第3話 化け猫カーラジルト 12
「では、きみを送って行く」
七都が食事を終えると、カーラジルトが再び言った。
「お手数ですが、お願いします、伯爵」
カーラジルトは姿を変化させる。
だがその姿は、七都が知っている黒いグリアモスではなかった。
「え……?」
七都の目の前に現れたのは、白いグリアモス。
真っ白ではなく、毛の先だけが銀色だった。
部屋の薄青い明かりで毛先がきらきらと輝いている。瞳は前のままの、発光するビー玉のような緑色だった。
「これが本当の毛の色?」
(そう。闇の中では、この姿は目立つからね。普段は魔力で黒い毛にしている)
変身したカーラジルトが答える。
「きれい……」
七都は呟いて、カーラジルトの首に手を回した。
(こっちのほうがいい?)
「うん。わたしは、好き」
(じゃあ、きみと会うときは、こちらにすることにしよう)
七都は、カーラジルトのやわらかい喉を撫でてみた。
喉から胸にかけてはふわふわで、羽根のようだった。ブラシで丁寧に手入れをしてあげたい衝動にかられる。
「あ。ごろごろ言ってる」
七都はカーラジルトの喉に耳をくっつけてみる。
ずっと聞いていると安心できるような、心地のよい音だった。
もちろん普通の猫に比べると、桁違いに大きな音ということになるのだが。
「なんか嬉しい。ごろごろ言ってくれて。一緒に寝てるときは言ってくれなかったよね」
(ああいう状況で喉を鳴らせるわけもないだろ)
カーラジルトが、ぶっきらぼうに言った。
「そうだね。ごめん」
七都はカーラジルトの頬と額を撫で、尖った耳をつまんでみた。
耳の根元にも、やわらかい羽根のような毛が固まって生えている。
カーラジルトは、頬を七都にこすりつけた。
「あは、くすぐったい。かーわいい、カーラジルト」
(かわいいなどと表現されるのは、正直なところ複雑な心境だが)
と、カーラジルト。
「そっか。この世界では、誰もグリアモスに『かわいい』なんて言わないんだよね。でも、かわいい。とーってもかわいい」
(……。まあ、きみになら言われてもいいかな。ともかく、背中へどうぞ、姫君)
カーラジルトは姿勢を低くする。
七都は、カーラジルトの背中にまたがった。
(薬は、ちゃんと持った?)
「持ったよ」
七都はポケットの上に手を当てて確認する。そこには、薬の入った瓶が間違いなく入っていた。
これからこれがなかったら大変なことになる。決してなくしてはならない大切なものだ。
(出発!)
カーラジルトは、床を蹴ってジャンプした。
彼が着地したとき、そこはもう外の地面だった。
カーラジルトは、しなやかに走り始める。
七都は振り落とされないよう、しっかりと彼の背中につかまった。
木々が矢のように背後に飛んで行く。
カーラジルトは大地を駆け、大きいジャンプや小さいジャンプを繰り返した。
時々アヌヴィムや魔神族らしき一団が、驚いたように七都たちを眺める。
彼らの姿も、あっという間に遠くに去って行った。
(何か、また噂になりそうだな)
カーラジルトが呟いた。
「噂?」
(白いグリアモスにまたがる、魔神族の少女。そのうち白いグリアモスにまたがる風の姫君ってことで、知られるようになるかもしれないね)
「それは、これからもわたしはあなたの背中に乗れるって、期待してもいいってことかな?」
(きみが乗りたければ、いつでも乗っていいさ)
「じゃ、また乗せてもらおうっと」
七都は、カーラジルトの首筋を撫でた。
「でもわたしたち、本当に風みたいになってるよ。わたしたちの一族の名前の通りにね」
(そうだね……)
七都たちが通り過ぎる先々で、木の枝がざわめき、土埃が舞い上がる。
白い巨大な猫と、それにまたがる赤い眼の少女。風の中にその姿を捉えようとするならば、よほど目をこらさなければ難しいかもしれない。
風の魔神たちは、月を追いかけて、青い闇の中を走り続けた。
カーラジルトがスピードを落とし、ゆっくりと立ち止まる。
そこは、七都と彼が出会った場所。七都がグリアモスたちに襲われそうになった場所だった。
七都は、カーラジルトの背中から降りる。
カーラジルトは、七都の前に礼儀正しく座った。そして、ビー玉のような目で七都を見据える。
(姫サマ!! 絶対ニ、薬ハ、飲ムコト!!!!!)
カーラジルトが七都の頭の中で叫んだ。かなり大きな、がんがん響く声で。
「わ、わかったよ。そんなに怒鳴らなくても……」
七都は頭を押さえた。
「ね。カーラジルト。最後にあなたの猫じゃない姿が見たいんだけど」
(でも、この姿のほうが、きみは親しげに接してくれるからな)
「それはある程度仕方がないから、あきらめて。でも猫じゃない姿も、わたしは好きだから」
(そう?)
カーラジルトは、姿を変える。
若者になったカーラジルトが、七都の前に現れた。
やさしげなアイスグリーンの目が七都を見つめる。
「今度会うときは、本当にもう、今みたいなぞんざいな口のききかたはしてくれないの?」
七都は訊ねる。
「きみは我が一族の王族の姫君で、私は魔貴族だからね」
「寂しいな。ナチグロ=ロビンは、わたしが王族であることを知っていながら、ずっとぞんざいで生意気な口をきいてるのに」
「それが彼の個性だろう。私は彼とは違う」
カーラジルトが言った。そして付け加える。
「きみは、彼にはもっと毅然とした態度を取ったほうがいいと思うよ」
「そうかな……」
「甘くすると、つけあがるぞ」
「うん……」
七都はカーラジルトに近づいて、彼を抱きしめた。
「アールズロア伯爵。わたしが呼んだら、風の城に来てくれる? リュシフィンのこと、苦手かもしれないけど」
「参りましょう、姫君。あなたのご命令とあらば」
カーラジルトは、少しためらった後、七都の背中に両手を回した。
七都が拒否しないのを確認してから、彼は七都に回す手に力を入れる。
「私がきみに対してこういうことが出来るのも、これがもう最後だ。本来は、きみを抱きしめるなど許されないことなのだから」
「シャルディンは平気でやりそうなのに……」
「だから私は、彼ではないからね」
カーラジルトは、七都の頭をいとおしげに撫でた。
「きみの母君にも、こういうことは出来なかったよ」
「あなたはわたしのお母さんを知ってるんだよね。……ね。わたし、お母さんに会えるよね?」
「会えるよ、きっと。私も会いたい」
それからカーラジルトは、七都をやさしく引き離す。
「では、お行き、ナナト。きみの目的の場所をめざして」
「うん。ありがとう、カーラジルト。きっとわたしは、わがままで、自分勝手で、扱いにくいお姫さまだったろうね。ごめんなさい」
「いや。魔神族の姫君の中では、ましなほうなんじゃないかな」
七都は背伸びをして、カーラジルトの頬――唇のすぐ横あたりにキスをした。
カーラジルトは、びっくりしたような表情をする。
「セレウスにもシャルディンにも、お別れにキスはあげたから、もちろんあなたにも。婚約者がいるから、唇は遠慮しとく」
「ありがとう。ナナト。我が姫君」
カーラジルトは、再び白いグリアモスに変身した。
彼は一度だけ七都を振り返り、それから風になって、走り去った。
木々の枝が揺れ、空気が渦巻く。
やがてそれもすぐに消え去り、元の夜の静けさが戻ってくる。
七都は、しばらく立ち尽くした。
またひとりになってしまった。
言いようのない寂しさを感じる。心のどこかの一部分を失ってしまったかのような。
でも、彼にもまた会えるよね。だって、同じ風の魔神族なんだもの。わたしの側近になる人だもの。
カーラジルトに教えてもらったことは、忘れない。体でも頭でも覚えている。
今度はぐれグリアモスに遭遇したって、前よりはずっとまともに戦えると思う。
(ナナトさま!!)
誰かが、頭の中に話しかけた。
(シャルディン?)
七都は目を閉じる。
銀の髪に赤い目。アヌヴィムの魔法使い、シャルディンの姿が現れた。
七都は、彼の姿を見てほっとする。
(また、危険な目に遭われていたのでは?)
シャルディンが、心配そうな顔をして訊ねた。
「ううん。いっぱいのグリアモスに襲われそうになったけど、助けてもらった」
(しかし、あなたの意識に接触出来ませんでした……)
「カーラジルトだよ。特殊な魔力を使って、剣を教えてくれたの」
(では、会われたのですか、化け猫カーラジルトに)
「うん。あのね、普段は彼、口なんか裂けていないから。あなたが見た通りの美青年だよ」
(なんだ。おもしろくない……)
シャルディンが、残念そうに呟く。
「彼は魔貴族なの。伯爵さま。カーラジルト・アールズロア伯爵。将来わたしの側近になってくれる人かもしれない」
(では、いつかわたしも会えるということですね。セレウスさんにお会いするのも楽しみですが、カーラジルトさんにお会いするのも楽しみです)
「そうだね。いつか三人揃って、会えるかもね」
(……ナナトさま。あなたが魔の領域の中に入ってしまわれると、私はもう、あなたに接触することが出来なくなります)
シャルディンが、ためらいがちに言った。
「そうなの? それは寂しくなっちゃうな」
(お気をつけて。決して無茶をなさってはなりませんよ)
「わかってるよ。あなたもわたしのことばかり気にしてないで、自分の生活を大切にしてね」
(それは無理ですね。私があなたのアヌヴィムである限りは)
「風の都はすぐそこだから。絶対に無事に到着してみせる。あまり心配しないで。じゃあ、今度会うときまで元気でね」
(ナナトさまも、どうかご息災で)
七都は目を開ける。
そして再び地の都をめざして、足を踏み出す。
セレウス。シャルディン。カーラジルト。あの三人が集まったら、いったいどんな会話をするのだろう。
七都は、ちょっと想像してみたりする。
「……きっと、トリオ漫才だよね」
七都は頭を上げ、ますます光を増した月を眺めた。
しばらくグリアモスのまま走っていたカーラジルトは、やがて魔貴族の姿に戻った。
それから、七都を残してきた方向を振り返る。
「ユード。我が姫君の唇を奪ったのは、許しがたいが」
彼は呟いた。彼が七都の体の中に入っていたときに、七都自身の記憶として見たものを思い出しながら。
「彼の額にあったあの口づけの印は、おそらく火の魔王サーライエルさまのもの。おまけに、シルヴェリスさまも彼をお気に召しておられるようだし。近づかぬに越したことはないな」
そしてカーラジルトは、月の光が満ちた景色の中に、休憩するようにしばし佇んだ。
「私も近いうちに、一度風の都に帰ってみます。……姫君。あなたはその美しい赤い目で、風の都をじっくりとご覧になるがいい。あなたはいったい何を思われるのか……?」
七都とカーラジルトが別れた場所に、ひとりの人物が影のように現れる。
青いマントをまといフードを深く被ったその人物は、七都が歩いて行った、地の都に通じる道の彼方を眺めた。
そしてその人物もまた、七都のあとを追うかのように、ゆっくりと歩き始めた。
<第3話 化け猫カーラジルト 完>




