると壊れるかもしれませんよ」
俺が指摘すると、団長が答えた。
「なんの、一人ずつ渡れば済む」
往きはそれでいいけど、帰りはどうするんだよ。
「追われて逃げる時に時間がかかるじゃないですか」
「なるようになる。逃げきれなければ、できるだけたくさんの敵兵を道連れにして果てるまでのこと」
「そういうのは嫌だなあ。ちょっと待ってくださいよ。橋が持ち上がったら、真ん中に体重をかけてみてください」
きっと、支え方でなんとかなる。俺は、どこを支えればいいかを考えながら、呪文を唱えてみた。団長とパウルは、興味津々で見ている。俺がこれを支えている上を渡るというのが作戦の核心部分だもんな。興味があるわけだよ。
何分かかかったが、橋は、水平を保ちながら持ち上がった。一尺ほど持ち上げたところで、団長に目くばせをした。団長は、すぐに察して、ぐいと両手で体重をかけてくれた。ほとんどたわまない。これなら、何人か乗っても大丈夫だ。
「お、いけそうではないか。思ったより安定しているぞ」と団長。
全部鉄で作ってあるから、扱いやすいんだ。俺は、にやりと笑って、橋に向かって顎をしゃくって見せた。言葉では言えない。口が呪文で忙しいからな。
団長は、足をかけて上がろうとした。その途端、橋が横向きに回転して、落っこちた。
「うわ、おっとっと」
落ちたといっても、地上一尺だ。団長は、少し慌てただけで、転びもしなかった。
「屋根の高さからこんな風に落ちたら、痛いかもしれないな。左右には不安定なのは、なぜだろう?」
痛いかもじゃないよ。きっと死んじまうよ。この案は没かなあ?
「もう一度落ちてみる勇気はあるかい?」
パウルが鉄の棒を抱えてきて、ヨエルに聞いた。
「この高さなら、お前の気がすむまで落ち続けてやるさ」
団長がさっそく橋に足をかけようとすると、パウルは、慌てて止めた。
「待て待て、同じことを繰り返してもしょうがないだろう。こいつをこうしてだな」
パウルは、鉄の棒を鉄枠の隙間に横向きに突き刺した。ああなるほど、これを使って安定させろということか。俺は、理解した印にうなずいて見せた。だが、パウルは、団長と俺を相手に、その考えを滔々と説明し始めた。これだから趣味の人は困る。聞かなくても分かってるから早く試させてくれ、と言いたいんだが。呪文を唱え続けているので言えない。団長は、なるほどなるほどと聞いている。
「ところで魔術師殿、なぜまだ支え続けているのですか? 下ろされてはいかが?」
パウルは、説明が一段落したところで、そう言った。そうだよな。下ろせばよかったんだ。そうすれば止めろと言えたんもんな。早く言ってくれよ。
やれやれと下ろすと、パウルは、突き刺した鉄棒と橋の隙間にくさびを打って固定して、また持ち上げろと言った。さっきと形が違うから、もう一度支え方を考え直してから、また一尺ほど持ち上げた。
「さあ、ヨエル、乗ってくれ」
「パウル、お前は乗らないのか?」
「お前が落ちなかったら乗る。いいから早く乗れ」
「勝手な言い草だな、まったく」
団長は、ぶつぶつ言いながらも橋に乗った。今度は、横向きの棒の先を適当に動かせば、安定していた。
「よし、パウル、お前も乗れ」
「よしきた」
パウルは、掛け声とともに橋の上に飛び乗った。橋が盛大にぐらついて、飛び乗った側の端が地面についた。団長は、振り落とされてしまった。パウルは、それを気にせず、幅一尺半の橋の上を走って何度か往復した。俺は、急激なつり合いの変化に少し焦ったが、わりとすぐに慣れて、彼を落とさない程度には安定させられるようになった。
ほっとくといつまでもパウルが橋の上で遊んでいそうだったので、俺は、彼を乗せたまま橋を下してしまった。パウルが残念そうな顔をしたが無視して、俺のやりたいことを団長に頼んだ。さっきの感触では、大丈夫なはずだ。
「団長、何人かで橋の上に立ってみてください」
パウルが反対した。
「橋が壊れますぞ」
「いや、俺はやってみたい。魔術師殿、少々お待ちを」
団長は、母屋の方に人を呼びに行った。
「大丈夫かなあ。何人も乗ったら壊れてしまうよ」
パウルは、不安そうに、橋桁の継ぎ目をいじり、通された鉄棒の強さを推し量っていた。
団長は、三人の従士を連れてすぐに戻ってきた。俺は、橋が上がったら全員で乗ってくれと頼んでから、橋を持ち上げた。団長とパウルはすぐに乗ったが、新しく連れてこられた従士は、少し躊躇した。それでも二人は団長たちの後を追うように乗ったものの、一人の従士は、なかなか勇気が出ず、橋の前で逡巡していた。すでに乗った従士たちから何のかんのとからかわれていたが、そのうち勇気を出してやっと橋に上がった。
「なんだ、やっと橋まで届いたか」
「トミ、橋が高かったのか? 俺には低かったぞ。お前の背が縮んだんじゃないか?」
せっかく上がったのに、散々な言われようだ。ちょっとかわいそうになったが、魔法を使っている魔術師には発言権がない。
全員が橋に上がったところで、団長は、橋の上で飛んだり跳ねたりするよう命じた。パウルとトミ以外は命令に従った。パウルは、橋から飛び降りて、橋桁の継ぎ目を心配そうに見ていた。トミは、ぐらつく橋桁にしがみついていた。すまんな、これ以上安定させるのは、俺には無理だ。




