第1話 紅目の魔法使い 9
七都は、浅い眠りから覚めた。
目を開いて、天井を見つめる。
何かを感じた。光のような、熱のようなもの。
七都の感覚をかすかに刺激して、消え去った。
誰かが近くで、魔力を使った……?
シャルディン? ジュネス?
テーブルの上で、何かが輝いている。
金色の中にちらちらと動く、光のようなもの。
猫の目ナビだ。記録係にもらった、案内の目。
ナビが何かを捉えている?
七都は起き上がり、ナビをつかんだ。
金色の半球の中で、三つの色のついた影が漂っている。
これは、なに?
「拡大!」
七都は、ナビに命令した。
途端に、ナビの上に映像が現れる。
オレンジ色の影と、その後ろにクリーム色の影が二つ。
オレンジ色の影は、手前に移動している。真っ直ぐに。
「えーと。こういうの、映画で見たような。何かのゲームをした時も、コックピットにこういうの付いてた。何て言ったっけ。……レーダー探知機?」
七都は呟いた。
そうだよね、きっとそうだ。このナビには、そういう機能もあるんだ。
でも。となると?
このオレンジ色の影は、こちらに近づいてきてるってこと?
今? まさに? もしかして、ものすごく近い?
窓のガラスが、軽く音をたてる。
誰かがガラスをたたいたのだ。
七都は、びっくりした猫のように飛び上がる。
ガラスの向こうに、背の高い人影があった。ネイビーブルーの目が、きらりと光る。
(ジュネス!?)
七都は、ナビとジュネスを見比べる。ナビの中のオレンジは、動くのをやめていた。
では、ナビのオレンジ色は、彼だったらしい。
すると、背後の二つのクリーム色は、グリアモスということになる。
バルコニーの下あたりで機械の馬に跨り、ジュネスを待っているのだろう。
七都は、窓を開けた。
太陽よけのフード付きマントで体を覆ったジュネスが、そこに立っていた。
「ジュネス? どうしたんですか?」
「お別れのご挨拶に……」
彼は、静かな眼差しで同族の少女を見下ろした。
だが、そこに何かを見つけて、ジュネスの目の中に驚きが広がる。
彼は、指をそっと七都の額に近づけたが、触れずにそのまま静止させた。
アヌヴィムの銀の輪ははずして寝ていたので、七都の額はあらわになっている。
ジュネスには、シルヴェリスとリュシフィンの口づけのあとが見えているのだ。
「私は、これから魔の領域に帰ります」
ジュネスが、七都を眩しそうに見つめながら言った。
「逃げたアヌヴィムも、見つけて始末しましたのでね」
始末したって……?
シャルディン? ジュネスに見つかって、殺されたってこと?
七都は、ぎゅっと手を握りしめる。
「ナナト。一緒に来ませんか?」
ジュネスが言った。
「それは……」
七都は、口ごもる。
「行き先は違うが、同じ魔の領域の中です。風の都までお送りしますよ。その前に、あなたの怪我も治療しなくてはね。光の魔王ジエルフォートさまのお城には、どのようなひどい怪我でも回復させられるという装置があるとか。それを使わせていただくことも出来ますよ」
楽だろうな、この人に同行させてもらったら。
七都は、一瞬思った。
傷も治してくれるみたいだし。送ってくれるし。
でも、だめだ。風の都には、自分の力で一人で行かなければ。
それに同族とはいえ、やっぱり知らない人について行ってはいけないし、第一この人は、シャルディンを始末したとか言ってるんだもの。
「ジュネス。とてもありがたいんですけど……。わたしは一人で来るように言われてるんです。だから、一人で風の都まで参ります」
七都は、彼に言った。
「しかし、もうすぐ夜が明けますよ。今、ここにいては……」
「だいじょうぶです。わたしは、太陽は平気だから。昼間でも外を歩けるんです。人間と同じように」
ジュネスはますます驚いて、まじまじと七都を見つめる。
「あなたは、早く行ったほうがいいですよ、ジュネス。太陽、だめなんでしょ。もう随分明るくなってきてるから」
「……そうですね。そうします」
ジュネスは、微笑む。
「いつか、いずれかの舞踏会などで、あなたとお会いすることになるのかもしれませんね。ナナト、お二人の魔王さまに愛されていらっしゃる姫君……。その時は、私と踊ってくださいますか?」
彼が訊ねた。
「えーと。わたし、踊れないんですけど……」
「では、その時までに、練習しておいて下さいね。約束ですよ。楽しみにしています」
「……あの、ジュネス」
会釈して立ち去ろうとするジュネスに、七都はためらいながら声をかける。
ジュネスは振り向いた。
「あなたの逃げたアヌヴィムのことですけど……。殺したんですか?」
「殺す? とんでもない。そんな野蛮なことはしませんよ」
ジュネスは、肩をすくめた。
「でも、もうそんなに持たないでしょうね。魔法の鎧がなくなったら、ただの人間に戻るしかありません。もともと定められた寿命に従わなければならぬのです。彼の寿命は既に尽きています。では」
三頭の機械の馬の音が遠くなる。
七都はバルコニーに立って、魔の領域に消えて行く光の魔神族の一行を見送った。
月はまだ輝いているが、太陽の気配が強い。
白い靄が、風景の中のあらゆるものを隠すように深く漂っている。
「シャルディン。どこにいるの?」
七都は呟いたが、その声は夜明けの風景の中に吸い込まれていくだけだった。