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君想う3

「あなた……雪人の、なに……?」


「あら。そんなことを聞いてどうするの? 私とキルは言葉ひとつで説明できるほど薄っぺらい関係ではないの。おまえこそキルの何でいるつもり? おまえは自分が彼のペットにしかなり得ないことをきちんと理解しているのかしら?」


 陰惨さが滲むその声に、桜子の背筋に震えが走る。

 目の前で薄い笑みを浮かべている女は、ぞっとするほど綺麗な容貌の持ち主だった。精魂を傾けて作り上げられたビスクドールのような、ひとつひとつが繊細で整ったパーツと寸分狂わぬ左右対称の配置。もはや人では持ち得ない美しさだった。

 キルクの過去についてはほとんど何も知らない桜子だったが、だからこそ、この美しい女魔族の存在を前にして息をのみ、奥歯を食いしばる。

 胸の奥がざわついてうまく呼吸ができなかった。


「ひょっとして、おまえは何か勘違いしているのではなくて? 拾った動物に情をかけ過ぎるのは、彼の昔からの悪い癖だわ。相手に己の立場というものを忘れさせてしまう」


 困ったこと……と、女が半眼を閉じる。瞳のうえに落ちる長い睫毛の影がどこか物憂げで、艶めかしかった。


「魔族は人間とけっして交わってはならない。人間のおまえが、彼に何を与えられる? おまえが彼に与えられるのは、裏切り者の烙印と同朋からの死刑宣告だけ。そのような相手に、まさか彼がペット以上の感情を抱くとでも思って? よく考えてごらんなさいな。そんなこと有り得るわけがないでしょう。何にしろ、彼に災いをもたらす者は死ぬがいいわ」


 女はちらりと隣に立つシエルを見やった。


「どこかの身の程知らずの愚かな女のように、恐怖と絶望をその身に焼きつけてね」


 シエルは女の言葉に何の反応も示さず、無表情のままだった。


「身の程をわきまえない愚かな女がそろって面白い見世物を披露してくれるなんて、じつに愉快だこと」


「そろって?」


 いったい誰のことを言っているのかと、桜子は眉根を寄せる。

 この異様なほど美しい女が“愚かな女”と称する者の中に自分が含まれているのは桜子にも分かったが、“そろって”ということは、他にも誰かいるということだろう。

 桜子は改めて周囲を見まわしてみたが、自分たち三人以外には誰もいなかった。

 桜子の目の動きに気づいた女が笑う。


「もうひとりの愚かな女は、今からおまえが連れてくるのよ。あの女もなんて光栄なのかしらね。王自らが出向いてくれるのよ。そして、今度は王の手で殺されるの。魂の欠片も残さずにね」


「まさか、それって……」


 嫌な予感に、桜子は息をのむ。


「安心なさいな。おまえにも最後まで見せてあげる。だから、早くここに戻ってくるのよ。あまり長居すると、命が長くもたなくなるからね。勘違いしてはならなくてよ。おまえを殺すのはこの私。落命の地にある胞子などではないわ」


「そんなこと訊いてないわ。あなた、まさかメルクリーズのことを言ってるんじゃないでしょうね? 彼女はもうすでに死んでるはずよ。それを……なに? 王って、シエルのことよね?」


 桜子の声が上ずる。

 メルクリーズは死んでいるはずだ。たとえシエルが彼女を生き返らせようとしていたところで、今は人形同然の状態だとキルクも言っていた。

 シエルはそんな彼女を護るために己の力の半分を割いているのだと。

 魔族の王として誰からも恐れられ、誰にも執着することがなかったシエルが、たったひとり大事にしていたという相手。

 その彼女をシエルが殺すとはどういうことなのか。

 うろたえてシエルの顔を見る桜子を、彼はただ冷たい目で眺めていた。

 頭から冷水を浴びせかけられたように、桜子の背筋に悪寒が走る。けれど、水が冷たければ冷たいほど肌に燃え上がるような熱を残すのと同じように、桜子の頬もすぐに怒りという熱に染まった。

 キッと、金髪の女魔族を睨みつける。


「いったいどういうこと? 答えなさいよ。メルクリーズのことを言ってるの? 彼女をシエルに殺させようって言ってるの!?」


 すっと、女が右手を上げた。

 とたんに血のにおいが桜子の鼻についた。

 一瞬の間をおいて、ズキズキとした痛みが桜子の左頬に走る。


「口のきき方に注意しなさい。薄汚いネズミの分際で」


 女は傲然と顎を上げた。


「キルがいくらペットに情をかける癖があるといっても、汚らわしい上にうるさいおまえなど、ペットにすらふさわしくないわね」


「誰が薄汚いネズミですって? あなたこそ何なの。魔族がそんなに偉い? 私が雪人のペット? ふん。彼がペット感覚で人間を可愛がることがあるくらい知ってるわ。でもね、彼はペットには優しい顔しか見せないのよ」


 いくら可愛がったとしても、内心では取るに足らないどうでもいい存在だと思っているから、キルクはペットや玩具扱いしている相手には自分を見せたりしないと、桜子は知っていた。

 桜子に対しても、最初はそうだったからだ。

 出逢った頃、彼はいつもにこやかに笑っていた。

 当初は何とも思わなかったが、彼を想い、彼をもっと深く理解したいと思うようになって気づいた。彼のあの笑顔はただの仮面なのだと。

 桜子のことなど本気では相手にしていなかったから、いつも平然と笑っていて、他の表情を見せることがなかったのだ。

 けれど、今は違うと、桜子は断言できた。


「私は雪人の怒った顔も知ってる。悲しい顔も知ってる。もちろん心から笑った顔も知ってる。たしかに雪人は魔族で、私は人間よ。だから、なに? そんな理屈なんて関係ない。私を雪人から離せるのは、雪人だけよ」


 言いながら、桜子は自分自身で再確認する。

 これが己の真実だと。

 常識も他者の言葉も、入り込む余地などは微塵もない。


「私の存在が不要だと彼自身が私に直接告げるなら、私は潔く離れるわ。でも、そうでなければ私は絶対に引かない。私は雪人のペットなんかじゃない。昔のことは知らないけど、今の雪人は私を選んだのよ」


 桜子が言葉を紡ぎ終わるか終らないかという瞬きの間に、女の白い手が桜子の首をつかんでいた。

 息がかかりそうなほどの至近距離で、女は桜子をねめつける。

 容赦なく首を締めつけられ、桜子は女の手もとで自分の脈がドクドクと暴れているのを生々しく感じる一方で、頭の奥が痺れ、目眩をおぼえた。


「本当にうるさいネズミね。調子に乗るのもいいかげんになさい。おまえは今、この私に生かされているということを理解していないようね」


「アリシア」


 唐突に鼓膜へと届いた静かなその声に、ぞわりと首筋から背筋へと震えが走り抜ける。それは一瞬桜子に息苦しさを忘れさせた。肉体の苦痛よりも精神的な恐怖が凌駕したのだ。

 まるで声そのものが実体を伴った刃物のようだった。

 アリシアと呼ばれた女のほうも同じ感覚をおぼえたのだろう。桜子の首を締めつけている手の力が明らかにゆるんだ。


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