第5回
大学の講義が始まるのは今月の10日から。長いような短いような春休み。その間、私はバイトに明け暮れていた。
キャンパスがあるのは西荻窪。私は高円寺のアパートから通っている。学費は奨学金で、生活費は実家からの仕送りとバイトで工面していた。とはいえ、講義が始まればそんなに働けなくなる。だから、今のうち。稼げるだけ稼ごうとする学生は結構いるのだ。ご多分に漏れず、この私も。
それなのに悪びれることもなく、当たり前のように私を呼び出すオンナがいる。大田区南千束に豪邸を構える八束水家のひとり娘。千里だ。
千里は一見、淑やかな女性だ。サラサラの長い髪に黒縁の大きなメガネ。季節を問わず、白のブラウスにネイビースカートのコーデ。秋冬はミンクのコートを着こなす。彼女がフレンチヒールの音を響かせれば、それだけでオトコは皆、惹き寄せられる。振り向かないですれ違うことなど不可能だ。
もし、有美のように千里が外交的になれば、オトコの間で激しい争奪戦が起きるだろう。だが、私たちは知っている。彼女の裏の顔を。いや、本性と言ったほうがいいかもしれない。
「アンタは黙ってさえいれば、可愛らしいお嬢様なのにね」と、いつも有美は言う。
そう。千里はとんでもない毒、それも猛毒を吐くオンナ。鼻持ちならない大金持ち。慇懃無礼にして傍若無人。できれば、一生お近づきになりたくない。
「あなたたちは、私にかしずけばいいのです。私の存在は誰よりも尊いのですから」
これが決まり文句。外見に惑わされて不用意に近づくと火傷ではすまない。一瞬のうちに灰となり、風に飛ばされて消えてしまうだろう。実際、犠牲になったオトコを私たちは幾人も見てきた。
千里は“粉々”にしたオトコの氏名、年齢、最終学歴、勤務先、年収などを手帳に事細かく書き記していた。曰く、『犠牲者名簿』なのだとか。それを年に1回。クリスマスの夜に慰霊祭と称し、祈りを捧げながら自宅の暖炉で燃やす。悪趣味、ここに極まれりだ。
私たちの出会いは偶然だった。1年生のときに受けた必修科目の講義で隣り合って座った。それが、何回か続いたある日。チャイムが鳴って席を立とうとしたとき、千里が私たちに声をかけてきた。
「あなたたち。一緒にお茶でもいかがですか?ご馳走させて頂きます。あ、申し遅れました。私、八束水千里です。どうぞよろしく。
〈八束水?あの八束水メディカル・ホールディングスのお嬢様かな〉ー私の予想は当たっていた。まさか、こんなところで八束水家の令嬢に会うなんて思いもしなかった。
「私は初瀬野佳織です。あなたは?」
私は有美に尋ねる。彼女の名前は垣谷有美。グラビアアイドルをしていると言うから驚きだ。八束水家の令嬢にグラビアアイドル。私だけが平凡な存在だった。
キャンパスの正門まで歩き、目についたのは白のロールスロイス。側には白い手袋した男性が背筋を伸ばして立っている。紺色の帽子とスーツを着た彼は、姿を現した千里に一礼し、慣れた所作でドアを開ける。
「お嬢様。お待ちしておりました」
「茅野さん。お迎え、ご苦労さまです。今日は私のお友だちを連れてMisyuku Clubに行きます。店長の羽多野さんに電話をして下さい。いつものテーブル席を予約して欲しいのです」
緊張する私たちを乗せたロールスロイスは、三宿へと走り出した。




