11.こゆるぎさんはついている②
(……私、最近ほんとついてるかも……)
呆然と、目の前の光景を眺める。
――どこか、現実感がなかった。
仕事を定時に終わらせて駆け込んだ電車に揺られ、目的地を同じくする人々と共にドームに向かって。
入場の際に携帯をかざして知った座席は、まさかの――神席だった。
アリーナではない。
けれど、スタンド一列目のど真ん中。
視線を落とせば、すぐ下に、通路を挟んでアリーナ席が広がっている。
「うわ……ぁ」
喉の奥に引っ込むように、小さく声が漏れた。
メインステージからは距離があるけれど、それでも視界の中心に舞台が収まっている――真正面の席。
眼下の通路は、演出でメンバーが通ると聞いたことがある。
(嘘)
何度も座席の番号をチケットと確認して、放心状態で腰を下ろした。
ステージ上部に飾られたS:yncのモニュメントと、左右の巨大なスクリーンがよく見える――まるで、映画館の特等席に座ったような気分だ。
近隣で「近い! 神!」と感極まった声を漏らすファンに同調しながらも、ふわふわした気持ちが定まらない。
――夢みたいだけど、現実だ。
この所、一生分の幸運を使い切ってないだろうか。夢のようなことばかり起きて、現実との境目がわからなくなりそうだ。
物販でしか来たことがなかったドームでの、初めてのライブ観覧。
しかも最終日の良席なんて、神がかっている。奇跡だ。
「わぁ……」
辺りを見回すと、2階席や3階席にも、たくさんの人の姿が見える。
振り返った先にはスクリーンがあり、全方向から見やすくなっているのだろうと、初見でもわかる配慮に納得して頷いた。
ついついキョロキョロと観察してしまう。
(なんていうか、すごい……)
開演前のざわめきに、ファンであるPulse達の期待が感じられて、人の波に圧倒された。
わかってはいたけれど、これだけS:yncを応援する人達が実在する、といざ目の前にすると、少し萎縮してしまう。同時に興奮もした。
今回の新作グッズ、歴代の缶バッチ、マフラータオル、応援用のうちわ、ペンライト――ひとつひとつを見て回って、皆と語りたくなる。
(あ、こないだのイベントのグッズ! 参戦してたのかなぁ)
後でSNSでたくさん語ろうと決めて、自分のペンライトを取り出す。
今季のデザインは、S:yncのロゴカラーであるコスモブルーとパールホワイトをベースに、時計のモチーフが描かれ、細かく散ったラメが星のようだ。
形はごくシンプルで、軽い。
平日の開催で、仕事終わりに物販に並ぶ余裕はなかった。
だからこれは、事前通販で届いてからずっと――今日、この瞬間のために、出番を待っていたもの。
スイッチを入れず、ただ握る。
それだけで、胸が高鳴った。
(いよいよだ……)
開演を待つ人たちと共に、会場の空気を、設営を目に焼き付けていると、話し声も、足音も、少しずつ落ち着いていく。
アナウンスが流れ、気付けば、ドーム全体が暗転していた。
——始まる。
闇の中で、音が広がっていく。
静かに、強く、鼓動を響かせるように。
サーチライトが飛び交う。
スモークが立ち込め、その中空に浮かび上がった巨大な円盤が、カチコチと音を立てて時を刻み。
――開始の18時を表した途端、振り子時計の鳴る音と共に、ステージが光り輝き、三つの人影が現れた。
《Welcome home, Pulse!》
S:yncの声に、悲鳴のような爆発的な歓声がドームを満たした。
待ち望んでいた掛け声に、凪沙も立ち上がって、ただ叫んでいた。
声が出ているのかどうかも、もう分からなかった。
そのまま始まった一曲目は、今回のツアーの表題曲。
夏らしいアップテンポの、飛び出るような明るい曲で、ファン全員が必死にペンライトを振り、体を動かしていた。
低音が床からせり上がってきて、胸の奥まで震わせる。
映像でしか知らなかった、初めてのドームライブの実体験は、強烈で、日常を忘れさせた。
(かっこいいっ! 最高!)
脳内の語彙なんてとっくに溶けていた。
白をベースにした衣装のメタリックな縁取りが、動くたびに光を乱反射させて輝く。それぞれにイメージカラーの差し色がされていて、わかりやすく似合っている。
衣装の銀色の光は、どこか冷たく鋭く感じるが、モニターに映し出された彼らは弾けるような笑顔で踊り、歌っていた。
センターの推しがカメラに抜かれた瞬間、弾けるような幸福に包まれる。
(アキのえくぼ世界一!)
かっこかわいい。
無邪気な感じの笑顔、最高。
今日の衣装も似合いすぎていて悶絶ものだ。
何度も何度も聴いた曲を直に浴びて、全身の細胞が歓喜していた。
スピーカー越しの歌声に、時間が溶けていく。
気づけば、曲の終わりが分からないくらい、夢中になっていた。
いつの間にか、身体は2曲目の走り抜けるような定番曲に同調して駆け抜け、次いで3曲目のコール中心の代表曲を迎えた。
S:yncが呼びかけ、Pulseの声がドームを満たす。
《We are S:ync!》
「We are Pulse!」
叫び続けるうちに、喉が焼けるようになって、最後のコールが終わった。
息を整える暇もないまま、あっという間にMCがやって来る。
曲の余韻がまだ空気に残っているうちに、息を整えながら、最初にマイクを握って声を出したのは、AKIだった。
『ドームツアー最終日! 暑い中来てくれてありがとう! S:yncです!』
怒号のような歓声が響き渡る。
ペンライトの光の洪水が溢れる。
それに笑顔で返す推しは、どう見ても違う世界の人だ。
――遠いな、と思った。
AKIの隣で、リーダーのSHOが服を仰ぎながら――腹チラに悲鳴が上がった――続ける。
『いやー、暑いな! 皆、水分ちゃんと摂って!』
はーい! と会場が沸いた。
『ごめん、俺達も水飲ませて! 汗かいたー!』
『水分、大事……』
軽くSHOが言った側でREOが呟く。
ファンが「たくさん飲んでー!」なんて言っている。
マイクを下ろした隙に、各々ステージ脇のボトルに手を伸ばす。
もちろんAKIも。
水を飲むだけの仕草なのに、なぜか目が離せなかった。画面に映る喉仏がセクシーすぎる。
『今日も最高の時を刻んでいこうな!』
AKIの呼びかけに、ファンが吠える。
凪沙はペンライトを握り直して、息を整えた。
まだ始まったばかりなのに、もういっぱいいっぱいな感覚だった。
手短にMCが終わり、ふわっと闇に溶けていくように、ステージが暗転する。
さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、空気が張り詰めていった。
――そして、スクリーンに、モノクロの巨大な歯車の機構が映し出された。
噛み合った大小の歯車がそれぞれ回転し、その横に表れた数字が、10からゆっくりとカウントされていく。
自然と、会場ではペンライトの色が揃っていった。
この演出の時は、銀。と、凪沙も色を変える。
闇夜の中で輝く星々のように、美しい光がドームを満たした。
カチ、カチ、と歯車が音を立て、数字が減っていく。
3、2、1――会場が固唾を飲んで見守る中、コスモブルーの照明がステージを照らし、徐々に、紺や銀へと変化していく。
0、とカウントが終わった瞬間、一拍の静寂のあと、低く重いビートが落ちてきた。
レーザーがステージを走り回り、再びS:yncが現れる。
僅かな時間で彼らは、シックな、どこか軍服を思わせる衣装に身を包んでいた。
さっきまでの笑顔はない。
スクリーンに映ったS:yncは、睨みつけるような鋭い視線でこちらを見据えていた。
リアル早着替えに興奮する間もなく、視線が釘付けになる。
三人はほとんど動かない。
それなのに、視線だけで、空気を支配していた。
ドン、と雷が落ちるような音が身体の芯に響く。
途端に激しく踊り始めた彼らの黒と銀の衣装が、レーザーを受けて鈍く光っていた。
ジャケットの端が揺れるたび、息を呑む音があちこちで重なる。
圧巻だった。言葉では言い表せない。
腕の角度、視線の魅せ方、足運び――その一つ一つが鋭く、揃っていて、目が離せなかった。
フォーメーションが展開するたび、幾何学模様のように三人が入れ替わり、光が動き、影が重なる。
美しい芸術のような連携に魅入りながらも、気づくと視線は自然とAKIを追ってしまっていた。
三人揃って完成されるものだというのに、誰よりも光り輝いて見えるのは、凪沙が彼を贔屓しているからなのだろう。
この間会った時より髪が短くなって、やや暗めの色に染まっている。
少し前に、誤って包丁で軽く切ったとメッセージで語っていた人差し指は、もう全く問題なさそうだ。
――つい、知っている面影を探してしまうくらいには、AKIとのやり取りに慣れてしまったのかもしれない。
日頃のメッセージやお見合いで会った姿が、随分と凪沙の中を占めていた。
曲が進むにつれて、世界観はさらに深く潜っていく。
レーザーが空間を切り取り、スクリーンの映像とシンクロして、ドームそのものが巨大な舞台装置に変わる。
S:yncのパフォーマンスは、まるでこの世のものとは思えない、独特の雰囲気をもたらしている。
――さっきまで、ファンと笑い合って水を飲んでいた人たちとは思えない程、別人のようで、息を呑んで見守るしかできなかった。
そして、静と動が交錯する楽曲がやってきた。
一瞬の静止――息を吸う音すら聞こえそうな間に。
ふっと、会場が暗くなった。
薄暗い客席の中、まるで点線を引いたように、ステージの真ん中からアリーナ中央通路を通り、光が走り抜ける。
通路の両端を切り取るように、ライトが光っていた。
次の拍で三人がライトに照らされながら、それぞれ一歩ずつ前に出る。
(あ……)
――観客の悲鳴が上がった。
さっきまでは平らだった、アリーナ席を通る十字の通路が持ち上がっていた。
その中央に時計のロゴマークのついた小さなステージが現れる。
アリーナ席の人々が口元をおさえ、必死で手を振り、うちわやペンライトを振り回す。
それは、花道だった。
メインステージから伸びたその花道を通って、S:yncが、一人ずつ歌いながら
こちら側に――センターステージへ向かってきている。
まだ離れてはいるけれど、それでも小さくしか見えなかった全身が、はっきりと見えた。
アリーナ後方を挟んで、スタンド前列にいる凪沙にも信じられない程近い位置だ。
呼吸が浅くなり、心拍数が上がる。
先頭は、リーダーのSHO。
次いでREO。
――そして、最後に。
AKI。
「っ!」
ひゅっと、息を呑んだ。
真っ直ぐにこちらを射抜いた視線と、目が合った。
――その途端の、満面の笑み。
戦闘ゲーム画面ならクリティカルヒット! という巨大な文字が凪沙の前には散っていただろう。
一瞬意識が飛びかけた。
周囲の雄叫びに似た歓声が、それを防ぐ。
「きゃー! AKIと目が合った!」
「私に笑ってくれた!」
「私に決まってる!」
「ああもう素敵ー!」
……なんて声を、叫びの中から拾って。
はっと、自意識過剰にも程があると恥ずかしくなった。
自分に気付いて笑ってくれたんだ、と思うなんて。
普通のファンにとって、推しと目が合ったとキャーキャー騒ぐライブは通常運行。
センターステージからここまでも、まだ距離がかなりある。
常識的に考えて、こんなに大勢の人の中で、気付いてもらえるはずがない。のに。
――欲張りになっている自分に、気付いた。
こんなに、遠い世界の人だって、わかっていたはずなのに。
何だかもやもやする気持ちを抱えながら見ている内に、S:yncはセンターステージの上で集合し、背を向けあい、サビが始まった。
全方向のファン達に向けて歌声が広がっていく。
ファンの絶好調の歓声の中、笑顔の三人が手を振る。
――そして、照明が切り替わった。
慣れ親しんだイントロ。
ばっと脱ぎ捨てられたジャケットの下、白とグレーのシャツには複数の歯車が描かれ、背中には時計の文字盤がプリントされている。
ファンは皆、息を呑んだ。
――はじめに響いたハーモニーは、心の奥に染み渡るようなもので。
《君の時と、僕の鼓動が重なったとき、奇跡が生まれる》
三人の声が重なり、広がり、一糸乱れぬ踊りが始まる。
黄色い悲鳴をあげていたファンも、彼らのパフォーマンスに静まり返っていた。
まるで地平線を走るような、力強く美しい旋律。
彼らのデビュー曲にして、コンセプトとなる曲、Synchronizeだった。
《同じ時間を生きよう。鼓動が、君と重なる》
いかに緻密に計算されているかがよくわかる、アーティスティックな演出。
彼らの時とPulseの鼓動が重なって――時計の針が進んでいく。
その微笑みで人を魅了し、歌声で心を虜にし、踊りでファンの愛を乞う。
観ている側まで、演出の一部に組み込まれているようだ。
ああ、なんて罪作りな存在だろう。
推さざるを得ない。
メインステージよりも遥かに近い距離で、彼らの全身を捉え、熱狂している内に、テンポの良い曲が畳みかけるように続き、気づけば、曲と曲の境目がわからなくなっていた。
照明の色が変わるたび、S:yncの表情も、会場の温度も、少しずつ塗り替えられていく。
——ライブって、こんなに早く時間が溶けるものだっただろうか。
『ここまで皆、ついてきてくれてありがとう!』
『まだまだ続くけど、ちょっと話させてー!』
『……皆も、水分忘れずに』
汗を拭い水を飲みながら、トークタイムが始まる。
流石のリーダー、SHOの語り口は上手い。
今回のツアーのテーマについて、ファンとのやり取りを楽しみながら語っていく。
ペンライトのデザインを担当したのはREOだと言う。
「すごくREOっぽいよな」
「うんうん。無駄なもの全て省きました! みたいな。原点回帰みたいで良いけど」
「だって、シンプルが一番好きだから……」
そんな、メンバー同士の掛け合いに、会場を明るい笑い声が満たした。
暫しの雑談の後、マイク越しにファンに語りかけつつ、彼らは緩やかに動き出す。
センターステージから左右、中央の通路に分かれて、S:yncは歩き出した。
アリーナ席から、絶叫があがる。
「こっち見てー!」
「手を振ってー!」
「愛してるー!」
なんてファンの声に、マイクの声量がかき消されそうだ。
話を続けつつ、手を振りながらメインステージへゆっくり移動していく推しの姿を、凪沙はじっと見つめていた。
(アリーナいいなぁ……! 次こそ当たりたい!)
神席にいながらもそんな風に思ってしまう。人間とは欲深いものだ。
時折スクリーンに映るAKIの、汗で張り付いたシャツがあまりにも艶めかしかった。
カメラに抜かれた瞬間ウインクなんて飛ばすものだから、何人か膝から崩れ落ちた。凪沙も心の中では爆発していた。
最後軽やかに階段を登り、メインステージに戻った彼らは息を整えながら、今回の衣装やグッズのこだわりなどを話していく。
会話の中で、まずAKIが手を振って消えた。
次にREOが。
最後に残ったSHOも、トークを締めると、漂うスモークの中に姿を消す。
照明が落ち、残された巨大なスクリーンに、再び歯車の映像が映し出された。
時計の内部を辿っていくかのように、機械が動いていき、文字盤まで辿り着くと、時計の針が高速で回り始める。
カチ、カチ、カチ――。
静寂に響く秒針の音。
会場の空気が再び張り詰め、凪沙は無意識にペンライトを握りしめた。
バキン、とスクリーンの時計が壊れてバラバラになり、スローモーションのように欠片が舞い散っていく。
――ドクン、ドクン、ドクン。
誰の心拍だろう。
そうだ、自分だ――とファンが気付くタイミングで、光の線と共に、画面に心拍計が走った。
凪沙達ファンのペンライト――Pulse lightがちかちかと点滅を繰り返す。
壊れた時計が、逆再生するようにくっついていく。
あっという間に元通りになり、針が動いた。
その途端、閃光と共に現れたのは――AKIだった。
《あの日 君が見上げた空に
小さく瞬いた ひとつのSignal》
彼のアカペラが、静寂を裂いた。
「あっ――」
感動のあまり、小さく漏れ出た声を手のひらでふさぐ。
――それは、凪沙にとってS:yncの原点となる曲だった。
彼らのファンになった時の曲。
AKIを知ったドラマの主題歌。
何度も何度も、繰り返し聴いた。
胸の奥が、きゅっと掴まれ、じんと痺れるようにあつい。
AKIは、今も昔も、きらきらと輝く一等星のように、まばゆい光だ。
前奏と共に残る二人が現れて、観客の声援が大きくなる。
モニターに映る三人は、白と金の衣装に身を包んでいた。
光を弾くのではなく、抱き込むような白。そこに溶ける金が、静かに瞬いている。
――何だかとても、神聖な感じだ。
その中心に立つAKIは、特に光り輝いて見えた。
踊りながら、歌いながら、肩口に歯車の徽章と鎖が装飾された、軽やかなロングジャケットが揺れる。
重厚に見えたそれは、意外なほど薄く、照明を受けるたびにふわりと翻り、金の縁取りが静かに光る。
袖はなく、鍛えられた腕がむき出しで……額を伝う汗が、胸元の金糸の刺繍よりも眩しい。
《遠くで光る 君の鼓動を
はじめて見つけたんだ
届かなくても 構わない
僕は ここにいると送る Signal》
数え切れないほどにリピートしたサビが、彼らを追いかけてきた月日を思い起こして、なんだか目元が潤む。
ぐす、と鼻を啜る音は周囲からも聴こえた。
(皆、感動する気持ちは同じなんだ)
最後の一音が消えた後、涙交じりの歓声を浴びて、金色のペンライトの光に包まれながら、推しは満足げに、誇らしげに笑っていた。
スクリーン越しでしかその表情を見られないことが、何故だかとても寂しかった。
お読みいただきありがとうございます。
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