第9話「地下牢での生活 3日目①〜フォルカーの誘惑〜」
ーーー翌朝。
今日もまた生きて朝を迎えられたことに感謝しながら、朝の身支度と朝食を済ませて、ランタンの灯りで本を読んでいた。
そこに、このところ聞き慣れた声の主がやってきた。
「やあ、おはよう!もう身支度は終わってしまったのかい?残念だなあ…」
「ちなみに僕が贈った寝間着は気に入ってくれたかな?」
昨日フォルカーが帰った後に、贈られた2つ目の箱を開けてみたところ、目を覆いたくなるほど露出度の高い寝間着が入っていたのだった。
太腿部分が申し訳程度にしか隠れない極端に短いワンピースのような形で、スカートの裾には、フリルがこれでもかと言うほど施され、肩の辺りは紐で結ぶ仕様になっており、背中と胸元が極端に大きく開いている。
生地は上質なシルクのようで、艶のある薄いピンク色をしているが、それすらもいやらしさを引き立てているように感じ、直視できないほどだ。
あの配慮が行き届いた袖付きのドレスはなんだったのか…
この異様な寝間着を前にして、リーゼラは人知れず頭を抱えたのだった…
だが、せっかく贈ってもらった水色のドレスのままベッドに入り、ドレスにしわを付けるのだけは避けたかった。
かと言って、この地下牢で裸で寝るのも憚られた。
悩んだ末にリーゼラは…
「夜は、今まで着ていた服を着て寝ました。」
「あー!!あの服を回収し忘れたね!!僕としたことが、うっかりしていたよ!!」
大袈裟に赤栗毛の癖っ毛に両手を当てて、心底残念そうに身を捩っている。
…本当に、どこまでが本気なのか…
読めない相手だ。
リーゼラは半目でフォルカーを嗜めるように睨むと、すぐさま本に目を戻した。
「こんな地下牢の中に本なんかあったんだね。しかもそれ、古代文字で書かれた古代帝国の聖典じゃないか!君まさか古代文字が読めるの!?」
「ええ、ある方に教わったので…」
「へぇ〜!すごいな!!貴族学校に通っていなかった間も勉学は欠かしていなかったってことなんだね!古代文字なんて、今どき読める人なんていないに等しいのに。君の家庭教師はよっぽど優秀だったんだね〜!!」
「………。」
そうだったのね…と内心リーゼラは衝撃を受けた。
リーゼラは薪小屋時代に、小屋を抜け出して街でたまたま出会った人生の師匠に、この古代文字を習ったのだった。
世情に疎いリーゼラは、それは日常の言葉を覚えるのと同じくらいに普通のことだと思っていたのだ。
「…でも、ここに置いてある本はすべて古代文字でした。前にここで監禁されていた方は、古代文字が読める方でしたのね。」
「あぁ…、確か5年くらい前にひげもじゃのご老人が閉じ込められていたのをこっそり見たよ。その人じゃないかな?…と言っても、5日も経たないうちに、どこかに消えてしまったみたいだったけど。」
ひげもじゃ…
「そうなのですね…」
「あの人がどうして地下牢に入れられてしまったのかは、聞いても誰も教えてくれなかったけどね。機密事項だったのか、一部の人しか知らないみたいだったし。」
消えてしまったということは、どこかへ連れ去られたのか、逃げたのか、あるいは処刑されてしまったのか。
今のリーゼラと同じ状況だったのだろうか。
古代文字のことといい、他人事には思えなかった…
「…ちなみに、フォルカー様の知る限りで、他にこの古代文字を読める方はいらっしゃいますか?」
「うーん、たぶん他にはいないと思うけど、もしかしたらローデリヒ義兄上なら読めるかもね。子どもの頃から神童と謳われるほどとても優秀で、その当時から様々な異国の言葉を自由に話せていたと言う話だから、きっと古代語もマスターしているに違いないよ!!」
フォルカーは自分のことのように、宝石のように黄色い綺麗な瞳をより一層輝かせて嬉々と話す。
そんな兄想いな様子はとても微笑ましくて、ついこちらも頬が緩んでしまう。
「ふふ…、もしローデリヒ閣下がご存じなら、いつか古代帝国の聖典について語り合いたいですわ。」
果たしてそんな日がやってくるだろうか…
いや、きっとやってこないだろう。
自分で考えておいて即座に否定する。
そもそも、私はまだ「婚約者」なのだろうか…
…いや、明日をも生きられるか分からない身の上で、考えるべきことではないかもしれない…
「あ、そうそう!そういえば、さっきここに来る途中で小耳に挟んだ話なんだけどね。」
「はい。」
「もう君がこの件の首謀者ということで、早急な措置を義兄上に嘆願しに行くって、執事を中心に使用人達が息巻いてたよ!」
「そうなんですか…」
「えっ?……はいいぃっ!?」
フォルカーがあまりにいつもと変わらない軽い口調で言うものだから、一瞬理解が追いつかなかった。
「今日の葬儀で、いつも以上に義兄上はお忙しいだろうから、まともに取り合ってもらえるかは分からないけど、もし意見が受け入れられてしまったら、下手したら明日にでも裁判が開かれて、早ければ明後日には刑が執行されてしまうかもしれないね。」
今日が弟君の葬儀の日だったのですね。
それなら、あなたは今こちらにいて良いのでしょうか…?
心の中でいくつも疑問が浮かぶも、今はそれどころではなかった。
この国は、一応法治国家としての形はとっているが、実際は貴族間での賄賂や忖度が横行し、裁判も適正に行われているとは言い難い。
ましてやここは、アルトラント公爵領だ。
公爵家の中でも王族の血を色濃く受け継ぐこの公爵家は、大公爵と呼ばれており、その大公爵の治める公爵領は、一部の者の間では大公国と呼ばれ、国と並ぶ一つの独立した国家のような存在であった。
裁判も余程の重大な犯罪でなければ、自領で開くことができた。
今回は公爵家の次男の毒殺ということで、国の裁判所に委ねられることになるだろうが、アルトラント大公爵が本気を出せば、自領で勝手にリーゼラを処刑することは容易なことなのだ。
そんな公爵領の屋敷を取り仕切る執事が筆頭となってリーゼラを訴えるとなると、この国の法も勝手も分からない他所者のリーゼラにとっては不利でしかない。
ここには、リーゼラの人となりを知っている者は誰もいないのだから。下手気に実家から証人を呼ばれたとしても、義母や義母に言いなりの父が私に有利な発言をしてくれるとは到底考え難い…
考えれば考えるほど、頭が痛くなってきた…
そんな最悪の状況下であることはフォルカーも理解しているようで、より一層深い笑みを浮かべて、鉄格子ごしに信じられないような言葉を囁きかけてきた。
極々小さな声で…
「だったらさぁ…」
ーーー今からここを出ない…?
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