紅い瞳1
彼は初めてその少年を目にしたとき、なんて憐れな存在なのだろうと思った。
ただそこに存在するだけで、周囲にいる者の命を奪い尽くす。
禍々しい力を身にまといつかせたままの、冷徹な紅い瞳をした少年。
「キミ、からだ重くない?」
一面にひろがる背の高い草が風の吹くままに大きく揺れ、まるで緑の大河にたゆたっているような錯覚をおぼえる。
ざわざわ。さわさわ。
連鎖する葉の擦れあう音だけがあたりを包み込む。
だが、強く鼻腔をくすぐるのは緑の匂いではなく、鉄の錆びたようなにおいだった。
新緑に萌える草原の一部が、鮮烈なまでの朱に染まっていた。
草原に寝そべっていた少年は空を見上げたまま視線を動かすこともなく、無言のままだった。
「おまえ、兄さまが声をかけているのに無視するつもり?」
「マーヤ、よさないか」
少年の傍らに屈みこみ、彼──リーンは、そっと虚空に手を伸ばした。そうして、やさしく微笑む。
「おいで。もう怖くないよ。何も哀しいことはないから。ぼくがもらってあげる。哀しみも憎しみも全部もらってあげるから……ここにおいで」
リーンは魂に語りかけていた。
あまりにも唐突に、あまりにも無惨に未来を閉ざされ、紅い瞳の少年のもとに縛り付けられていた無数の魂たちに。
「マーヤ。お願いできる?」
「兄さまが望むなら……」
「ありがとう。頼むよ」
マーヤの差し伸べた手に触れた魂たちは、次々に光の欠片を残し、雪がとけるようにして消えていった。
それを見届けてから、リーンはふたたび少年に視線をうつした。
「キミのその力は危険すぎるね。憐れな魂が憐れな魂を呼ぶ。出口のない暗黒の迷路は、やがて関わる者すべての心を闇で侵食する。……その瞳、ぼくが封印してあげるよ」
少年がはじめて視線を動かし、リーンをとらえた。その瞳はまさに闇を覗きこんでいるかのようで、感情らしい感情は何ひとつ窺えなかった。
「いきなり出て来て、うるさいやつだ」
「それは申し訳なかったね。でもキミ、そのままだと追手もかかって面倒だよ。それとも、追われてここで隠れてるのかな」
「そんなもの、とうに片付けている。今はもう、誰も俺を追うことなどない。魔族最強の称号とは、じつに都合よくできている」
ふたたび空に視線を戻したその少年を、リーンは改めてまじまじと見た。
草むらに寝そべり、悠然と空を見上げている様子は、たしかに何かから逃げ隠れしているようには思えなかった。
「魔族最強の称号って……。キミ……、ひょっとして王の称号を持つ者なのかい? まさか、つい最近王になった前代未聞の常識外れな力を持つ子供っていうのは、キミのこと?」
「だとしたら何だ」
リーンは思わず溜息をついた。
「つっかかるね、キミ。べつにどうもしないよ。ぼくは王になんて興味ないし。ただ、その力はキミを闇に縛りつけて滅びに導くよ。現に、キミはもう半ば闇につかまっている。そこの子供を殺したのもキミだろう?」
新緑を濡らしている鮮血はいまだ生々しく、葉をつたって、時折しずくを地に落としている。
彫刻を目にしているのかと思うほど、少年の表情はまったく動かなかった。
「知らんな。俺はただ少し視線をやっただけだ」
「でも、キミの力はあの子を殺した。キミの力はあまりに暴力的で竜巻のようだ。少しの作用が途方もない結果を生みだす。ここでこうして出逢ったのも何かの縁だ。ぼくがその紅い瞳を封印してあげる」
リーンは少年の顔を覗き込んだ。
黒い瞳を持つ双子は、魔族として不完全な個体。そもそものバランスを崩して本来あるべきではない姿となっているせいか、黒い瞳を持つ者は、ひとつのことに突出した能力をもつことが多い。
あるいは、ひとつのことに突出した能力を持つがゆえに生体としてのバランスを崩し、魔族として不完全な個体となるのかもしれない。
いずれにせよ、リーンは強い封印の力を持っていた。逆に、マーヤは解放の力を持つ。
──類稀なる封印の力と解放の力を有する自分たち兄妹と彼が出逢うことは、果たして偶然だったのか。
リーンはその死の間際に、この出逢いそのものが運命の女神が仕組んだ罠で、自分たちは玩ばれているだけなのではないかという疑念にとらわれることとなる。
破滅を望み、嘲笑う女神の手にひらの上で。