第2話 薔薇の城の少女 6
「遊ばない! わたしには、そんな余裕なんてない!」
七都は叫ぶ。
イデュアルは、すとんと床に着地した。
着地した彼女の姿が床に吸い込まれたように消え、突然七都の真横に姿を現す。
「あなたはどうせいなくなっちゃうんだから、その前に私とうんと遊んでおいてほしいな」
イデュアルは七都に抱きついて、耳元でささやいた。
「わたしは、いなくなんてならない!!」
「だからね、ナナト。そうしたいんだったら、あなたの腰の短剣で私を突き刺して、全部終わらせたら?」
「これはエヴァンレットの剣。魔神狩人が魔神族を殺すために使う道具でしょ。そんなのを使って、魔神族のわたしが同じ魔神族であるあなたを殺すなんて、きっと間違ってる」
「でも、それは、元々は風の魔神族が作ったものだわ」
イデュアルが、くすっと笑って言う。
「風の魔神族のあなたがそんなことを言うこと自体、間違ってるかも」
「もしこれが風の魔神族が作ったものなら、わたしはますます、これを使えない」
「別にこだわらなくてもいいのに。私が正気を失ってしまったら、そんな悠長なこと言ってられなくなると思うけどね」
「イデュアル。あなたは、本心では死を望んでいるの?」
「だって、どちらにしろ、私もランジェも破滅するわ。遅かれ早かれね。こんなことがいつまでも続くはずもない。どうせなら、普通の人間でもなく、魔神狩人でもなく、同じ魔神族に終わらせてもらいたいっていうのは、あるわね」
イデュアルは、七都の頬にキスをした。
「だけど、あなたにはそんな勇気もないみたいだから。さ、遊ぼ。夜は始まったばかりよ」
イデュアルは、七都の腰に手を回す。
いきなりイデュアルは、七都ごと上昇した。
「この城を案内してあげましょうか? 私、ここ、結構気に入ってるの」
イデュアルは宙に浮かんだまま、瞬間移動を繰り返した。
「ここはね、武器庫。趣味が偏ってると思うわ」
「ここは食堂。ランジェは、いつもひとりで食事してるみたい」
イデュアルは、いちいち部屋の説明をするが、七都はまともに聞いていなかった。
気分が悪い。頭がくらくらする。七都は、目を閉じる。
だが、イデュアルに付き合っていくうちに、彼女の瞬間移動のリズムと、間の取り方がわかってくる。
そうか。こうやって飛ぶんだ。こうやって、移動する。
わたしにも、出来るかもしれない……。
そう思った途端、七都は、とても広い部屋の真ん中に、仰向きで浮かんでいた。
長い間使われていない、褪せて湿ったような空気。灰色の闇が幾重にも積み重なる。
七都は横たわった状態で、そのままゆっくりと、静かに床に下りた。まるで、海底に真っ直ぐに沈んで行く女神の彫像のように。
床に下りていく七都を、追いかけてきたイデュアルが、両手を広げて受け止める。
「もう。勝手に消えないでよ」
そこは他の部屋よりも、一層豪華な装飾が施されていた。
柱は金色の彫刻で覆われ、天井にも細かい絵がびっしりと描かれている。
見事なシャンデリアが、巨大な朽ちた花のような雰囲気を漂わせながら、幾つも下がっていた。
床は、鏡のように滑らかだ。窓の影が月の薄い金色の光で縁取られ、床に淡く映っている。
「ここはね、舞踏会が行われる大広間」
イデュアルが言った。七都は目を開けて、大広間を見渡す。
だだっ広い空間の中に、イデュアルと七都は、夜の大海原に取り残された小島のように寄り添っていた。
「ランジェの前の代の領主……つまり、彼のお父様だと思うけど。前の領主のときまでは、ここで舞踏会が行われていたらしいわ。王子や王女も来たみたい」
「ランジェは、舞踏会は開かないの?」
「そういう賑やかなのは、苦手みたい。彼の容姿だったら、舞踏会ではきっと女性たちの憧れの的になるでしょうに」
「きっと、そうだね……」
「でも、お城に魔神族がいては、舞踏会も出来ないわよね」
イデュアルは、ふっと笑った。
「ナナト。あなたは、踊れるの?」
「踊れない……。この間、光の魔貴族の人に練習しておくように言われたけど……」
「じゃあ、教えてあげる。あなたも、魔王さまの身近な人なら、踊れなくちゃね。あなたがその光の魔貴族と踊れるかどうかは別としてね」
「そんな元気、ないよ……」
「情けないわね。ほら、私についてきて」
イデュアルは、無理やり七都の手を取り、軽快に踊り始めた。
踊りながら彼女は、きれいなメロディーをハミングで口ずさむ。
あ、この曲、聞いたことがある。
遠い遠い昔、誰かが歌っていた。わたしのすぐそばで。あれは、誰だったのだろう……。
鏡のような床の上を、イデュアルと七都はくるくると回る。
「私に踊りを教えてくれた先生は、怠け者だったわ。でも、踊りは抜群。コツがあるの。きれいに、上手に踊っているように見えるね。だからあなたに、それを教えてあげる」
イデュアルは言ったが、それからの彼女のレッスンには、コツも何もなかった。
単なる、ダンスの強化練習。そうとしか七都には思えない。
七都の体は、イデュアルの魔力で、機械仕掛けの人形のように、勝手に動く。
「動きに身を任すんじゃなくて、ちゃんとその動きを覚えなさいよ」
イデュアルが、不満そうに言う。
しばしば彼女は、七都の動きを止め、七都の腕や足を無理やり伸ばしては、ポーズをつけた。
それは、七都がテレビなどで見かける社交ダンスのようなものではない。
どちらかというと、フォークダンスに似ている。もっとずっと優雅で、おしゃれな感じの。
たぶん、お互いに微笑みながら、気軽に踊る、かわいらしいダンスだ。
きっと魔神族は、皆で笑い合いながら、こういう踊りを夢中になってするのだろう。
イデュアルのレッスンは、終わりがないくらいに長く続いた。
「もう、やめてよ、イデュアル。疲れてきた……」
七都は、呟く。
体はますます重くなり、だるさも増している。
これ以上続けたら、動けなくなるかもしれない。
「そう。じゃあ、魔力なしにするから、私と踊ってみて。うまく踊れたら、やめてあげる」
イデュアルが言って、七都の手を取った。
再び二人は、床の上をぐるぐると回り始める。
闇に包まれた大広間で踊る、二人の美しい魔神族の少女。
もし誰かが見かけたら、幽霊を見つけるよりも、はるかに恐怖におののいたかもしれないシチュエーションだった。
イデュアルは、踊りながら、大きな声で笑う。
きゃははは、という明るい声が、大広間に響いた。
その声もまた、通りがかりの人間が聞いたとしたら、まさしく、ぞっとするような魔物の笑い声に違いなかった。
「ナナト、飲み込みが早いね。これなら、すぐに舞踏会に出ても、大丈夫かもよ」
イデュアルが嬉しそうに言う。
「今のところ、舞踏会に出る予定はないよ」
七都は、ぶっきらぼうに言った。
あなたは私を食べるなんて言ってるんだから、私を舞踏会に出すつもりも全然ないんでしょう?
そういう抗議をこめて。
「私はね、魔王さまと踊るのが夢だったの」
イデュアルが床に座り込み、夢見るように呟いた。
七都も彼女の隣に座る。レッスンが終わったことに、ほっとしながら。
「それは、エルフルドさまと?」
「エルフルドさまとは限らない。魔王さまは、七人もいらっしゃるのよ。そのどなたもが、とても美しい方だとお聞きするわ。魔王さまと踊るのは、私だけじゃなく、魔神族の女の子なら、誰でも抱く憧れよ」
イデュアルは、七都の額を遠慮がちに見つめる。
「あなたはそのお二人の魔王さまと、どういう関係?」
「リュシフィンさまは、わからない。親戚か何かかも。額に印があるってことは、確実に会ったんだと思うけど、私は覚えていない。シルヴェリスさまは、一回、偶然に会っただけ。最初は、魔王さまなんて知らなかった」
「美しい方なんでしょう、シルヴェリスさまは」
「うん。確かにきれいだった。別れるとき、しばらく見惚れたもの」
機械の馬に跨ったナイジェルの姿を、七都は一瞬思い出す。
七都に向かって片手を上げ、挨拶してくれた彼。あの透明な水色の目。
まだしっかり、目に焼きついている。
「エルフルドさまも、お美しいわ。私は、あんな美しい方は見たことがない。あなたも確かにきれいだけど、エルフルドさまには勝てないわよ」
イデュアルは、七都をじっと眺めて言った。
「そんな、魔王さまと対抗しようなんて気は、全くないから」
七都は、苦笑して呟く。
ナイジェルがあんな感じなのだから、きっとエルフルドも輝くような美形青年に違いないよね。
七都は、推測してみる。
やっぱり、魔王さまというのは、そうでなくては。
魔神族って美男美女ばかりみたいだから、相当容姿が抜きん出ていないと、務まらないかも……。
「あの処刑場の石の椅子……。あれに鎖で繋がれた私は、お役人たちが帰ったあと、たった一人で残されたの」
イデュアルが言った。
「太陽が昇ってきて、あたりが次第に明るくなって……。とても怖かった。気が狂いそうなくらい、恐ろしかった。そうしたら、突然、誰かが私の前に立ったの。信じられなかった。エルフルドさまだったのよ」
「エルフルドさま?」
イデュアルは、頬を染めて、話を続けた。
「私のために、あんなところまで来てくださったの。そんなの、考えられないことだわ。死刑にされようとしている罪人に会うために、魔王さまが自ら来られるなんて。エルフルドさまは、とても悲しいお顔をされて、私に謝ってくださったの。私を助けられないことを。このまま私を太陽に焼かせるしかないことを。何度も何度も謝ってくださったわ。それから、私を抱きしめてくださった。あの方のぬくもり、あの方のお姿、お顔。まだ覚えている。絶対忘れない」
イデュアルは、自分の肩を自分で抱きしめる。
……なんか、セレウスやゼフィーアに聞いたエルフルドさまのイメージとは、ずいぶん違うような気が……。
七都は、うっとりとして顔を赤くしているイデュアルを見つめた。
「イデュアル。あなたは、エルフルドさまの恋人だったの?」
七都が訊ねると、イデュアルは吹き出した。そして、七都の肩をばしっとたたく。
「いやーね。そんなわけないじゃない。ナナト、あなた、何かとんでもない勘違いしてなあい?」
「だって、最後に来て下さったんでしょ、あなたに会うために」
「お話したことさえ、なかったわ。いつも遠くから、他の女の子たちと一緒に、垣間見てただけ。それにね、エルフルドさまには、好きな方がおられるみたい。その恋の行方も気になっていたんだけどな。もう、知ることも出来ない」
イデュアルは、寂しそうに微笑んだ。
「私は、とても楽になったの。あの方に抱きしめられて。幸せだったわ。死ぬことの恐怖なんてなくなった。エルフルドさまが去られたあとも、ずっと幸福だった。その大切な気持ちを胸に抱いたまま、太陽に焼かれて消えるはずだったのに……。ランジェに助けられてしまった。彼にここに連れて来られた私は、また、死ぬことが怖くなってしまったわ」
「エルフルドさまだけが、あなたを救えるの? じゃあ、わたしは、彼に会いに行く。イデュアル、わたしを地の都に行かせて。きっと彼は、真っ昼間に地の都を歩いている私を見つけて、接触してくる。そしたら、あなたのことを話して、彼にあなたをゆだねる……。わたしは、あなたを殺すことは出来ないけど、それなら出来るよ。だから……」
「だめ」
イデュアルが七都の唇に手を当てて、黙らせた。
「あの方に、私のことで迷惑はかけたくない。だって、きちんとお別れしたのだもの。もう、あの方とはお会いできない」
「わたしに、こだわってるなんて言っといて、あなたも変にこだわっているじゃない。きまりが悪いのはわかるけど。エルフルドさまにここに来てもらおうよ、イデュアル。きっと来てくれるよ」
だが、イデュアルは、答えなかった。うつむいたまま、動かない。
「……イデュアル? 疲れたの?」
イデュアルは、ゆっくりと顔を上げた。その顔を見て、七都は息を呑む。
あの特徴的な金色の目は、そこにはなかった。
その代わりに、暗黒を閉じ込めた二つの宝石のような目が、同じところにはまっていた。
(目が、真っ黒……)
なくしたのだ、正気を。
おそらく彼女自身も怖れていたその瞬間が、ついにやってきてしまった。




