第30話「その夜のこと」〜契約完了!〜
ローデリヒに送られて帰ってきた後、渋顔の侍女を捕まえてお湯を用意してもらい、身体を清めてから、今日ディルクに手配してもらったばかりの新しい寝間着に着替えた。
袖付きでとても暖かい素材だった。
ああ…ありがとう、ディルク!!
リーゼラはその暖かさに感動しながら、心からディルクに感謝した。
朝の時点では、もしかしたらただの変質者なのではないかという疑問が浮かんでいたが、やっぱり腕は確かなローデリヒの優秀な秘書サマだったことを納得した。
今日の夕方に送り届けられた荷物は、案の定、誰にも荷解きされることなく部屋の真ん中に放置されていたので、リーゼラがすべて箱から出して、ワードローブに収納していく。
全く、ここの専属の侍女達は、何の仕事をしているのやら。
今さら何も期待していないので、いいのだが…
そんなことよりもリーゼラは、今日の街での出来事がとても新鮮で、ベッドに入って、目まぐるしかった一日をゆっくりと振り返った。
新しく綺麗な街並み、大きくて立派な時計が四つもはめ込まれた時計台。
綺麗で歩きやすいレンガ道に、庶民に分かりやすい標識。
行き交う人々の明るい顔、賭博場や酒場で楽しそうに盛り上がる気さくな男達。
口にした食べ物は、すべてが美味しかった。
リーゼラは、今日一日だけであの街が大好きになってしまった。
フォルカーもここの領政に携わるべく、勉強中だと言っていた。
私もせめて、この屋敷にいる間くらいは、何かお手伝いができたらいいなと思う。
婚約解消された後は、ローデリヒ閣下に市民権をもらって、この街に住み着こうかしら?
でも仕事を見つけるまでに必要なお金はどうしようかしら…
ああ、でも、そもそもこの街が戦火に巻き込まれることになるのだとしたら…
そう考えて、リーゼラはベッドからむくりと起き上がる。
ワードローブにしまったばかりの新しい厚手の上着を一枚肩に引っかけてバルコニーに出た。
今日は風はないが、それでも少し肌寒い。少し酔った熱を冷ますにはちょうど良かった。
今日のディルクの口ぶりからも、あの街は戦争に備えて作り変えられたような箇所がいくつもあった。
ローデリヒがそう遠くない未来に起こる戦争を想定して、あの街を作ったのは間違いなかった。
でも、相手は誰…?
周りの他国とは和平を結んでおり、国交も良好だし、当面は侵略などの心配も無さそうだ。
であれば国内…?
国内の貴族間の関係は、リーゼラにはよく分からない…
でもそんなに大きな問題を抱えているようには思えなかった。
だったら、ローデリヒは一体どことの戦争を想定しているのだろうか…
分からないが、有事のために、リーゼラもいろいろと備える必要があるなと、あれこれ考えを巡らせた。
ーーー
そろそろ戻ろうと振り返ると、ふとローデリヒの執務室にも灯りがついているのが見えた。
…ローデリヒはまだ仕事が終わらないのだろうか。
ディルクを一日休ませたことで、仕事が滞っているのかもしれない…
「……。」
どちらかというと、リーゼラも巻き込まれた側ではあるが、今日一日ディルクと一緒になって、結果的に遊び倒してしまったことへの後ろめたさがあった。
ローデリヒの部屋の方に少し近づいてみると、やはり執務机に座って何か書き物をしている姿が見えた。
やっぱり…
部下が休んでいるんだから、一日くらい自分も休めばいいのに…真面目な方なのね。
ふと、一人で休まず働いているローデリヒが気の毒になり、遠くからしばらくその様子を見つめていたら、ふとローデリヒが席を立ち、こちらに向かってきて掃き出し窓を開けた。
「…何の用だ?」
「えっ!いや、その…!」
表情のない顔で睨まれて、おもわず慌てる。
かなり遠くから見ていたはずなのに、どうして気付かれたのだろう…
まだローデリヒを前にすると緊張してしまうが、リーゼラは意を決して伝える。
「あの…、よかったら私にも何か手伝わせて貰えませんか?」
「必要ない、早く寝ろ。」
そう言って、すぐに窓を閉められそうになるので、慌てて食い下がる。
「でもディルクがいなくて、お仕事が立て込んでいるのでしょう?」
「問題ない。」
ピシャリと撥ねつけられ、拒絶するように窓を閉められる。
「………。」
残念…
私には見られたくない重要な書類などあったのだろうか。
昨夜はああ言っていたが、やはり私のことはまだ警戒しているのかもしれない…
取り尽くし間も無く断られて、ちょっとしょんぼりする。
チラッと見えた執務机には書類が山積みになっていた。
閣下はあの仕事を一人で行うつもりなのかしら…
早くお休みになられるといいんだけど…
そう思いながら、しばらくローデリヒの後ろ姿を眺めていたら、少しして、渋々と言った様子でローデリヒが再び窓を開けた。
「……入れ。」
!!
「入ってもいいのですか!?」
「お前にずっとそこにいられたら気が散る。気配がうるさい。」
!!
「すっすみません!」
あの場からしばらく眺めていたことを知られて気恥ずかしくなる。
…どうして後ろを向いていてそんなことが分かるのかしら。
〝気配がうるさい”なんて、常人の言葉ではない。
やはりローデリヒは相当な訓練を積んだ手練れのようだ。
ローデリヒの気が変わらないうちに急いで執務室に入る。
ここへは以前一度だけディルクに連れられてやってきたことがある。
その時は緊張のあまり周りを見る余裕などなかったが、改めて見ると、部屋中ものすごい書類の山だった。
夫婦の寝室側の壁には天井までの高い本棚が並んでおり、中には本がぎっしりと入っている。
本の高さも背表紙の色も統一性がなくバラバラに入れられている。
貴族の中には、見栄えのために飾り用の本を入れている者もいるとは聞くが、ローデリヒのそれは恐らくすべて実用的なものだろう。
本棚の前には事務机が二台あり、一台には参考文献として使っているであろう本と何らかの書類が山積みになり、その隣の机には書類と本が乱雑に山のように置かれている。
…恐らくだが、ここがディルクの机だろう。
本棚の反対側の壁際には、大きめのソファがあり、その上に薄い毛布と数枚の書類が乗っていた。
ベッドらしきものはないので、ここでローデリヒが寝ているのだろう。
脇のサイドテーブルには、これまた本が数冊乗っている。
寝る直前の間も惜しんで、仕事に耽っているのだろう。
ローデリヒの机の上は、「決」「未決」と書かれた書類入れと今使っている書類以外の他には余計なものは何もなく、きれいに整理整頓されていた。
机に二人の性格がよく表れている。
「部屋の観察はおわったか?」
ふぇっ!?
心を読まれたようで、一瞬飛び上がる。
ローデリヒは机に頬杖をついて面倒臭そうにこちらを見ている。
「…お仕事の邪魔をしてすみません。ですが、そんなに根を詰められてはお身体に障ります。私に出来ることがあれば手伝いますので閣下は…」
「問題ない。休息ならお前を迎えに行く時にとった。」
とこちらの意図を汲み取った上でそれを拒否した。
でも裏を返せばそれは、その時以外は休んでいないということだ…
リーゼラは益々心配になった。
「ですが…」
尚も食い下がろうとすると、ローデリヒが大きなため息を吐く。
「…分かった。」
「…へ?」
「俺が仮眠する間、お前に雑務を任せる。それでいいな?」
そうでもしないと私が出て行かないと判断したのだろう。
手伝うどころか、私の我儘を聞き入れてもらったような形になり、なんだか情けない気持ちになる。
ドサッ
本が置かれていた机に大量の書類が置かれる。
「その送られた相手や用件などを紙にまとめておけ。書き方は前のものに倣え。」
そう手短に説明すると、そのままソファにドカッと横になる。
左腕を顔に乗せ、右手で首のボタンを外して首元を緩める。
よく見ると、昨日のように上は白いシャツ一枚でかなり薄着だ。
おまけに薄手の毛布も下敷きにして、掛けずに寝ている。
これからどんどん冷え込んでくるというのに…
あれでは、風邪をひいてしまうわ…
そう思って、リーゼラはそっと自分の部屋に戻って、自分の羽毛布団を持ってきた。
それを寝ているローデリヒに掛けようとした瞬間、ガシッと腕を掴まれ、青い瞳で睨まれる。
「何の真似だ…?」
「えっ!?その…っ!お寒いかと思って…!」
予想だにしなかったローデリヒの反応に、リーゼラが戸惑いながら答える。
「必要ない。」
「で、でも…っ!」
「………。」
ローデリヒが面倒だと言わんばかりにため息を吐くと、
不意に掴んでいた腕を引いて、リーゼラを自分の方に引き寄せた。
ローデリヒの顔が間近に近づき、リーゼラは驚いて目を見張った。
図らずも彼を真上から見下ろすような体勢になった。
青い瞳の中に金色の宝石のような光がキラキラと輝いて美しく、おもわず見惚れてしまう…
髪は寝転がって無造作に乱れており、それが更に彼の優艶さを増している。
そして徐に反対側の手でリーゼラの頬に触れた。
「!!」
突然のことに言葉が出ないでいると、
「俺の体温は高い。だからそんなもの必要ない。」
と表情のない顔で伝えると、あっさりとリーゼラの手を突き放し、さっと背を向けてしまった。
ローデリヒの色気にあてられて、くらくらとするリーゼラだったが、確かに触れられた箇所は、熱をもったように熱かった。
それでも、本当に大丈夫なのかと、不安気に見つめていたら、すぐにローデリヒが振り返って
「…昨夜、あれほどきつく抱きしめておいて忘れたのか?それともまた同じことをされたいのか…?」
と暗い妖艶な笑みを浮かべてきたので、
リーゼラはすぐさま「いいえ!」と飛び上がって、速やかに所定の位置に戻ったのだった。
ローデリヒはそれを満足そうに一瞥し、今度こそ本当に横になって目を閉じた。
ーーー
それからリーゼラは、黙々と一人で作業を続けた。
書類を整理してみると、今度の議会で承認をかける税金や商人の販路に関する案件やら、自領の諸々の政策に関する書類、国王が議会にかける前の草案の相談まで、想像以上に多岐に渡る多くの仕事を抱えていることが分かった。
これをたった二人でこなされているなんて驚きだわ…
一人の休みが大きな損失になるわけだ。
リーゼラは、いつの間にか寝たらしいローデリヒの後ろ姿を見ながら、あることを考えていた…
ーーー
「よしっ!終わった!」
夜中の1時を過ぎた頃、ようやく頼まれた分の記録が終わった。
ん〜!!っと伸びをしてローデリヒを見遣るが、彼はまだ寝ているようだ。
余程疲れているのだろう。
本当であれば、ベッドでゆっくり寝せてあげたいが、ここにはベッドはないし、隣の夫婦の寝室に運ぶ腕力もない。
そもそも私が近付いただけで起こしてしまうだろう。
リーゼラは、他にできる仕事はないかと、ローデリヒを起こさないようにそうっと立ち上がると、それに反応してローデリヒも身体を起こした。
まだ眠そうに目を瞑ったまま、太腿に肘をついて手で額を押さえている。
「…終わったのか。」
「…はい。」
どうしてこの人は、こちらのちょっとした動きや視線にすぐ反応するのだろうか…
本当は寝てなかったんじゃないかという疑問すら浮かんでくる。
「あの、他にお手伝いできることはありませんか?」
「もう十分だ。帰って寝ろ。」
「……。」
「では、言い方を変えます。」
「私がここにいる間、どうか私を閣下の元で雇っていただけませんか?」
「……!」
眠そうにしていたローデリヒが目を開き、こちらを見た。
「自由の身になった後は、なんでも願いを叶えてくださるとおっしゃっていましたよね。そしたら私は、この街に平民として暮らすことをお願いしようと思っています。そのためにも先立つものが必要なのです。」
「生憎、実家からの持参金はなく、今後も支援は受けられそうにないので…。」
そう伝えると、ローデリヒが押し黙った。
そして
「…お前の事情も考慮せず、勝手を言ったな。」
「雇用の件、許可しよう。」
と、あっさりと雇用を認めてくれた。
リーゼラは、ぱあっと顔を輝かせて
「ありがとうございます!」
と嬉しそうにお礼を言った。
その顔を見たローデリヒは、少し柔らかい表情を浮かべて
「ふっ、変な女だな。」
と笑った。
そのいつになく優しげな表情が、リーゼラをドキリとさせた。
その後、すぐさま契約書を作ってもらい、私は正式に「期限付き雇われ婚約者兼事務員」の立場となった。
ーーー
賃金が発生するとなって、俄然やる気をもってローデリヒからの雑用をこなすリーゼラ。
既に深夜2時である。
ローデリヒも、もうリーゼラに早く寝ろと言うのは諦めたようだ。
代わりに、使用人に夜食を頼んでくれた。
簡単に摘めるクラッカーやサンドイッチなどと一緒に温かい紅茶が用意されて、目を輝かせて「ありがとうございます!」と伝えると。
「お前の食欲は相当なものだと聞いているからな。」
と言われ、
「えっ!?」
と思わず聞き返した。
「なんでも、地下牢に入れられた初日から、毎日欠かさず食事を完食しているそうじゃないか。毒を盛られた翌日も食事を全て平らげていたと見張りから報告を受けていたぞ。」
と意地の悪い笑みを向けられて、おもわず赤面する。
ーーあの見張りの人、そんなこと報告してたなんて!!!
裕福な貴族ならば、毎食沢山の料理を用意させて、その中から食べたい物だけを少し食べ、後はほとんど残してしまうものらしいが、
飢えの極限まで味わったリーゼラが、もちろんそんな勿体無いことができるわけがなかった。
はしたない女だと思われたようで気恥ずかしかったが、そう思いつつも今日も用意された自分の分の夜食はすべて完食してしまった。
なんなら、呆れ顔のローデリヒの残りの分ももらって全て食べた。
ローデリヒはそんなリーゼラを、珍しいものを見るかのように見つめていたが、リーゼラは気づかないふりをして仕事を続けた。
ーーー
それから30分後、膨大な書類を一枚の紙にまとめる作業を終えてローデリヒに見せると
「ほう、これは思いの外、筋がいい。仕事もディルクより丁寧だ。これは手放すのが惜しくなるな。」
などと褒めてくれた。
…〝思いの外”は余計だが。
「そしたら婚約解消の後もずっとこちらで…!」
そう言いかけてやめた。
ローデリヒの元で働くのは楽しそうだが、ここの使用人達と一緒に働くなんてことは、全く考えられなかった。
使用人達には、未だに私が弟君を殺したと疑われているし、それに主人に婚約解消された元婚約者が同じ使用人として働くなんて、さすがに立場が複雑すぎる…
やはり、どこかの街で静かに暮らした方がいいだろう。
そう結論づけた。
困ったように笑って誤魔化すリーゼラをローデリヒは無言で見つめた。
ーーー
気付けば深夜3時。
さすがのリーゼラも書類をまとめながら、うつらうつらしてきた…
……
………
ーー気付いたら、またいつもと同じ悪夢を見ていた。
何度見ても苦しくて辛い…
身体が思うように動かないが、それでも必死に逃げようと足を手を動かしていく…
すると、またいつかのようにふと身体が温かく軽くなるような感覚になり、ふわふわとした幸せな心地で深い眠りに誘われていった…
ーーーー
リーゼラが目覚めると、気付いたらソファの上で寝ていた。
上には羽毛布団が掛けられている。
先程ローデリヒが仮眠をとっていたソファでいつの間にか寝ていたようだ。
時計を見ると、朝の6時…
ゆっくりと身体を起こすが、ローデリヒはどこにもいない。
一体どこに行ったのか…
それにしても、いつの間にソファで寝たのか…
!!
ーーそう考えた瞬間、さっと顔が青くなる。
この羽毛布団と言い、またローデリヒに運んでもらったに違いない!!
また無意識のうちに変なことをしてはいないだろうか!?
寝ている記憶を呼び起こそうと必死になっていると…
バタン!
「ロー様!あなたのディルクがただいま帰りましたよ〜!!」
と、突然すこぶる陽気なディルクが帰ってきた。
そして、ローデリヒがいるはずのソファにリーゼラが座っているのを発見して動きを止める。そして…
「つ…、」
「遂にやりましたね!!リーゼラ様!!」
「えっ!?」
凄い勢いでリーゼラに近付いて両手を握る。
「遂にロー様を籠絡させたんですね!!さすがです!!」
「私も一晩部屋を開けた甲斐がありました!!」
「………。」
またしても、相当な勘違いをしているようである…
「全く違いますからね?」
と、リーゼラは、優雅に圧のこもった深い笑みを浮かべて答える。
その様子に、またしてもディルクは床に崩れ去った。
「おい。」
そんなディルクの頭上から声がかかる。
見たらいつの間にか扉の前で腕を組んで立っているローデリヒがいた。
「仮にもそいつは俺の婚約者だ、気安く触れてくれるなよ。」
その甘い言葉とは裏腹に、その表情には一切の関心が窺えなかった。
だが、ディルクの心には届いたようで、「きゃああ!ロー様が女性にそんなことを…!」と興奮状態になっていた。
些かまだ酔っているようだ。
その後、ローデリヒから、リーゼラを雑務担当として雇用契約を結んだことを簡単に説明されると、ディルクが感極まってリーゼラを抱きしめた。
「何という逸材!!もう絶対絶対離しませんからね!!」
昨日に引き続きディルクに抱きしめられて、ソファの上で慌てる。
そんなディルクの頭に、ローデリヒが分厚い書類の束をドンと押し付ける。
「たはっ!!」
そして横からディルクに顔を近づけて
「お前へのプレゼントだ、ちゃんととっておいだぞ。」
と妖艶な笑みを見せて囁くように言った。
その二人の姿がなんと絵になることか。
リーゼラは内心一人でドギマギしてしまった。
一方ローデリヒに迫られたディルクは、青い顔になって笑い、
「ははは、そんなわざわざお気遣い頂かなくても結構ですのに…!」
と謙遜するが、
「約束だからな。」
とローデリヒに間近で不敵な笑みを向けられ
「ははは…、ああ…!」
と言って、がっくりと項垂れた。
リーゼラは、朝食前に部屋に戻って着替えるように促され、その間二人はたっぷりと濃密な時間を過ごしたようだった…
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