第1話:理不尽な幕開けと、豹変するチーフ
「給食の仕事は休みも多いし、美味しい給食も食べられて楽しいらしいよ」
近所の寿司屋の大将からそんな話を聞いた野崎は、二十歳の春、深く考えずに給食調理の会社の面接を受けた。
面接官「この仕事は、人間関係で苦労する方も多いですが……その辺は大丈夫ですか?」
野崎「はい、頑張ります!」
人手不足だったのか、面接はその日のうちに「合格」。
1週間の座学講義を受けたら、すぐに学校へ配属されることになった。
同期の入社は20人ほど。しかし、幸先は良くなかった。
講義を担当する男性社員がセクハラまがいの身内ネタを話し始め、周囲が愛想笑いをする中、野崎が引き攣った苦笑いを浮かべていたのが気に入らなかったらしい。
最終日、全員の前で配属先の学校が発表される時、なぜか野崎の名前だけが呼ばれなかったのだ。野崎以外の同期はみんな笑顔で配属先を教えてもらっているのに。
(……なんなの、最初から憂鬱すぎる)
結局、別の社員さんに頭を下げて配属先を聞き出し、4月3日。野崎の初出勤の日がやってきた。
配属先は、母校ではないけれど家から近い、とある中学校。
小学校より中学校の方が給食が美味しいと聞いていたので、そこだけは少し嬉しかった。
事前に会社のマネージャーからは、こう指示されていた。
『朝8時半までに学校に行ってください。チーフが校門で待っているはずなので、一緒について行って校長先生に挨拶をします。服装は自由ですが、大抵の人はスーツで来ますね』
マネージャーの言葉通り、野崎はリクルートスーツに身を包み、朝8時15分に学校に到着した。
しかし――校門には誰もいない。
(まだ15分前だからかな……?)
念のため校門の前で待ってみる。
だが、8時20分になっても、25分になっても誰も来ない。
(嘘、さすがに焦ってきた……!)
意を決して、学校のインターホンを押した。
「すみません! 今日からお世話になる、給食室の野崎です……!」
インターホンは職員室に繋がっていたようで、事務員さんが怪訝な顔をしながらも玄関の鍵を開けてくれた。
8時27分。玄関に入ったはいいものの、靴をどこに置けばいいのかも、どこへ向かわばいいのかも分からない。会社から支給されるはずの上履きも見当たらなかった。
途方に暮れていると、8時32分。
上下白い調理服を着た、顔立ちのキツそうな女性がドタドタと歩いてきた。
「あなた、野崎さん? 時間まで待ってみたけど来ないから玄関に来てみたら、なんでここにいるの? 時間は守ってね?」
棘のある言い方に心臓が跳ねる。
野崎「えっ……すみません! マネージャーから『校門でチーフが待っているから、そこで待つように』と言われていたもので……」
「私がチーフだけど。普通、給食室に直接来るでしょ? なんでマネージャーの言うことなんて真に受けてるの?」
野崎「すみません……給食室の場所自体も分からなくて……」
チーフ「はぁ。もういいわ、とりあえず付いてきて。上履きは休憩室にあるから、靴下のまま歩いて」
(え、靴下のまま……?)
冷たい廊下をペタペタと歩き、玄関から3分ほど奥まった場所にある給食室へ案内された。その向かいにある狭い休憩室で、野崎の制服や靴が手渡される。
チーフ「普通はこれ全部に名前を書くんだけどさ。あなた、いつ辞めるか分からないから、名前は書かないでくれる? 『〇』とでも書いといて」
(……は? いつ辞めるか分からない?)
まだ働き始めて5分も経っていない。それなのに、最初から「辞める前提」で話されている。強烈な居心地の悪さと悔しさが込み上げてきたが、言い返せるわけもなく、野崎は言われた通りに制服のタグへ「〇」と書き込んだ。
作業が終わり、校長先生への挨拶のため、チーフに連れられて校長室へ向かう。
ドアをノックして部屋に入った瞬間、チーフの声のトーンが跳ね上がった。
チーフ「失礼します! 遅くなって申し訳ありません! 新人が遅刻してきちゃいまして……!」
――え?
チーフ「こちら、新人の野崎さんです! この子を入れた9人で、新学期から美味しい給食を作りますので、よろしくお願いいたします!」
さっきまでの般若のような顔はどこへやら、チーフは満面の笑みで校長先生にペコペコと頭を下げている。
(……誰だお前!?)
野崎は時間通り、いや、むしろ15分も前から校門で待っていたのだ。それなのに、この女のせいで、記念すべき初出勤は「新人の大遅刻」にすり替えられた。
引き攣る顔を必死に隠しながら、校長先生に深々と頭を下げる。
床を見つめる視界の中で、野崎は心底、心の中で悪態をついた。
(クソッタレが。絶対許さねえからな)
挨拶が終わり、休憩室に戻ると、他の調理員さんたちが数人出勤してきていた。
春休み期間の今は「清掃日」らしく、本格的に給食が始まる前に、調理器具や施設を丸洗いする期間なのだという。有給を使って休む人が多いため、全員は揃っていなかった。
チーフを含めて、野崎と、調理員さん3人ほどで、午前中は黙々と軽い清掃をこなした。
お昼休憩が近づいた頃、チーフが他の調理員さんたちに向かって声をかけた。
チーフ「今日は清掃もほとんど終わったし、帰りたい人は午後休使って帰ってもいいよ〜!」




