同居人8
桜子は天井を見上げた。
ふぅと、無意識に疲れたような息がこぼれ落ちる。
「なんか鈴音ちゃんが可哀想で、けっこう短絡的に考えて話を進めちゃったけど、だんだんいろいろ不安になってきたなぁ」
「いろいろって、なにが」
「鈴音ちゃんのお兄さんの件も心配だけど、まーくんもほら、やっぱり男の子じゃない? 真面目だからそういうのはないと思ってるけど、ドラマとかでよくあるじゃない。ひとつ屋根の下で暮らすと恋が芽生える的な」
「それはないな、絶対」
「なんで言いきれるのよ」
「昌輝はあれでも本性は魔族だ。本能で理解する。こいつはダメだってな。そもそもシエルと昌輝は別人じゃなくて同一人物だ。シエルがリーズ以外の女に目がいくわけないし、昌輝だって同じはずだ」
桜子はきょとんとした。
「誰よ? リーズって」
「シエルの妃」
さらりとキルクが答える。
桜子は一瞬、脳天に大きな隕石でも落下してきたのかと思った。それくらいの衝撃だった。
なにかおかしな単語が耳に入ってきた気がすると、耳が受けとった情報自体に疑惑が向けられる。
何度も何度もその言葉を頭の中で繰り返しつぶやき、ようやく意味を理解する。
「えええぇっ!? うそっ。シエルって結婚してたの!?」
桜子は思わず大声を出していた。
結婚という言葉ほど、シエルに似合わないものはない。
だが、キルクは涼しい顔で言った。
「俺たちの世界に結婚なんて概念はない。伴侶なんて、いくらでも変わるのがふつうだ。ただ、ごく稀に終生の伴侶として契約を交わすことがあるけどな。人間がする結婚も契約だろうけど、魔族が交わす終生契約は人間のものみたいにぬるくない。一度契約を交わせば相手が死ぬまで縛られるし、契約違反の代償は命だからな」
「まさに命懸けの約束ってことね。……で、シエルはそのお妃さんに命懸けの愛を誓ったわけ?」
自分で口にしながら、まったく想像がつかないと、桜子は肩をすくめた。
シエルがそんな情熱的なものを持ち合わせているようには、とても見えない。
話しかけても、返事どころか一瞥すらしないことがあるのに、特定の誰かにだけは常にあたたかい眼差しを向けることがあるなんて、考えられない。
「さぁな。俺がシエルと出逢ったときには、もうリーズと契約していたから、終生契約を結んだ経緯はよく知らない。けど、なんだろうな。不思議な関係のふたりだったな」
桜子は遠慮がちに口を開いた。
「どうして過去形なの?」
「リーズが死んだからさ」
淡々と答えるキルクだったが、その横顔には胸をえぐられるような哀切が見え、桜子は思わずキルクの腕に両腕をからめ、その冷たい黒髪に頬を寄せた。
かけるべき言葉が見つけられなかった。
部屋の外を時折通る車の音だけが、妙に耳についた。
「あー、今日の俺、ほんとにらしくないな」
腹立たしげにそう言うと、キルクは桜子の腕をそっとほどいた。
「ミギリの件は気にしなくて大丈夫だ。そもそも気にくわなければ、シエルが自分で放りだすだろ。いいから、おまえもう寝な。また熱が出るぞ」
離れていくぬくもりに桜子の肩が小さくふるえる。
「なによ。病み上がりの私を使ったのは雪人のくせに。勝手ね」
「俺が勝手なのは、今に始まったことじゃないだろ?」
「自分で言うか。バカ雪人」
キルクの指が、やさしく桜子の髪を梳く。
おとなしくベッドに横たわる桜子にタオルケットをかけるキルクは、暑くないようにと、胸もとでタオルケットを折り返した。
桜子だけに見せるその気づかいは、シエルの部屋でキルクからペット以下の扱いを受けていた鈴音が見たら、何の冗談かと目を疑ったことだろう。
「ねえ。私このままちょっとだけ寝るから、おやすみのキスしてよ」
「おやすいご用」
キルクは桜子の前髪を上げると、白い額にくちづけを落とした。
桜子は頬を膨らませた。
「もう、意地悪」
「なんだよ。我儘なやつだな」
キルクは笑いながら、そのまま桜子のくちびるに自分のそれを重ねる。
「おやすみ。我儘なお嬢さん」
桜子は微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
眠りの女神が迎えに来るまで、いつものように愛しい青年がそばで見守ってくれているのを感じながら。




