楽園崩壊の鐘が鳴り終える
クチュクチャと黒い魔物達が人狼達の肉を漁る。その内の一匹が動きを止め、ブルと震えだした。
「クケ……ケケ……ケ」
黒い魔物の体に縦に亀裂が入る。亀裂を境に黒い魔物の体は二つに分離した。そして、分離した二つの体は、それぞれが一体の同じ魔物となる。
はずだった。
「どこだ?どこにある!?」
神殿に侵入したウロー達は必死に地下への階段を探す。
あの黒い魔物は一体何なのか?何故、巨大トカゲの頭をしているのか?ウロー達が見た黒い巨大トカゲと何か関係があるのか?
多くの疑問はある。しかし、それを考えるのは後回しだ。今はなんとしても地下への階段を見付けなければならない。
「あったか!?」
「いや、こっちにはない!」
「くっ!」
しかし、なかなか地下への階段は見付からない。ウローは、焦る。
黒い魔物に襲われながらも、神殿の中はあらかた探した。それにも関わらず、地下への入口はどこにもない。
もしかしたら、地下への階段などないのではないのか?
確かに、権力者の住処には転移魔法を発動させるための魔法陣があることが多い。だが、それは絶対ではない。
(まさか、此処まで来て……?)
此処まで来たのは、無駄だったのか?
此処に来なければ、あの黒い魔物に襲われることもなかったのかもしれいのではないか?
何もせずに、元いた洞窟にいれば良かったのではないのか?
ローエンの命令は間違っていたのではないのか?
人狼達に、そんな思いがよぎり始める。
「くそ!」
ウローは、壁に頭を叩きつける。その時、ウローは微かな涼しさを感じた。
「何だ?」
壁に顔をもっと近づけてみる。かすかな風が、ウローの体毛を揺らした。
「これは!」
ウローは渾身の力を込めて、壁を蹴った。壁がガラガラと音を立てて崩れる。
そこに、地下へと続く隠し通路が現れた。
「あったぞ!こっちだ!」
ウローは、大声で仲間に呼びかける。すると、五匹の人狼がウローの前に現れた。
「ロワ、オミとルフは?」
オミとルフ。どちらも小さい時からウローと行動を共にしてきた人狼だ。腕も立ち、心優しい幼馴染だ。
ロワという名の雌の人狼は静かに首を横に振る。
「……やられた」
ウローは一瞬、目を見開く。しかし、直ぐに元の表情に戻した。
「……そうか」
ウローは前を向く。悲しんでいる暇などない。
「行こう」
ウロー達は、地下への階段を駆け下りる。その場に落ちた一滴の滴は、直ぐに乾いた。
現在、人狼達の数は全部で五匹。
雄のウロー、ルーヴ、雌のロワ。そして、ロワの子供、リュースとルク。
リュースとルーヴはロワが抱え、その前後をウローとルーヴが挟み守る。
「ケケケケッ!」
「ケケケケケ!」
背後から、あの不気味な声が聞こえた。その声は徐々に近づいて来る。
「急げ!」
ウローが叫ぶ。
永遠とも思えるような長い階段を降り、五匹の人狼は地下に辿りついた。
「……あった」
地下とは思えない程の広い空間。その中心に魔法陣は、描かれていた。
その魔法陣は、まるで有名な絵師が描いた絵画のように、細部に至るまで緻密な構成で描かれていた。
「……綺麗」
ロワがポツリと呟いた。ウローもルーヴも同じ感想を抱く。
ウローもルーヴもロワも、転移魔法の魔法陣を見たことはない。しかし、誰もそれが転移魔法の魔法陣だと疑う者はいなかった。
根拠はない。だが、その美しさがウロー達にそれが転移魔法の魔法陣であるといことを直感的に理解させた。
もっと眺めていたかったが、残念ながらその時間はない。
「ケケケケ」
あの不気味な声が、すぐ傍まで迫っていた。
「走れ!」
ウローの言葉を合図に全員が走り出した。
転移魔法を発動させるには魔法陣の中央にいる必要がある。人狼達は魔法陣の中央を目指し、全速力で走った。
「ケケケケケ」
「クケケケケ」
黒い魔物達が地下の入口から顔を出す。その数およそ、五十以上。人狼達の十倍以上の数だ。
だが、黒い魔物達が姿を現した時には、人狼達は既に魔法陣の中央近くまで進んでいた。この距離なら、例え黒い魔物達が人狼達を追って来ても人狼達の方が早く転移魔法を発動させることが出来る。
これで助かる。皆がそう思った。
ウロー達は、視線を後ろの黒い魔物達から前にある魔法陣に向けた。だが、そのために異様な姿をした黒い魔物が入口から入ってきたことに誰も気付かなかった。
「ゴブッ」
突如、ウローの隣にいたルーヴが短い呻き声を上げた。前を見ていたウローは、思わずルーヴを見る。
ルーヴの背には、黒い魔物のサソリの様な尾が突き刺さっていた。
「馬鹿な!」
ウローは思わず叫んだ。
黒い魔物達のスピードは、先程の戦いである程度掴んでいる。あの距離から自分達に追い付ける訳がない。
ルーヴから彼の背中に尾を突き刺した黒い魔物に視線を移す。
黒い魔物の頭部は、巨大トカゲと同じ形をしていた。そして、サソリの様な尻尾が生えている。それは、今まで見てきた黒い魔物と変わらない。
しかし、それ以外が大きく変わっていた。
大きな翼は消え、代わりに太く大きな腕があった。ガッシリとしていた足は少しだけ細くなり、鷹の様な爪はスパイクの様に地上を走るのに適した形に変化している。そして、頭部と尾以外は、サラリとした毛で覆われていた。
その姿は、まさに人狼そのものだった。黒い魔物は今、頭部と尾、そして体色以外、完全に人狼の姿となっている。
その姿を見たウローは、もう一度「馬鹿な」と呟いた。
黒い魔物達が主人から与えられた能力は、「認知不可」、「毒」、そして「分裂」の三つ。彼らは、相手の姿に変化する能力は有していない。
人狼の姿をした黒い魔物。それが誕生した原因は「分裂」の能力が原因だった。
細菌やウイルス、そして細胞は自分の情報をコピーすることで分裂し、増殖していく。そのため二つに分かれた体は同じ情報を持つことになる。
しかし、まれに情報をコピーする際にエラーが起きることがある。そして、エラーが起きた結果、分裂した二つの体はそれぞれ違う情報を持つことになる。
これが「突然変異」だ。
黒い魔物は分裂する際、約一パーセントの確率でエラーを起こす。そして、それは黒い魔物がこれまで喰った生物の情報が混じるエラーとなる。
今、ウローの目の前にいる黒い魔物も「突然変異」を起こした個体だ。
「ガハッ」
背中にサソリの様な尾を突き刺されたルーヴがバタリと倒れた。倒れたルーヴに人狼の姿となった黒い魔物達が群がる。
突然変異を起こし、人狼の形態となった黒い魔物達も数回の分裂を繰り返し、その数を増やしていた。
「ルーヴ!」
「ケケケケケ!」
叫んだウローにルーヴに群がっているのとは別の黒い魔物達が襲い掛かって来た。
黒い魔物達の爪が鋭く伸びる。黒い魔物は、その爪をウローに振るった。ウローは上体を逸らして、爪を躱す。
「グオオオオ!」
黒い魔物の攻撃を躱したウローは、黒い魔物達を蹴り飛ばそうとする。しかし、黒い魔物達は上体を逸らしてウローの蹴りを躱した。
(こいつら!)
爪を使った攻撃、そして相手の攻撃の躱し方。突然変異を起こした個体は姿だけではなく、動きもまるで人狼そのものとなっていた。
それだけではない。人狼の姿をした黒い魔物達は、離れた距離からウロー達に追いついた。つまり、身体能力は通常の人狼よりもかなり高いことになる。
「キャアア」
悲鳴がウローの耳に突き刺さった。
「ロワ!」
ウローの目に入ったのは、サソリの様な尾を体中に突き刺されるロワの姿だった。抱いていた子供の人狼、リュースとルクがロワの腕から転げ落ちる。
「アウウウ?」
「クウウ?」
地面に落ちたリュースとルクは、倒れる母に視線を向けた。
「ダアア!」
「グウウ!」
倒れる母を見た瞬間、二匹は母を守るようにガバッと覆いかぶさった。
「……ニ……アァ……ロ」
ロワの口から音が漏れる。言葉にならなかったが、『逃げろ』と言ったのだろう。しかし、子供達は母に覆いかぶさったまま逃げない。
「ケケケケケ!」
そんな母子を笑うかのように黒い魔物は、ルクに齧り付いた。
「ピイイイイ!」
噛みつかれたルクは悲鳴を上げ、暴れる。しかし、黒い魔物はルクの抵抗を意に介すことなく、頭から丸呑みにした。
ゴクン。
ルクを丸呑みにした黒い魔物は、今度はリュースに目を向ける。リュースはルクが喰われてもなお逃げようとせず、母に覆いかぶさったままだ。
黒い魔物は、サソリの様な尾をリュースに向ける。
「ケケ!」
そして、真っ直ぐ尾を振り下ろした。
何かが黒い魔物の前を通り過ぎる。ガキンという音を上げ、黒い魔物の尾は地面に突き刺さっていた。
「ケケ?」
黒い魔物が首を捻る。そして、自分の目の前を通り過ぎた影を目で追った。黒い魔物の視線の先にはリュースを優しく咥え、疾走するウローの姿があった。
ウローはリュースを咥えたまま、魔法陣の中央を目指す。
そして、辿り着いた。
魔法陣の中央に辿り着いたウローは、リュースを地面に置くと動かない腕を咥え、無理やり地面に付けた。凄まじい痛みが襲うが、ウローはそれを無視した。
後は、腕から魔力を注ぎ込めば、転移魔法は発動する。
「グッ!?」
だが、魔力を注ぎ込む前に猛烈な立ちくらみがウローを襲った。ウローはその場に倒れこむ。
(なんだ?)
一瞬、強化魔法の効果が消えたのかと思った。しかし、強化魔法の効果が切れるにはまだ早すぎる。
その時、ウローは自分の肩に小さな傷が付いているのに気付いた。
(くそ、あの時か!)
リュースを助けるために黒い魔物の前に飛び出し時、微かに黒い魔物の尾がウローの肩にかすった。その傷口から、少量の毒が体の中に侵入していたのだ。
(あと少しなのに、魔力を注入するだけで転移魔法が発動するのに!)
なんとか動こうとするが、毒はウローの体の自由を完全に奪っていた。体内に入った毒は少量だったが、完全に動けるようになるには、あと数時間は掛かるだろう。
(せめて、せめてこの子だけでも……!)
「ケケケケ!」
黒い魔物達が目前に迫るが、ウローの体は動かない。
(……畜生!)
何もできなかった。せっかくローエンが命を懸けて逃がしてくれたのに、自分は誰も守れなかった。自分の非力さを呪うウロー。黒い魔物はそんなウローとリュースに襲い掛かかろうとした。
「ワオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
この世を引き裂くような凄まじい咆哮が、地下室に木霊した。
黒い魔物達の動きがピタリと止まる。ウローもリュースも、そしてウロー達を襲おうとしていた黒い魔物達も、凄まじい気迫あふれるその咆哮に動きを止め、咆哮がした方を見た。
そこに、一匹の人狼が立っていた。
(……ロワ)
声の主は、リュースの母親、ロワだった。
彼女の体の肉は至る所が食い千切られていた。中には骨が見えている部分もある。それにも拘らず、彼女は立ち上っていた。
周囲には、彼女を襲っていた黒い魔物達が倒れている。
「ケケケケ!」
「クケケケ!」
ウロー達を襲おうとしていた黒い魔物達が、踵を返し、ロワの方に向かった。そして、我先にとロワに噛みつく。
しかし、ロワは倒れない。
ロワは、特別な人狼ではない。力もスピードも戦闘技術もウローとローエンには遠く及ばない。そんなロワの体からは大量の血が流れ、多くの毒が注入されていた。
それでもロワは倒れなかった。
ロワには最早、意識はない。ほとんどの臓器はその活動を止めている。本来なら死んでいるはずの体を動かしているのは……。
我が子への愛。ただそれだけだった。
「ウゴアアアアアアア!」
黒い魔物に全身を喰われながら、ロワは地面に手を付いた。
「ケケケ!」
黒い魔物達はようやく獲物が倒れると思い、満足そうに鳴く。
しかし、そうではなかった。彼女が地面に手を着けたのは我が子を守るためだった。
「グゴアアアアアアアア!」
ロワの手から大量の魔力が魔法陣に注がれた。
転移魔法を発動させるには、人間であれば十人分の魔力が必要となる。ロワが注いだ魔力は人間十人分を遥かに超えていた。
ロワが魔法陣に魔力を注いだ瞬間、転移魔法が発動した。
魔法陣が発光し、地下が光に満たされる。そして、光が収まるとそこにウローとリュースの姿はなかった。
ボロボロだったロワの体がさらに崩れる。肉と骨が溶け出し、ドロリと地面に落ちた。限界以上の魔力の行使に、ボロボロの体が耐え切れず溶解し始めたのだ。
ロワの体は顔を残し、殆どが崩れ落ちた。
僅かに残ったロワの顔。その顔は優しく笑っていた。
「ケケケ?」
魔法陣の中央におらず、転移されなかった黒い魔物達は、何が起きたのか分からず首を傾げる。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
突然、古代の建造物の全体が揺れ出した。あちらこちらの壁に亀裂が入る。
「ケッケケケ!?」
「コケケ!?」
黒い魔物達が慌てざわめく。
古代の建造物。外側からは分からなかったが、年月の経過によるダメージは確実に建造物に蓄積されていた。転移魔法の発動が切っ掛けで、崩壊する程に。
「クケケケケケ!!!」
黒い魔物達は建造物の外に出ようと出口に向かう。だが、黒い魔物達の脱出を待たず、古代の建造物は音を立てて崩れ落ちた。
スーの触手が崩れた建造物の破片を放り投げていく。瓦礫に押しつぶされた黒い魔物達を喰いながら、スーは瓦礫を掘り進めていく。一際大きな瓦礫を退けると、何かの模様の一部が見えた。
スーの触手が活発に動き、瓦礫を退かすスピードが上がる。最後の瓦礫を退かすと、巨大な魔法陣が現れた。
巨大な魔法陣は瓦礫により、大きな傷を負っている。この魔法陣は最早使い物にならない。
しかし、その魔法陣を見た瞬間、スーの口の端が上がった。
「嬉しそうだね」
背後から吸血鬼が声を掛ける。
「何か良いものでも見つけたかい?」
振り返えるスー。その表情は、いつもの無表情に戻っていた。スーは退かした瓦礫で再び魔法陣を埋めると、その場を去った。
スーとスーが生み出した黒い魔物達は、森中の生物を喰い続けた。
魔物、哺乳類、爬虫類、両生類、魚、鳥、虫……。スー達は、森に生息するあらゆる生物達を喰った。
三カ月後。スーとスーが生み出した黒い魔物達は、カンブリアの森に住む全ての生物をほぼ喰い尽くした。
「クアアアアアア!」
スーの鳴き声が森中に響きわたる。すると、森中に増殖していた黒い魔物達がスーの元に殺到した。
「ケケケケケ!」
「ケケケッケ!」
黒い魔物達は、殆どが翼を生やした者だったが、中には突然変異を起こし、形を変えていた者もいる。
「ケケケケケ!」
「グケケケケケ!」
黒い魔物達がスーに触れる。スーに触れた瞬間、黒い魔物達はスーに吸収された。
何千、何万、何十万、何百万、何千万、何億、何十億の黒い魔物達がスーに吸収されていく。
スーが全ての黒い魔物を吸収すると、吸血鬼は満足そうにうなずいた。
「うん、よく食べたね」
吸血鬼は森を見渡す。最早、森は見るも無残に破壊されていた。このまま朽ち果てるか、奇跡的に再生できたとしても、元の豊かな生態系に戻るまでには気の遠くなるような年月が必要となるだろう。
『……』
森中の生物をほぼ喰い尽くしたスーは一見、変化していないように見える。しかし、その力は、何倍にも強くなっていることを吸血鬼は感じ取っていた。
「さて、腹ごしらえも済んだね。それじゃあ、そろそろ……」
吸血鬼はニヤリと笑う。
「パパに会いに行こうか?」




