10.谷原直人との接触
「吉澤さん、本当に彼を知ってるんですか?まさか口からデマカセなんかじゃないですよね?」
下山は後部座席の浅原を気にしつつ、助手席の茜にドキドキしながらも、恐る恐る声をかけていた。憧れの吉澤茜が助手席にいるのだ。なんとか、今は仕事だ、仕事だと自分に言い聞かせながらも、声は上ずっていた。
「あなた、本当に失礼ね、…ね、これ見て、これ何だかわかる?」
茜は後部座席の浅原にも見えるように右手で自分のハンドバックから取り出した黒の長財布を持ち上げてみせた。
「それは?」
「彼ね、子供さんを助けたのは良いんだけど、その後、私達を避けるように慌てて直ぐにいなくなっちゃったのよね。そしたらさ、この財布、落としたことにも気付かないで行っちゃったから、預かってるの」
「え?じゃあ、なんで直ぐに警察に届けないんですか?」
間髪入れずにそう答えた下山に対して、茜は少しムッとしてみせたのだが、
「だって、これ持って行ってたら、二度と彼に会えるチャンスを自ら逃すことになるじゃない?それに今こうやってあなた方に協力出来なかったわよ、それでもいいわけ?…どこからともなく突然に現れた好青年が、子供さんを助けると名前も告げずにその場を去っていく。映画のようでカッコ良いじゃない?そんな彼を私がみすみすと見逃すと思う?」
茜は得意げそうな顔をしていた。
「でも…」
「いや、ちょっと待て。それがなんで彼の居場所がわかることと繋がるんだ?」
浅原は二人の会話を遮るように身を前へと乗り出した。
「ほら、これ。学生証。彼、大学の私の1つ後輩らしいのよね。それに彼といたお友達、以前、私がコンパで知り合った子なのよ。あ、やば、って思ったけど、その時は運良く気付かれなかったみたい。ま、気にはなる存在だったから彼の電話番号、一応、取ってあるのよね。彼に電話して聞いてみたら、きっと家もわかると思うわ。ね、どう?お役にたてて?」
「やっぱ、女子アナってコンパなんかもしちゃったりするんですか?」
「あんたは、どこにポイント置いてんのよ」
浅原は二人の会話が可笑しくって、可笑しくって、それでも吹き出しそうなのを我慢して、顔には出さないように安心して後部座席に深くもたれ掛かった。
「え?財布、落としたのか?さっきの場所でか?」
カラオケ店に着いたのはいいが、会員証を提示するのに直人は必死で財布を入れてたはずのポケットと、また一応、念の為にショルダーバックの中もあさってはみたものの、見つけることができなかった。
「さっきの場所まで戻ってみるか、もう見つかるとは思わないけどな」
直人と真二は先ほどの交差点まで戻ってはみたものの、テレビクルー達も引き上げた後で、その場所は何事もなかったかのように、溢れる人が行き交うだけだった。財布も見つけることができなかったので、その足で近くの交番にも寄ってみたのだが、結局、今日のところは紛失届を出すだけのこととなってしまった。
「しょうがない、今日は俺が全部奢るよ。しかし直人、散々な目に遭うんだな。女にはふられる、財布はなくす、怪我はなかったけど、あわや、交通事故にも巻き込まれそうになる。お前、朝の今日の運勢って見たのか?結構、あれって当たるんだぜ」
二人でカラオケを3時間、歌い込んだのだが、そんな最悪の状況だ。直人は心から楽しめる筈もなかった。気になったので、帰り際にもう一度、交番にも寄ったのだが財布は届けられていなかった。二人は諦めたように遅い晩飯を近くの牛丼屋で済ませ、別れることとなった。その直後、真二の携帯電話が鳴った…。
直人が家に着いたのは、夜の10時ごろ。母、美子はまだ帰っていなかった。暗い家は本当に寂しい。ほとんど毎日といっていいほど、大学に通うようになってからは、母の待つ家に帰るっているのが直人には日課となっていた。おそらく、父が死んでからというもの、母もこのような同じ気持ちを味わって来たのだろう。母に対して少し詫びるような気持ちがこみ上げてきていた。
灯りをつけ、テレビをつけると、ちょうどテロ事件の続報をしていた。が、直人は夕方6時ごろといったら、カラオケの真っ最中だ。今つけたばかりのテレビにはまだ深く耳を傾けてはいなし、何が起こっていたかさえ、知る由はなかった。冷蔵庫から冷えたビールを取り出すと、蓋をあけ、一気に半分ほどを飲み干した。テレビに目をやりながらも、気掛かりは失くした財布のことだ。確か財布には学生証も入っていたはず。きっと明日には届けられているだろう、そう願うばかりだった。その時である。来客を知らせるチャイムが鳴った。
「誰だろう、こんな時間に」
直人は飲みかけのビールを無造作にテーブルに置くと、玄関へと急いだ。
「どちら様ですか?…あれ?君は…」
ドアを開けるとそこには吉澤茜が立っていた。
「こんばんは。こんな時間にゴメンなさいね。谷原直人君よね?これ、落としちゃったでしょ?」
そう言って差し出したのは直人の財布だった。
「あ、君が拾っててくれてたのか?助かったよ、良かった。それでわざわざ届けてくれたの?ありがとう、お礼は….」
そういって直人が半分までしか開いてなかったドアを全開にし、彼女を迎え入れようとすると、彼女の後ろに警察車両と二人の男が立っているのが目に入った。
「え?あれ?何かあったんですか?」
下山もどうして此処に来たのか、それをどうやって説明すればいいのか…そう思いながらも考えがまとまらない内に直人に話しかけようとしていた。その時、家の様子を見ていた浅原が横から言葉を発しのだ。
「実は、君のお母さんなんだが…」
「え?お母さんが?何かあったんですか?」
急に言い出された言葉に直人は動揺を隠せなかった。
「申し訳ないが、詳しいことは署のほうで話すから、我々に同行してもらえないか?」
下山も吉澤茜も、その浅原の言動にはびっくりしていた。自分たちも今まで何も聞かされていないものに目を丸くするしかなかった。
「母は大丈夫なんですか?事故にでも巻き込まれたんですか?まさかさっきからテレビのニュースで言ってるテロなんて関係ないですよね?」
「お母さんは大丈夫だ。心配しなくてもいい。同行してもらえれば全てを説明できるよ」
「これ、私への何か取調べってことないですよね?」
「調べられて不味いことでもあるのかね?大丈夫だ、心配しなくていい、ただの任意同行だ」
浅原の微笑んだ冗談めいた言葉を聞くと安心したのか、直人は家の電気を消し、戸締りをしてから、急いで後部座席へと乗り込んだ。だが、直人が聞きたいと思っている母のことについては車の中では一切、触れられることがなかった。直人にはこれがまた、不安を煽られることとなった。
慌ただしい署に着くと、浅原は直人を、とある取調室へと案内した。
「ここは?やっぱり取調べじゃないですか?取調べなら弁護士を要求…」
「テレビの見過ぎだよ。申し訳ないが、テロ事件のことで署内がバタバタしている。ゆっくり話ができるところがここしかないんだ。谷原君だったかな?少しここで待っていてくれないか?」
「母は本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ、約束する」
吉澤茜もその部屋に入ろうとしたのだが、浅原はそれを引き止め、彼女には少し離れた廊下のソファーで待つことを指示し、浅原と下山は直人の入った取調室の隣、その部屋を鏡一枚で監視できる部屋へと入っていった。
「浅原警部補、彼に嘘をついて、後々問題になるのではないですか?それとも本当に母親が?」
浅原は黙って谷原の監視をし始めた。




