3.情報元のないタレコミ
浅原は、その場に数十台はいるかと思われる警察車両の赤々とする非常灯を背にして、その光を静かにきらきらと反射させている海を見下ろしながら、物思いにふけっていた。彼の利き手では、いつものように古びたアメリカ製のダラー硬貨を握りしめ、反対の手ではしきりに煙草を口元に運んでいた。
「俺は何かの指示をし間違えたのか?それとも俺が何かを見落としたってことか?どちらにしろ、危うく全てが台無しになるところだった…」
そのような事を考えながらも、たった今起こった事の要所要所を一つ一つ思い返していた。また最初からのやり直しをも視野に入れながら…。
そもそもこの事件、当初からおかしなところが、多々あったのだ。今までにその足取りを全く掴ませることのなかったアンフィスバエナ(双頭の蛇)という組織。そんな組織に対してタレコミがあったことにさえ、浅原は疑問を抱いていた。これまでも、そういった場面は確かにあるにはあったのだが、アンフィスバエナの情報を持ち出そうと関わったもの、その全員が次々と消されてきた経歴があり、全て、情報が外部へと伝わる以前に、あたかも最初から存在してなかったかのように、煙としても残らない、その様な人、情報諸共、消去がなされてきたのだ。それは、遠くアメリカ、イギリス、ロシア、涯はイスラム国家にまで及ぶ。ただその組織の中心とされる人物が日本人であろうことしかわかっていなくて、組織自体がどのくらいの規模で存在し、どこを拠点としているのかさえ、掴めてこれていなかったという事実がある。それが今になって何故?何故タレコミというあり得そうもない形で表舞台に現れたのか?全てが謎であった。
昨日の昼すぎ…
「あ、浅原警部補、どちらに行かれるんですか?先ほど緊急の招集がかかって、皆さん、大会議室に集まっているんですよ」
浅原と下山は、慌ただしい廊下のその先にあるエレベーターの前で、思ってもみない足止めをくらった。そういえば気がつくと、彼等の周辺から少からずの警察官の姿が見えなくなっていたのだ。
「なんだ?どういう事だ?まだ今以上に俺たちに知らせなきゃならない大きな情報でもあるってのか?…ったく、とんだ日だな」
二人は、フィリピンのICPO(国際刑事警察機構)から、今日の宵のうちに密入国、密輸が疑われる大型貨物船が横浜に入港することを中川本部長を通して、先ほど知ったばかりである。浅原のグループに協力要請をと警視庁からの打診があり、もう神奈川県警の方には、受け入れるよう話が通達されて認められていたというのにだ。
「そもそも、事件が起こったのは、4日も前のことだぞ。彼等もフィリピン当局の海域でカタをつけたかったみたいだがな。まあそれにしても、どの国もこういった機関は同じだな。情報公開があまりにも遅すぎる」
浅原のその様子は、昼飯を食べ損ねたせいなのか、ピリピリしていることが感じ取れるほどだった。彼には睡眠欲より、性欲より、食欲が何よりも大切なものなのだ。おそらく長年、携わってきたこの仕事が彼をそうさせてたのであろう…。
「まあそう言わないで下さいよ。会議に出たなら内容もわかるでしょうし、それに慌てなくても…会議に出てからでもまだ横浜への行きしなには十分な時間があるのですから、ドライブスルーにでも、コンビニにでも寄れますし、何か口に出来ますよ。そんなに苛々なさらずとも…」
下山は浅原のその表情にクスっとでもしたそうな含み笑いを浮かべていた。彼は現在まだ大学を出たての新米なのだが、既にエリートコースというものに乗っかっているようだ。浅原の部署に配属された事に関しても、おそらく上層部のコネがあるからに違いない。こんな稀少なチームの一員になるのに、浅原にはまるで彼の情報がなかった頃からの付き合いなのだ。通常なら、どんなに周りからも疎まれることであろうことか。だが、それどころか下山自身の人柄の良いおかげだろう、彼は皆から愛されキャラとして可愛がられていたのだ。浅原とは、いつもまるで「親子の会話みたいですね」とさえ、周囲の者たちにも囁かれ、微笑ましく見られていた。
二人は足早に階段を昇って1つ上の階の大会議室に入ると、煌々とした明かりの中に既に100名以上が席についている状態であった。そこには、松島は当然のことながら、スナイパーである片倉までもが招集されていたのだ。それだけこの件は大きな、危険なヤマであることを意味していた。
「先ほど、警視庁に所轄のほうから、連絡が入ったところによると、本日の横浜の事件、国際テロリストであるアンフィスバエナが関わっているとの情報を得た」
浅原や下山が席に着くのを見届けて、前方中央でそう語ったのは、本部部長の中川だった。それを聞くや否や、あちらこちらで顔を見合わせ、どよめきが起こった。俄かに信じれるものではなかったからだ。
「それは、どこからの情報なのですか?本当に信用できる情報なのですか?」
こういったところでは、下山は結構、率先して言葉を発する活発的な人物だ。
「今のところは何もわかっていないし、情報の出所も不明だ。だが、こういった情報が事実であるかどうかが確認できない以上、無下に扱うこともできん。その情報によると何らかの取引が今夜、午前2時にその場で行われる模様だ。情報と共に警視庁より管轄外ではあるのだが、我が署の浅原のチームを派遣するようにとの直々の通達が来ている。よって今回の事件、いつもと同様に浅原の指揮のもと、全部署、全警察署員が行動するものとするのだが、浅原君には至急にその準備を行ってもらいたい。君たちに出来るかどうかなんてことは聞いていない、もしこの件が事実なら警察の威信にかけてでも、検挙するんだ。二度とはないかもしれないチャンスだ、いいな?私からは以上だ」
中川の強い語尾には、いつにも増して強い意志を感じさせるものがあった。
「りょ〜うかい」
浅原は半分、どうせガセネタであろうと高を括っていた。もし本当なら、そのタレコミだって未然に情報源諸々とも消されているはずだからだ。今までの事例ならのことではあるのだが…。
集められたその場にいた者たちは一斉に立ち上がり、それぞれに行動を開始した。
「本当ですかね?本当なら大変なことじゃないですか…」
下山はこの正しいものとも、間違ったものとも信じ難い情報に、既に一人で盛り上がっていた。調子に乗り易いのも彼の前向きな性格がそこにあるからなのかもしれない。その性格にこれまで浅原も救われるものがなかったと言えば、嘘になる。下山は既にそういったチームのムードメーカー的な存在でもあった。そこへ松島、片倉が浅原のもとに彼等も信じられないとでも言いたそうな顔を突きあわせながら、ゆっくりと近付いてきた。彼等にとっても長年の夢なのだ。このアンフィスバエナという組織に接触やもあり得ないと思われる情報の入手は…。
「すみません、打ち合わせなんですが…いつものように…でいいんですか?」
「あぁ、また追って指示する。今日も一段と帰りは遅くなりそうだな」
軽く言葉を交わし合った後、準備のためにそれぞれの部署へと戻って行った。
「こんなに早く、こんな大きなヤマに出くわすなんて…私、やっぱり、つ、ついていますよね。このチームの一員になれて良かった〜」
廊下を出た浅原の前を行く下山の後ろ姿が浅原には、少々しゃくに触っていた。限度を超えた苛々感が積もりに積もった浅原に下山の後ろ頭を少し強めに小突かせたのだ。
「な、何をするんですか?」
少しムッとした下山に対して浅原は不機嫌そうに言った。
「それより、めしだ」
浅原は、相変わらずダラー硬貨を利き手に握りしめていた。




