死の蝶4
「まあ、いい。とにかくその女はすでにおまえの中に根付いている。〈器〉であるおまえから引き離すには、べつの〈器〉がいる。おまえが生まれるまでに何百年かかったのかは知らんが、それくらい〈器〉に成り得る人間などめったにいないのだ。……まあ、一時的な〈器〉としてなら、今は使える人間が一人いなくもないが」
おまえのために使う気はないと、シエルは言った。
「じゃあ、どうやって私を助けてくれるの」
迂闊にもまた顔を上げてしまい、そこで鈴音はハッと息を呑んだ。
──わかった。
唐突に、理解した。
なぜ、はじめて逢ったときにここまで彼に対して恐怖をおぼえなかったのか。
なぜ、いま彼がこんなにも恐ろしく思えるのか。
その要因は、シエルの目だ。
はじめて逢ったときは、ただ冷酷な光を宿しているだけだった。
けれど、いまは鈴音を見下ろす目に、わずかな敵意が滲んでいる。
「どう……して」
契約を交わす前、鈴音がここに幽閉されていたとき、キルクはあからさまに嫌悪と敵意を見せていたが、シエルはまったくそんな様子はなかった。
それが急にどうしたというのだろう。
だが、鈴音の疑問は最後まで言葉にはならなかった。
そんな鈴音にはかまわず、シエルは先を続けた。
「たとえおまえの中にいる女の意識に支配されたとしても、俺と契約をした時点で、おまえの意識が完全に消滅することはない。あとはおまえ次第だ。女の意識に同調して自分を失うか、抗って自らの意志を持ちつづけるか、自分で選択しろ」
「そんなの……、抗うなんて簡単に言うけど、どうやって抗えっていうの? どれが私の感情なのかも、だんだん分からなくなってきてるのに!」
スッと、シエルは目を細めた。
「おまえらには矜持というものがないのか?」
見下すように、シエルが言う。
「我らを狩ろうとする者でありながら、己と他人の感情も判別できないだと? おまえの一族のミギリは、そこまで嘆かわしい存在に成り下がったか。裏切り者の名が聞いて呆れるな」
「裏切り者?」
「ミギリがどのようにして生まれるか、おまえはどうせ知らんのだろう」
そのとおりだった。
鈴音の背筋を嫌な汗が伝った。
おそらく生きとし生けるものの中で、もっとも闇色が似合うであろう目の前の青年が曝そうとしている真実。
果たして自分は今、彼の言葉に耳を傾けていいのか。
鈴音の中で何かが警鐘を鳴らす。
シエルは何の感情も見せることなく、無感動に言葉を続けた。
「ミギリが持つ力は、元は我ら魔族の力だ。同胞を殺すために人間と血を混ぜ、生まれるのがミギリだ。ミギリというのは、俺たちの言葉で〈復讐する者〉という意味だ。俺たちにとってはただの裏切り者に過ぎないが、おまえたちにはおまえたちなりの理屈があったからこそ、ミギリと名乗ったのだろう。もしそのすべてを忘れているのならば、もはやミギリを名乗る価値はない。ただの呪われた一族だ」
鈴音は絶句した。
もとは、魔族?
魔族の、裏切り者?
(だから、彼らはミギリをあんなにも毛嫌いして、敵意を剥き出しにするのか。彼らは裏切りを嫌う魔族だから。私たちが、裏切り者の子孫だから)
鈴音は呆然として、焦点の定まらない目をただ何もない宙へと向けた。
「おまえの祖先は魔族の裏切り者だが、だからこそよほどの思いと覚悟があったはずだ。おまえはその末裔だろう。それに相応しい矜持はないのか」
ーー矜持。
誇り。
自分がミギリであることの、自分が自分であることの、プライド。
自分とは、いったい何だったのだろう。
魔族を殺せることを誇りにしているミギリ一族。
だが、その血自体が、そもそも魔族のものだと言うならば……、同族であった者たちを殺そうとする裏切りの一族だと言うならば……、いったいどこに誇りがあると言うのだろう。




