第1話 紅目の魔法使い 5
何かが地を駆けるカッカッという音と、ウィィィンという機械の音が、絡まり合って聞こえた。
あの音は……。
七都は、バルコニーから下の景色を眺める。
月の光をきらきら反射させながら、何か白い物体が三つ、道の向こうから滑るように走ってくるのが見えた。
「……機械の馬?」
メーベルルが乗って来て、そしてナイジェルが乗って行った、あの機械の馬と同じ音が近づいてくる。
「私の追っ手です」
魔法使いが呟いた。
「追っ手? ……ってことは、あなたは逃げてきたの? ご主人のところから?」
「そうです。理不尽なことに文句が言えない立場なもので、逃げるという行動に移したわけです」
「だけど、そういうこと、してはいけないんじゃ……」
「まあ、そうですね。アヌヴィムにとっては、一番許されないことです。主人に対する裏切り行為ですから。では、私はこれにて。捕まるわけにはいきませんので」
彼は、七都に軽く頭を下げた。
七都は、思わず彼に訊ねる。
「逃げられる?」
「さあ……。もうあんなところに来てますからね。近すぎます」
魔法使いは、他人事のように言った。
「でも、あきらめずに逃げなくてはね」
追っ手は、もうはっきりとその姿を現していた。
メーベルルの馬は黒かったが、その三頭の馬は真珠色がかった銀色だった。
それぞれ、馬上に人影も見える。おそらく魔神族が三人――。
瞬く間に近づいてくる。
「隠れて!」
七都は、自分の部屋を指差した。
「私の第一印象は、すこぶる悪かったのでは?」
魔法使いが、意外そうに言う。
「そんな場合じゃないでしょう。困っている人がいれば、助けなければね」
七都が怒ったように言うと、魔法使いは一礼して、部屋の中に消えた。
そのすぐあとに、機械の馬が、七都の立っているバルコニーの下を通り過ぎる。
先頭の馬には、白いマントに、輝く赤銅色の長い髪をなびかせた人物。顔には猫の仮面を被っている。
メーベルルの仮面とは、違ったデザインのものだった。笑っているのではなく、目を開いた、睨みつけるような猫の顔。
残りの二頭には、全く同じ格好をした人物が跨っていた。
尖った耳を頭の上に立てた兜をすっぽりと被り、黒いマントで体を覆っている。その兜もまた、猫を模しているようだ。
七都の視線に気がついたのか、先頭の人物が七都のほうに顔を向けた。
仮面の下の、紫色がかった青い目が、七都の姿を捉える。
七都とその人物は、しばし見詰め合った。
それは一瞬だったが、とても長い時間のように思えた。
機械の馬は、いきなり走るのをやめた。急ブレーキだ。
だが、馬上の三人は動じることなく、きびすを返す。
すぐに一行は、七都のいるバルコニーの下まで駆けてきた。
機械の馬は一斉に静かになり、先頭の人物が進み出て、七都を見上げる。
猫の仮面がはずされ、白い顔が現れた。ネイビーブルーの目。薄紅色の唇。赤銅の髪がきらめく。
本当の年齢はわからないが、見た目は二十代半ば。美しい魔神族の青年だった。
七都は、バルコニーの木製の手すりをぎゅっと握りしめる。
怖気づかない。こわがらない。
七都は心の中で、自分に言い聞かせるように呟いた。
わたしの同族だ。緊張する必要もない。リラックスして話そう。
「アヌヴィムのふりをして、ご旅行ですか?」
彼が言った。
どうやら、七都が魔神族だということは、わかったようだ。
アヌヴィムの魔法使いの印である銀の輪に惑わされることもなく、七都の正体を見破った。
もっともあの魔法使いが言ったように、蝶を髪にとめているので、そうわかったのかもしれなかったし、その前に、同族の気配みたいなものを感じたのかもしれない。
「この輪は、身を守るためです」
七都は、答える。
「おひとりか?」
彼の質問に、七都は頷いた。
「私の名は、ジュネス。光の魔神族。あなたはどちらの?」
「わたしは風の魔神族。名前は、ナナト」
「風の……?」
ジュネスは、驚いたように呟く。
「風の魔神族の方にお会いするのは、初めてですね。もうほとんど残っていないと聞くが」
「なぜほとんど残っていないのか、ご存知ですか?」
「随分昔のことですが、何か事故が起こって、風の都は壊滅状態になったとか」
「壊滅? なぜ……」
「わかりません。我々には、隠されていることですから。魔王さま方のみがご存知でしょう」
「水の魔王さまは、知らないみたいだったけど……」
「シルヴェリスさまは、外の世界から来られた方。それに、最近即位されたばかりでもあられ、そのことはご存知ないでしょう。昔からの魔王さまだけがご存知のこと」
ジュネスは、紫がかった青い目で七都をじっと見つめる。
「しかしながら、シルヴェリスさまとご懇意にされているとは、あなたはただ者ではないようですね。これから、風の都へ?」
「ええ」
七都は、短く返事する。
「ところで、このへんで、アヌヴィムの魔法使いを見かけませんでしたか? あなたと同じ銀の輪を額にはめている。名前はシャルディン。黒髪に、赤味がかった黄色の目をしているのですが」
「この宿のホールで、わたしにいたずらを仕掛けてきたアヌヴィムの魔法使いがいました。確かそのような風貌でしたよ。でも、随分前に出て行ったようです」
「そうですか。もしその魔法使いが私のアヌヴィムならば、お許しを。では、もう少し先を探してみます」
「お気をつけて、ジュネス」
「ありがとう。あなたもお気をつけて。けれど、ナナト。あなたのエディシルの弱さは尋常ではないですね。魔力は強いものを感じますが。いったいこれは……」
ジュネスは、探るように七都を見上げる。
七都は、思わず胸に手を当てた。
「病気か? いや、怪我をされているのかな。だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶです。ありがとう」
「では、失礼を」
ジュネスは、猫の仮面を被った。
魔神族を乗せた三頭の機械の馬は、再び隊列を組んで駆けて行く。
その姿は、瞬くうちに消えてしまった。
あのお供の二人は下級魔神族。グリアモスだ。七都は、思った。
兜の中で輝いていたのは、油断のならない、透き通った金色の目。
あの魔法使いが追っ手から逃れるためには、相当苦労することになるかもしれない。




