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全4話
十三歳の春。
「……春奈さんの病気は、今の医療では完治が難しい病気です」
診察室に、医師の静かな声が響く。
「これから症状は少しずつ進行していきます。もちろん、できる限りの治療は続けます。ただ……長くても、あと五年ほどだと考えています」
隣で母は口元を押さえ、父は膝の上で拳を握りしめたまま俯いていた。
春奈は、窓の外を見つめる。
庭に咲くしだれ桜は、春風に揺られて淡いピンクの花弁を散らしていた。
いつもと何も変わらない、美しい春の景色。
(あと、五年……)
高校を卒業できるかどうか。
大人になれるかどうか。
私の名前に込められた、この美しい「春」を、私はあと何回迎えられるのだろう。
そう考えると、胸の奥にぽっかりと、冷たい風が通り抜けるような穴が空いた。
**
その夜、春奈は不思議な夢を見た。
そこは、どこまでも白く霞む世界だった。
空なのか大地なのかも分からない境界線のない空間に、一人の青年が寝転がっていた。
黒い外套を乱暴に纏い、黒髪の間から覗く、ざくろのように赤い目が退屈そうに天を睨んでいる。
「……誰?」
青年は面倒そうに、視線だけを春奈へ向けた。
「悪魔」
「え?」
「……死神みたいなもんだ」
春奈は青年をまじまじと見つめた。
彫刻のように端正な顔立ち。
異形の恐ろしさはなく、むしろどこか吸い込まれそうなほど綺麗で、不思議な雰囲気がある。
「嘘」
「あ?」
「だって、そんなに綺麗な顔をしているのに」
春奈は少しだけ緊張を解き、ふふっと笑った。
「こんな格好いい男の人と話せるなんて、夢ってすごい」
青年はあからさまに、面倒そうなため息をついた。
「別に信じなくてもいい。勝手にしろ」
「じゃあ……悪魔さん?」
「好きに呼べ」
春奈は彼の少し離れた隣へ腰を下ろした。
追い払われないということは、ここにいてもいいのだろう。
「私ね」
ぽつりと、誰にも言えなかった本音をこぼす。
「病気なんだ。今日、お医者さんにあと五年くらいって言われちゃった」
「そうか」
同情も、憐れみも、励ましもない。
初対面だから当たり前と言われればその通りなのだが、その興味を感じさせない淡白さが、春奈には不思議と心地よく、話しやすかった。
「本当はね、やりたいこと、いっぱいあったの。部活もやってみたかったし、修学旅行も行きたかった。恋だってしてみたかったし、将来の夢も見つけたかったな」
悪魔はしばらく黙って白無垢の世界を見つめていたが、やがて億劫そうに口を開いた。
「なんで過去形なんだ?やればいいじゃねぇか」
「え……?」
「やりてぇんだろ」
「でも病気だし。あと五年しかないし……」
「五年あんだろ」
春奈は目を丸くした。
「お前らの言う部活ってのは、五年もやるのか」
「ううん、三年の春には引退する、かな」
「修学旅行は」
「一回だけ」
「夢を見つけるのに、五年もかかるのか」
「それは……」
言葉に詰まる。
「でも、難しいよ。できないかもしれない。途中で入院するかもしれないし……」
悪魔は、邪魔そうに黒い髪をかき上げた。
「できねぇなら、他の方法探せ。最初から諦める理由にはなんねぇだろ」
その言葉が、春奈の胸にすとんと落ちた。
自分は「できない理由」ばかりを数えて、殻に閉じこもろうとしていた。
どうしたらできるかなんて、考えていなかった。
「……やってみよう、かな」
「そう思うなら、好きにしろ」
どこまでもぶっきらぼうな返事。
けれど、春奈の凍りついていた心には、それで十分すぎるほどの熱が灯っていた。
「でもさ」
春奈は、少し困ったように笑う。
「全部は無理かもしれない」
悪魔は寝転んだまま、首だけをこちらへ向けた。
「全部やる必要あんのか」
「え?」
「やり残したら、向こうでやりゃいい」
「向こうって?」
「死んだ後だ」
「えぇっ!?」
思わず大きな声が裏返る。
しかし、悪魔は至って平然とした顔で言い放った。
「向こうの世界は、どうせしばらく暇だ」
あまりにも当たり前に、死の先にも続きがあるように言うものだから、春奈はこらえきれずに吹き出した。
「あはは! 死んだ後のことなんて、考えたこともなかった!」
「今は考える必要ねえな。生きてるんだから」
「うん。じゃあ、もしやり残しちゃったら、その時は悪魔さんが付き合ってくれる?」
楽しそうに春奈は笑う。
「好きに思っとけ」
突き放すような言葉さえ、今の春奈には優しく響く。
春奈は、この日一番の笑顔を浮かべた。
「ありがとう、悪魔さん」
「何がだ」
「約束よ!」
悪魔は本当にわけが分からない、といった様子でわずかに首を傾げた。
その少し不思議そうにする姿がおかしくて、春奈は声を上げて笑った。
**
目を覚ますと、そこはいつもの病室だった。
やっぱり、夢だったのだ。
けれど、窓から差し込む朝日の眩しさに、胸の奥の重苦しい塊が薄れていくのを感じる。
『できねぇなら、他の方法探せ』
『残ったら、向こうでやりゃいい』
あのぶっきらぼうな声が、不思議なくらい鮮明に耳の奥に残っている。
春奈は布団の中で、小さく微笑んだ。
「……一つくらいなら、できるかな」
窓の外では、まだ満開の桜が、眩しい光の中で力強く咲き誇っていた。
今回の妄想は、悪魔です。
ですが、あんまり悪魔らしい要素はないかもしれません。
最期までお付き合いいただけますと幸いです。




