第1話 紅目の魔法使い 10
七都は、部屋に戻った。
再び猫の目ナビを手のひらに乗せて、覗き込む。
「アヌヴィムのスキャンって、出来る?」
七都は言ったが、ナビは無反応だった。
「このあたりにアヌヴィムはいないってこと? そうか。シャルディン、もうアヌヴィムじゃなくなってるんだよね……。じゃあ、人間のスキャンをお願い」
途端に、ナビの中いっぱいに赤い点が現れる。
「多すぎ。つまり、この宿の全員ってことか」
七都は、溜め息をつく。
「じゃあね。死にそうになっている人間のスキャン」
だが、ナビは反応しなかった。まるで、無言で抗議するように。
「ごもっとも。そういう細かいのは、範囲外か。それか、もう死んじゃってるの、シャルディン?」
七都はしばらくナビの中の赤い点を見つめていたが、それを拡大させてみる。点は、さまざまなポーズをした人の赤い影になる。
「この赤い影が人間のエネルギーをスキャンしているのだとしたら、その強弱がわかるかも」
七都は、赤い点が固まっている地点を無視して、その外側を捜してみた。
すると、遠く離れたところで一つだけ、青を中に抱え込んだピンク色の影があった。横たわっている人間の形だ。
「見つけた!」
七都は、メーベルルのマントを羽織る。そして、バルコニーの手すりを飛び越え、難なく地面に降り立った。
ナビを頼りにしばらく進むと、野原が現れた。
靄が切れ、白い花が一面に咲いているのがわかってくる。
すっきりしたよい香りが、あたりに漂っていた。
(ああ、この花、知ってる)
七都は、思い出した。
メーベルルと七都を弔うためにユードが持ってきた花束――。その中にあったのと同じ花だ。
鈴蘭を大きくしたような、可憐でかわいらしい白い花。柑橘系の香り。
人間の食べ物の匂いは苦手だけど、この花の香りは好き……。
七都は、そっと花をひとつ引き寄せて、香りを嗅いでみる。
その香りは確かに癒されるし、落ち着くような気がする。魔神族にとっては、そういう感覚を抱ける花なのかもしれない。
もしかしてユードは、そのこともわかっていて、この花を選んだのだろうか。
白い花畑の中に、靄を薄くまとって、誰かが倒れていた。
「シャルディン?」
七都は、彼のそばに座る。
彼は目を閉じたまま、動かなかった。
「シャルディン。生きてる?」
「まだ、生きてますよ……」
彼が答えた。
だが、その声は、七都が知っている彼のものではなかった。
しゃがれた、聞き取りにくい声。
変化しているのは、声だけではない。七都は、彼を見下ろした。
そこに横たわる彼の髪は、漆黒ではなく、銀色がかった白。
顔からは張りも艶も消え、深い皺が刻まれている。
顔だけではなく、首も手も、老人のそれだった。
本当の年齢は六十代前半くらいなのだろうが、八十代、いや、それ以上にしか見えない。
彼は、目を開ける。
その目は薔薇色だった。瞳は深い葡萄色。
七都は、鮮やかな赤色をした彼の目を覗き込む。
「なんか、随分様子が違っちゃったね」
「……これが、私の本当の姿です」
シャルディンが呟く。
「そんなに悪くはないよ。素敵なおじいさまだと思う。きれいな目だね。苺ジュースみたい。髪は、パールホワイトのアクリル絵の具みたいな色だ」
「あなたの私の目と髪に対する例えは全く理解不能ですが、まあ、それなりの賛辞だと推測しておきましょう」
シャルディンが言った。
「ジュネスさまの趣味ではなかったので、魔法で髪の色も目の色も変えていました」
「わたしは、このほうがいいと思うよ。雰囲気あるもの。個性的だし。あなたにとても似合ってる」
「それは、どうも」
シャルディンは、七都を真っ直ぐ見上げた。
「とうとう私の頭も、おかしくなってきたのでしょうか。もう朝だというのに、魔神族のあなたがここにいるなんて」
「わたしは、太陽の光に溶けたりしないの。朝になろうが昼になろうが、外に出ていられるんだ」
「そうですか。驚きました」
「さっき、ジュネスが来たよ。夜明け前だというのに、わざわざ寄ってくれたみたい」
「あなたのことが気にかかったのでしょうね。そういう方ですから」
「一緒に来ないかって言われたけど、断っちゃった」
「一緒に行かれても、問題はなかったでしょうに。あの方は、魔神族にしておくにはもったいないくらいのいい方ですよ。女の子にもやさしいしね。育ちもいい。光の魔王さまのご親戚ですし」
「でも、あなたをこんなふうにしたのは、彼なんでしょ」
「あの方からいただいた魔法の能力をお返ししただけ。それだけのことです。あの方は悪くない」
「……ジュネスのこと、とても慕っていたんだね、シャルディン」
「いちばんまともなご主人でしたからね」
シャルディンは、穏やかに微笑む。
「で、動けないの? シャルディン。全然?」
「そのようです」
「家族のところに帰るんじゃなかったの?」
「もう、無理です。魔法がなくなっても、多少は動ける自信はあったのですが、魔法は思った以上に、私の体を蝕んでいました。間もなく私の命は尽きて、体は朽ち果てるでしょう。このピアナの花畑の中に」
「……ピアナっていうんだ、この花」
「これはね、結婚式のときに、花嫁が持つ花です。花束の中にこの花を入れると、必ず幸せになれるという言い伝えのある花……。魔神族が好む花でもありますよ。私はこの花を摘んで、妹にあげる約束をしていました」
シャルディンが言った。
「じゃあ、その約束、果たさなきゃ」
「もう、摘む元気さえありません」
シャルディンは、目を閉じた。
透明な薔薇色が、皺の中に消えてしまう。
「シャルディン? ねえ、シャルディン。また、言い合いっこしようよ」
「そんな気力もありませんよ……。ナナトさま、もう、構わないでください。あなたも、行かねばならぬところがおありのはず。行ってください。どうか……」
七都は、彼の手を取った。干からびた木の枝のようだった。体温も感じられない。
「シャルディン。わたし、あなたを助けられないのかな」
七都が呟くと、彼は目を開いた。
「では、ナナトさま。私をあなたのアヌヴィムにしていただけますか?」
「それは……無理だ……」
答えに詰まった七都を見て、シャルディンは微笑む。
「冗談ですよ。しかし、あなたも嘘をつけない方だ。心の動きがわかりやすく顔に出ますね。そんなに困ったような顔をされなくても」
「あなたも、冗談言う気力は、まだあるんじゃない」
「しかし、冗談にする必要もないですかね……。私も、まだ死にたくはないです。確かに、あなたはアヌヴィムを持つには少し若すぎるし、ご自分の魔力もまだ十分に使えていない。おまけにひどい怪我をされていて、エディシルが弱すぎる。だが、あなたが生来お持ちになっている魔力の強さに賭けてみるのも、いいかもしれません」
「わたしは、アヌヴィムの魔女の人に言われたよ。素性がわからないし、魔力もちゃんと使えないし、幼すぎるから、取り引き出来ないって」
「その人は、正統派ですね。人間としても地位に恵まれていて、教養があって、おそらく代々アヌヴィムで、仕えている魔神族も、かなり身分が高い人なのでしょう。だが、私は、そうじゃない。いろんな魔神族のもとを渡り歩いてきました。自分の意思ではなかったのですけどね。売られたり、賭けの道具にされたり……。エディシルも、与えられるのではなく、自分から取りに行くことを強要されもした。ゆえに、あなたの素性も、魔力があまり使えないことも、幼いことも気にしません」
「だけど、あなたをアヌヴィムにするにしても、やり方がわからない」
「私が知っています。というか、私にエディシルをくださればいいだけですよ。あなたが出来ないのであれば、私のほうから、取りにいきましょう」
「エディシルを……?」
「わかっていますよ。怪我をされている今のあなたから、エディシルを取り上げることは、とても酷なことです。だから、無理にとはいいません。ただ、私を助けてくださる気がおありなら、それなりの覚悟をしていただかないといけませんので。……どうされますか?」




