はじまり
街が、壊れていた。
いや、“壊されていた”と言うべきかもしれない。
ビルは根元からへし折れ、アスファルトは波打つようにひび割れ、信号機は無残にねじ曲がっている。まるで、見えない何かが街そのものを握り潰したかのようだった。
空気が重い。焦げた匂いと、鉄の味が混ざっている。
誰もいない。
悲鳴すら、もう残っていなかった。
ただ一人を除いて。
——それは、“少女”だった。
瓦礫の中心に、ひとつの影が立っている。
長い髪は風もないのに揺れ、身体を覆うのは、禍々しく歪んだ装束。ドレスのようでいて、どこか生物的に脈打っている。
その姿は、もはや「魔法少女」などという言葉では片付けられない。
異形。
あるいは——悪魔。
少女はゆっくりと顔を上げた。
瞳は赤く濁り、どこにも焦点が合っていない。
「……まだ、足りない」
感情のない声。
けれどその奥に、底の見えない“何か”が渦巻いていた。
次の瞬間。
地面が、沈んだ。
音は遅れてやってくる。
轟音。
衝撃。
爆ぜるように空気が裂け、残っていた建物が一斉に崩れ落ちる。
少女は、ただ右手を軽く振り下ろしただけだった。
それだけで、街の一角が消えた。
粉塵の中で、少女はぼんやりと呟く。
「……壊す」
「全部……壊す」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
ただ、自分自身に言い聞かせるように。
だが——そのとき。
「……やめろ」
微かな声が、瓦礫の向こうから聞こえた。
少女の動きが、止まる。
ゆっくりと、そちらを見る。
崩れた壁の影に、一人の人影があった。
制服は破れ、血に濡れ、それでも立ち上がろうとしている。
「……アカネ」
その名前を呼ぶ声は、震えていた。
少女——アカネの瞳が、わずかに揺れる。
「……たか、みや……?」
かすれた声。
ほんの一瞬だけ、“人間”の色が戻る。
だが、それも長くは続かなかった。
頭の奥で、何かが囁く。
——壊せ。
——それも敵だ。
——全部、終わらせろ。
「……ちが……う……」
アカネは頭を押さえる。
痛み。
いや、それ以上に——“意思”が侵食されていく感覚。
「……やめて……」
だが、声は届かない。
ゆっくりと、アカネの腕が持ち上がる。
向けられる先は——高宮。
「……来るな……」
高宮は一歩も引かなかった。
「お前は……そんなやつじゃ……」
言い切る前に。
世界が、白く染まった。
——その日、街は消えた。
目を覚ましたとき、世界はやけに静かだった。
白い天井。規則的に鳴る電子音。窓の外には、何事もなかったかのような青空が広がっている。
あの崩壊が、まるで嘘みたいに。
「……ここ、どこ……」
声に出してみるが、やはりどこか現実感がない。
記憶が——ない。
自分が誰なのか、何をしていたのか、どうしてここにいるのか。
何一つ、思い出せなかった。
ただひとつ。
胸の奥に、黒い“何か”が残っている。
焦げついたような感情。
怒りなのか、悲しみなのか、それすら分からない。
「……気がついた?」
不意に、ドアが開く音。
振り向くと、そこに立っていたのは——
一人の少女だった。
少し長めの黒髪を後ろで束ねている。制服姿からして、高校生くらいだろうか。
落ち着いた目つき。けれどどこか、こちらを値踏みするような視線。
「……だれ……?」
自然と口からこぼれた言葉に、少女は一瞬だけ目を細めた。
「そっか。やっぱり、何も覚えてないんだ」
ため息まじりにそう言って、彼女はベッドの横まで歩いてくる。
「ここは病院。あなた、倒れてたの」
「大きな怪我はなかったけど……ちょっと、普通じゃない状態でね」
普通じゃない——その言葉に、心がわずかにざわつく。
「……わたし……」
言葉が続かない。
名前すら、出てこない。
少女はしばらくこちらを見つめたあと、ぽつりと呟いた。
「……名前、ないの?」
その問いに、答えられない。
沈黙が、何よりの答えだった。
「……そっか」
少女は少し考えるように視線を逸らし、やがてこちらに向き直る。
「じゃあ、仮でいい?」
「……え?」
「あなたの名前。ないと不便でしょ」
そう言って、彼女はわずかに口元を緩めた。
「“アカネ”ってどう?」
「……アカネ……」
その音を、ゆっくりと口の中で転がす。
なぜか、少しだけ——しっくりきた。
「……うん」
小さく頷く。
それが、自分の名前になる。
「よし、決まり」
少女は満足そうに頷いた。
「私は高宮。高宮ユウナ」
そう言って、手を差し出してくる。
一瞬、ためらう。
——この人を、信じていいのか?
理由はない。
けれど、胸の奥の“何か”が、微かに警鐘を鳴らしていた。
それでも。
ここで手を取らなければ、自分はどこにも行けない気がした。
ゆっくりと、その手を握る。
温かい。
「よろしく、アカネ」
その言葉に、ほんの少しだけ安心する。
——だが、その瞬間。
頭の奥に、ノイズのような映像が走った。
崩れる街。
赤く染まる空。
そして——
誰かが、倒れている。
「……っ!」
思わず頭を押さえる。
「どうしたの!?」
高宮の声が遠くに聞こえる。
「……いま……」
見えた。
確かに、何かを見た。
けれど——思い出せない。
「……なんでも、ない……」
そう言うしかなかった。
高宮は少しだけ不安そうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
「無理しなくていい。どうせ、これから嫌でも分かるから」
「……え?」
その言葉の意味を聞き返す前に。
高宮は、少しだけ真面目な表情になる。
「アカネ」
「あなた、“普通の人間じゃない”可能性がある」
静かに告げられたその言葉は——
やけに、すんなりと胸に落ちた。
「だから、来てほしい場所があるの」
まだこの時は——
何もわかってなかった。




