第1話 紅目の魔法使い 6
七都は、部屋に戻った。
部屋の中にあの魔法使いの気配は、一切感じられない。うまく隠れているようだ。
(でもね……)
七都は、真っ直ぐベッドに向かい、その下を覗き込む。
魔法使いが仰向けになって、横たわっていた。
「安易というか、安直というか。子供がかくれんぼするときだって、もっとましなところに隠れるよ」
七都は、彼に声をかける。
「ましなところとは?」
「天井裏に隠れるとか。魔法を使って、壁と同化するとか」
「魔法なんか使用したら、ここにいますと宣言しているようなものですよ」
魔法使いは、琥珀色の目で七都を見上げた。
そして、手を伸ばして、七都の手首をつかむ。
セレウスと同じ体温。一瞬めまいがしたが、七都は自分を立て直す。
「怪我をしているのに、蝶とカトゥースが食事ですか。エディシルが弱いのも当たり前だ」
「はなしてよ」
七都は、彼を睨んだ。
「グリアモスですね、あなたに傷を負わせたのは……」
「あなたの追っ手の中にも、グリアモスが二匹、いたよ」
魔法使いは、深い溜め息をついた。そして七都から手を離し、ベッドの下からするりと抜け出る。
彼は立ち上がり、窓の外をじっと眺めた。
「お暇な方だ。自ら私を捜しに出て来られるなどと」
彼が呟いた。
「何でジュネスから逃げたの、シャルディン」
「行きたいところがあるからです」
その魔法使い――シャルディンが答える。
「行きたいところ? そんなに大切なところ?」
「私の家族のところへ……」
シャルディンが、寂しそうに微笑む。
「あなたの家族……」
「私は子供の頃、魔神族にさらわれたのです。それ以来、家族に会っていません」
「そうなの……」
この人は魔神族に、とてもひどいことをされたんだ。
七都は、穏やかな表情で七都を見下ろす魔法使いを、複雑な気持ちで眺めた。
「五十年以上も前のことですからね。家族も、元気でいるかどうか。もう誰も残っていないかもしれない。私にとって、今が最後の機会なのです。今帰れば、運がよければ家族の誰かに会えるでしょう。でも、この時期を逃したら、残っていた家族も年老いて死んでしまう。私の家族は普通の人間ですからね。私のように長生きは出来ない。もっと後で帰ったら、おそらく私を待ってくれている人は、誰もいないでしょう。私はたくさん並んだ私の家族の墓の前に、ただ佇んで泣くことしか出来ない」
「きっと会えるよ、シャルディン。家族はいっぱいいるの?」
「父と母と、兄と妹」
「じゃあ、必ず誰かに会えるね。全員元気かもしれないし」
シャルディンは笑って、七都を抱きしめた。
「あのお。気安く触らないでほしいんですけど」
七都は口を尖らせ、小さく呟く。
同じアヌヴィムの魔法使いでも、ゼフィーアとは、なんかものすごく態度が違う。
アヌヴィムって、受身じゃなかったの?
「ありがとう、ナナトさま。感謝します。私をかくまってくれて。あなたにはひどいことをしたのに」
「でも、魔神族もあなたに、ああいういたずらとは比べものにならないくらいのひどいことをした。わたしの同族だ」
「あなたが罪悪感を持つ必要はありませんよ」
シャルディンは、やさしい目で七都を見下ろした。
近い……。
七都は、シャルディンの腕をやんわりとはずし、彼からゆっくりと離れる。
まったく。わたしが自分を失って暴走して、おまけに魔力を使ってあなたを襲ったら、いくら魔法使いのあなただって、きっと抗えないよ。
「風の魔神族には、私は会ったことがありますよ」
シャルディンが言った。
「えっ……」
「会ったというより、見かけたといったほうが正確かもしれませんが」
「いつ……どこで?」
「一昨日だったかな。ここよりもっと東にある店でした。私は例のごとく飲めない酒をくらっていたが、少し離れたテーブルに、彼が」
「彼? 男の人?」
シャルディンは、頷いた。
「外見の年齢はジュネスさまくらいですね。他の客が彼のことについて、ひそひそ小声で話していました。だから、彼のことを知ったわけですが……」
「あまりいい話じゃないわけだ」
「彼は魔神族だということを公にしている。そして、魔神狩人をしているらしいです」
「魔神狩人!?」
七都は、頭を殴られたような気がした。
魔神狩人って? 風の魔神族が?
ユードやカディナのようにエヴァンレットの剣を手にして、魔神族を狩っているってこと? なぜ……。
「じゃあ、もしわたしがその人に出会ったら、わたし、その人に狩られちゃうのかな」
「貴重な同族を殺すような真似はしないと思いますけどね。もし運よく出会えたら、事情を聞いてみられては……」
「うん。もちろんそうするけど……。名前とか知ってる?」
「彼の名前は、カーラジルト」
「カーラジルト。覚えておく。絶対、忘れない」
七都は、その名前を何度も繰り返して発音してみた。
「魔神狩人の間では、『化け猫カーラジルト』などと呼ばれているようです」
「化け猫? なんで……?」
「猫のように、口が耳まで裂けているとか」
シャルディンは、両手で唇から耳までなぞって見せる。
「で、裂けてたの? あなたは彼を見たのでしょう?」
「そんな様子はなかったです。私が見た限りではね。いい男でしたよ。ジュネスさまと同じくらいいい男かもしれません」
「じゃあ、相当の美青年ってことか」
「会うのが楽しみですね」
シャルディンが、にまっと笑う。
「でも、いきなりエヴァンレットの剣で襲ってこられたら、たまったもんじゃないな」
「だいじょうぶですって。物分りのよさそうな、穏やかな物腰の男でしたから」
「うん……。だといいけどね」
「では、ナナトさま。私は、これで」
シャルディンは、胸に手を置く。
「これから行くの? 家族に会いに」
「夜のうちは、まだ危ないですからね。外には出ません。この宿で一晩過ごして、夜明け近くになったら、出発します。今夜は、あなたのおかげでゆっくり寝られそうだ。追っ手はもう、ここには来ないでしょうから」
「そうだね。安心して、ゆっくり眠ったらいい」
「本当なら、私のエディシルをあなたに差し上げたいところなのですが、私もまだこれから力がいるので。申し訳ありませんが」
「エディシルは、いらない。その気持ちだけで十分です。おやすみ、シャルディン」
「おやすみなさい、ナナトさま」
シャルディンは丁寧に頭を下げ、優雅な身のこなしでドアから出て行った。