失業した夜、俺は深夜ダンジョンでゴミを拾った
会社をクビになった。
会議室に呼ばれて、紙を一枚渡されて、それで終わりだった。
三十一歳。都市警備会社勤務。遅刻も欠勤もなく働いてきたが、不景気の前ではそんなものは何の意味もなかったらしい。
「業績悪化に伴う人員整理だ。急で悪いな、真壁」
悪いと思っている声ではなかった。
俺――真壁遼は、返す言葉もなく社員証を机に置いた。言いたいことがなかったわけじゃない。現場が人手不足だったことも、俺が何度も穴埋めに入ったことも、先月だって三人分のシフトを回したことも全部覚えている。
けれど、それを言ったところで何も戻ってこない。
制服を返し、私物の入った紙袋を抱えてビルを出る。
外はよく晴れていた。
春先の東京は妙に明るい。この世界にダンジョンが出現して十数年。駅前のビジョンでは探索者向け装備メーカーの広告が流れ、武器ケースを背負った人間が普通に歩いている。
だが、俺の人生にはほとんど関係のない話だった。
ダンジョンで稼ぐのは、選ばれた連中の仕事だ。生まれつき強いスキルを持つ者。戦闘センスのある者。運のある者。
俺のスキルは【鑑定】。
しかも戦闘向きじゃない、ただの一般鑑定。中古品の真贋チェックや、搬入された備品の状態確認に使える程度の、地味で安いスキルだ。
探索者ギルドの適性診断でもはっきり言われた。
『低層の採取補助か、査定業務向きですね。戦闘職には不向きです』
だから俺は、普通に働いた。
普通に働いて、普通に疲れて、普通にクビになった。
「……笑えねえな」
スマホで口座残高を見る。
家賃。光熱費。食費。来月まで持つかどうか。
そんなとき、通知欄の下に流れてきた求人広告が目に入った。
■深夜ダンジョン回収スタッフ募集!
■討伐済み低層エリアの廃棄装備・魔石片・素材クズの回収業務
■未経験歓迎、探索資格不要、日払い可
「……ゴミ拾いか」
思わず口に出た。
だが、今の俺に選り好みできる立場はない。広告を開き、応募フォームを送る。数分後、簡単な説明と集合場所が送られてきた。
場所は、品川第七ふ頭ダンジョン前。時間は23時。
その日のうちに働けるらしい。
◇
品川第七ふ頭ダンジョンは、東京湾沿いにある中規模の都市型ダンジョンだ。低層はほぼ観光地に近く、訓練目的の初心者探索者や配信者も多い。危険度は低いが、人は多い。
夜の十一時。
表のゲートは閉じていたが、関係者用の搬入口だけが開いていた。
「回収スタッフの真壁です」
「あー、今日の飛び入りね。こっち来て」
ヘルメット姿の中年男に通され、簡単な説明を受ける。
「仕事は簡単だ。探索者どもが捨てた壊れ武器、割れた防具、魔石のカス、使えそうなもんをコンテナに仕分ける。危険物だけ触るな。変なの見つけたら呼べ」
「変なの?」
「呪物とか、たまにあるんだよ」
男は面倒くさそうに欠伸をした。
「まあ低層だしそうそうねえ。死体も今日は出てない」
「それは安心しました」
「顔が死んでる新人よりは安心できねえけどな」
言い返す元気もなかった。
支給された手袋と簡易ライトを受け取り、搬入口から内部へ入る。
空気が少し変わった。
ダンジョン特有の、冷たく湿った石の匂い。人工照明で照らされているのに、奥へ行くほど暗闇が濃くなる感じ。モンスターはすでに討伐済みらしく、低い唸り声もしない。
代わりに散らばっているのは、たしかにゴミだった。
折れた短剣。ひしゃげた胸当て。砕けた魔石。スライムの粘液がこびりついた網。焦げたブーツ。安物の照明具。
「……ひどいな」
探索者にとっては持ち帰る価値のないもの。業者にとっても、大半はまとめて処分するしかないもの。
俺はしゃがみ込み、折れた短剣を拾い上げた。
せめて、使えそうなものを分ける。
そう思って【鑑定】を発動する。
いつも通り、簡素な情報が視界に浮かぶ――はずだった。
――――――――――――――――――――
古代式魔力導体短剣(破損)
希少度:A
現在価値:低
修復価値:極大
潜在性能:雷属性付与・魔力伝導補助
推奨処理:刃部交換 / 導体研磨 / 再刻印
――――――――――――――――――――
「……は?」
思わず声が漏れた。
なんだ、これ。
今までの【鑑定】じゃない。俺が見られるのはせいぜい“鉄製短剣・損耗大・市場価値低”くらいの、味気ない表示だけだったはずだ。
なのに今のは、価値だけじゃない。修復法、潜在性能、希少度まで出ている。
「いや、待て……」
たまたまかもしれない。そう思って、次に割れた胸当てへ手を伸ばす。
――――――――――――――――――――
岩甲虫の外殻を用いた軽量胸当て(大破)
希少度:B
現在価値:低
再利用可能部位:胸部右下 / 接合フレーム
適合職:斥候、軽戦士
備考:表面損傷のため過小評価されやすい
――――――――――――――――――――
背筋が粟立った。
「おいおい……マジかよ」
魔石の欠片を拾う。
――――――――――――――――――――
濁質魔石片
現在価値:小
用途:低級照明具 / 研磨材 / 魔力測定器の試験用
備考:三十片以上で再圧縮可能
――――――――――――――――――――
壁際に転がっていた黒い棒を拾う。
――――――――――――――――――――
封印杭(機能停止)
現在価値:無
注意:第三封印式の残滓あり
推奨:専門家へ売却
――――――――――――――――――――
見えている。
価値が。いや、価値だけじゃない。使い道そのものが。
俺はしばらくその場に立ち尽くいていた。鼓動だけがやけにうるさい。
なんで急に? スキルが成長した? 今さら? そんな話は聞いたことがないわけじゃない。極限状況や強い適性によって、スキルの精度や派生能力が目覚めることはある。
だが、俺みたいな一般人に?
「……今はいい」
理由なんて後だ。
この場にあるものの意味を理解している人間が、少なくとも今ここには俺しかいない。
なら、やることは一つだった。
俺は黙々と拾い始めた。
価値のある破損短剣。再利用可能な魔石片。素材として優秀な外殻。封印式の残った鉄杭。
見た目はゴミの山だ。だが俺の視界では、色が違って見えた。明らかに値段のつくもの、組み合わせれば化けるもの、知識のない人間には見過ごされるもの。
コンテナの仕分けルール上、すべてを自分のものにはできない。だが回収業者は一定量までは『個人買い取り』もしてくれるらしい。価値不明品として安く流される前に、俺が先に押さえればいい。
「おい新人、ずいぶん熱心だな」
最初に説明してきた中年男が戻ってきた。
「そうでもないです。ただ、これ……処分じゃなくて買い取り回せませんか」
「は? そのガラクタを?」
「いくつか、使えそうなんで」
「へえ」
男は俺の手元を覗き込み、鼻で笑った。
「まあ好きにしろ。査定班が値段つけて、文句なきゃ持ってけ。ただし高くはならんぞ。低層のゴミなんてそんなもんだ」
「助かります」
安く見られるのはむしろありがたい。
そのあと二時間、俺は夢中で拾い続けた。
この破片は研磨材になる。この骨片は魔力を通しやすい。この短剣は刃を替えれば化ける。この杭は専門業者に回せば相当値がつく。
ゴミ拾いのはずなのに、宝探しをしている気分だった。
◇
午前二時過ぎ、回収所の片隅で簡易査定が行われた。
眠そうな査定員の女が、一つずつ品をチェックしていく。俺は平静を装っていたが、内心はかなり緊張していた。
「えーと、まとめて……これとこれと、これが個人買い取り希望?」
「はい」
「正直、ただの破損品ばっかりだけど」
ですよね、という顔をしたまま、査定員は機械に通していく。
まずは外殻の胸当て部品。
「……あれ?」
女の手が止まった。
「どうかしました?」
「いや、内部フレームの素材ランクが思ったより高い。再利用できるじゃん、これ」
「そうなんですか」
「うん。見た目がひどいだけで中身は生きてる」
次に短剣。
今度は隣のベテランらしい男が覗き込んできた。
「ちょっと見せて」
「何です?」
「この導体、古い型だ。今は作れないやつだぞ」
俺はなるべく驚いていないふりをした。
「値段、つきますか」
「……破損品扱いなら、まあ数千円。だが専門の修復屋に回せば――いや、待て」
男は真顔になって端末を叩く。
「新人、これどこで拾った?」
「低層の第三ルート脇です」
「こんなもん、なんで残ってた……?」
最後に封印杭が出た瞬間、空気が変わった。
「おい、これ一般廃棄に混ぜたの誰だ!」
「え?」
「第三封印式の残滓ありだぞ、バカが触ったら事故る!」
周りの職員まで集まってきた。
俺は心臓が跳ねるのを感じたが、同時に確信した。
見えている情報は本物だ。
最終的に提示された買い取り金額を見て、俺は本気で言葉を失った。
「……七万八千?」
一晩のゴミ拾いで、だ。
しかもこれは“破損品として安く引き取られた値段”にすぎないらしい。査定員の女は、どこか怪しむような目で俺を見た。
「真壁さんだっけ。あなた、選び方が妙にうまいね」
「たまたまですよ」
「たまたまで封印杭まで拾ってくるなら、そのたまたまは才能だよ」
才能。
その言葉が、妙に胸に残った。
会社では便利な人手だった。切ってもいい側の人間だった。だが今この瞬間だけは、俺の判断に値段がついた。
回収所を出るころには、東の空が少し白み始めていた。潮の匂いのする風が吹く。
スマホの口座に振り込み通知が入る。数字を見ても、まだ現実感はなかった。
「……七万八千」
もう一度呟く。
たった一晩。ただのゴミ拾い。
だけど俺には分かってしまった。
これはゴミなんかじゃない。
誰も価値を知らない宝だ。
そして、その価値を見抜けるのは、たぶん俺だけだ。
ダンジョンの暗がりを見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
「……明日も来るか」
会社をクビになった夜だった。
なのに人生で初めて、明日が少しだけ楽しみだった。




