最終話:涙のバトンタッチ、そして私が手に入れたもの
入院していた調理員さんが無事に現場へと復帰し、完璧に引き継ぎを終えた新しい新人さんへと、いよいよ私のバトンを渡す最後の日がやってきた。
いつもと変わらない、だけど私にとっては特別で愛おしい給食室の匂い。
立ち上る湯気の中でいつものように手を動かしながら、私はこれまでの7年間のさまざまな記憶を、静かに思い返していた。
前の学校のクソチーフに徹底的にボロボロにされ、「いっそ死にたい」とすら絶望していたあの暗い日々。
他人からの心無い言葉や理不尽な扱いで、人間なんて簡単に「死」の2文字が頭をチラついてしまうほど脆くなってしまうということ。
周囲の期待を裏切りたくなくて、必死に頑張って自分の心を殺し続けた結果、心も身体も完全にダメになってしまったこと。
そんな絶望のどん底から、両親や兄弟に温かく支えられて、今、私はこの素晴らしい場所に立っているということ――。
この給食室には、本当に、言葉では言い表せないほどたくさんたくさんお世話になった。
メニューが大変すぎて、朝から「逃げ出したい!」と白目を剥きそうになる日もたくさんあったけれど、今となっては、そのどれもが本当に輝かしい、最高の思い出だ。
◇
バタバタとした午後の洗浄作業もすべて終わり、私たちはいつもの休憩室へと集まった。
女チーフ「えーっと。それでは……本日ね、水口さんが退職します。本当に寂しいけれど、みんなで笑顔で送り出してあげましょう。みんな、1人ずつ水口さんへのメッセージをお願いします」
チーフの言葉を合図に、現場のメンバーが一人ずつ、私に向かってメッセージを語り始めてくれた。
その最初のひと言目を聞いた瞬間から、私の目からはすでに涙が溢れて止まらなくなっていた。
サブチーフ「水口さんとは、7年間ずっと一緒に働いてきたね。前の学校で本当に辛いことがあったのを知っていたから……。それなのに、ここでたくさん頑張って、いつも弾けるような笑顔でいてくれた水口さんが、私は本当に大好きだったよ! これから先、何か困ったことがあったら、すぐに助けに行くからね!」
調理員①「水口さん……いなくなっちゃうんだね……。私が入院してしまったせいで、水口さんの辞める日を数ヶ月も遅らせてしまって、本当に申し訳ないっていう気持ちと、そのおかげで少しでも長く一緒に働けて嬉しかったっていう気持ちと……。いつも私を支えてくれて、明るく話しかけてくれて、まるで本当の妹のように可愛かったです。本当に寂しい。今まで本当にありがとう」
調理員②「水口さんには、私がまだ新人の頃から優しく丁寧に仕事を教えていただいて……。私が困っている時は、いつもどこからか颯爽と現れて助けてくれる水口さんが、本当に、本当に大好きでした。寂しくなったら、いつでもこの給食室に戻ってきてくださいね」
調理員③「私は今年の4月からしか一緒に働いていないけれど、4月にこの学校へ異動してきたばかりの時、校内の案内とか細かいルールまで本当に親切に教えてくれて、いつも助かっていました。みんなでまた待ってるから、絶対に、いつでも戻ってきてね」
調理員④「水口さーん。私も4月からだったけど、たくさんミスしちゃっても水口さんがいつも笑顔でカバーしてくれて、本当に本当に助けられていましたぁ……。一緒に怒られてくれたり、いつも優しく接してくれてありがとうございました……!」
調理員⑤「水口さんの代わりに入ったばかりの新人ですが……。毎日、本当に細かく丁寧に仕事を教えてもらって……。それだけじゃなくて、まだ緊張していた私をみんなの輪の中に優しく引っ張っていってくれて……本当にありがとうございました」
みんなが涙を浮かべながら紡くれる言葉が、私の心に深く、優しく染み渡っていく。
最後に、チーフが私の目を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
女チーフ「いやぁ……本当にね、水口さんにはたくさんたくさん助けられたよ。異動してくる時、前の学校のチーフから『水口さんのこと、どうか気にかけてやってくれ』って頼まれていたんだけど、そんな必要なんて全くないくらい、毎日誰よりも頑張ってくれていてね。本当に、今日で最後なのが悔やまれるくらい、この給食室にとって絶対に必要な存在だったんだよ。……みんなね、水口さんのことを本当の『保護者』みたいな気持ちで見守っていたのさ。これから先、困ったことや悩むことがあったら、いつでも相談してほしい。みんな、ここの給食室でずっと待っているからね。いつでも頼っていいんだからね。6年間、本当にありがとうね」
みんなの温かい言葉を聞いている段階で、私の顔はもう涙と鼻水でぐっちゃぐちゃに崩壊していた。
胸がいっぱいで声が出そうになかったけれど、なんとか呼吸を整えて、精一杯の感謝を込めて話し始めた。
水口「ずびっ……皆さん……たくさんの優しい言葉、本当にありがとうございます……ぐすっ……。わ、私は仕事の覚えが本当に悪くて、これまで皆さんにはたくさんご迷惑をおかけしちゃったかもしれないってずっと不安に思っていたので、そんな風に言ってもらえて、本当に嬉しくて……」
涙がボロボロと溢れて止まらない。
水口「前の学校で誰も信じられなくなって……この学校に異動してくる時も、どうせどこに行っても同じだって、心を閉ざしていたんです。だけど、ここにいる皆さんは本当に優しく接してくれて、毎日仕事に来るのが本当に楽しかった。だから……だから、この学校に新しく来た人たちには、私がここでみんなに優しくしてもらった分だけ、私も同じように優しくありたいって思って、毎日動いていました。皆さんは私にとって、本当の家族のような、お母さんのような……本当に、本当に、みんなのことが大好きでした……!!」
最後は、過呼吸になってしまうんじゃないかと思うくらい、声を上げて子供のように泣いた。
みんなでたくさんたくさん泣いて、ついに本当に帰る時間がやってきた。
私は涙を拭い、みんなに向かって何度も、何度も頭を下げてお礼を伝えた。
水口「私はこの学校に異動できて、本当に幸せでした! たくさんの素敵な思い出を、本当にありがとうございます。みんなで力を合わせて作った給食の味は、一生絶対に忘れません。……もし、いつか子どもが大きくなって、また私がこの給食業界に戻ってきた時は、その時はまた、よろしくお願いします!! みんな、本当に大好きです!!」
すると、誰からともなく「最後はやっぱりこれでしょ!」と、なぜか給食室のメンバー全員でがっちりと円陣を組むことになった。
女チーフ「水口さんのこれからの未来が、どこまでも明るくありますように!! さようならは言わず、最高の『ありがとう』で終わりましょう!」
「おーーっ!!」と声を上げ、みんなで泣き笑いしながら、私は愛する仲間たちとお別れをした。
こうして、私の給食を作るお仕事は、激動の7年間で静かに幕を閉じた。
◇
振り返れば、最初の学校でのあの1ヶ月間は、本当に辛くて、辛くて、仕方のない日々だった。
外に出ることすら怖くなり、あの時は家族の支えがなければ、辛うじて息をしているだけという状態だった。
だけど、家族の無償の愛と、この学校での新しい温かい出会いが、私をこんなにも強く、優しく変えてくれた。
だから今、仕事や人間関係で行き詰まって、生きることを諦めかけている人に、この言葉が届いてほしい。
どうか、一度立ち止まって、周りを見渡してみてほしい。
世界は冷たいことばかりじゃない。絶対に、あなたを本気で心配してくれる人がいるはずだから。
あなたを理不尽から守ってくれる人が、世界のどこかに必ずいるはずだから。
もしも今、「誰もいない」と孤独に震えているのなら、私があなたの味方になる。
辛い時は、我慢せずに「辛い」って言っていいんだよ。
声を上げて泣いたっていい。
心が追いつかない時は、立ち止まったって全然いいんだよ。
だからどうか、生きることを諦めないでほしい。
明けない夜はないと、あの暗闇から救われた私が、心からエールを送ります。
(学校給食調理員・完)
最後までお読み頂きありがとうございます!
私が経験した天国と地獄の給食のお話しでした。
いじめる人ってきっと何も覚えていないんですよね。いじめられた方はいつまでも、何年経っても心の傷は消えないんです。
自分がされて嫌なことはしてはいけない、当たり前な事が出来ない大人もいるんですよね。
地獄のような環境でも頑張る必要があるのか、それ以外に仕事はないのか考えさせられる出来事でした。




