ルーチェ・ディアリー
「すきだよ」
なんで、
「誕生日とかあんまり教えないんだけど…きみにはお祝いしてほしいから」
信じてたのに、
「きみ以外の女の子と連絡取らないよ、約束」
どうして、どうして、
「俺実はホストなんだよね」
プシュッと炭酸の抜ける音がして、もはや本日何本目になるか分からない缶チューハイを開ける。顔は涙でぐずぐず、止まらない嗚咽、味なんて正直よく分からないけど、度数の強いお酒を買ったのはよく覚えていた。
「やっぱりわたしにはアドレくんしかいないよう……」
低賃金重労働で有名な保育士になって2年。…いや、職業のせいにするのはよくない。生まれてから22年、わたしは1度も彼氏が出来たことがない。
小学生のころは、少女漫画に恋する普通の女の子だったと思う。だけどそれがどう転んだのか、中学生になったあたりから、わたしの彼氏はアドレ・マーフィーという架空のキャラクターだったのだ。
「来世はアドレくんの彼女になりたいな…。同じ次元ってだけじゃ振り向いてもらえないから、ぜったいに愛して貰えるって約束された世界線にいきたい……」
高校生のころはそれで良かった。同担を片っ端から自衛という名目でブロックしながら、愛してさえいればいつかどこかで巡り会えると信じていた。だけど盲目という魔法は、個人差はあれど誰しもゆっくりととけていく。
同担拒否こそ直らなかったけれど、アドレ・マーフィーはこの次元には存在しないどころか、このままじゃわたしは一生誰にも愛されないまま死んでいくかもしれないということさえも理解した。20歳にもなって、ようやく。
「こんどのひとはねぇー……アドレくんと血液型と、身長が一緒だったんだよ……。それで運命だって思っちゃったの…」
ふわふわした思考の中で、わたしはぼんやりと、アドレくんではない好きな人のことを思い出していた。これで4度目。アドレくんの面影を重ねて好きになる人は、いつもわたしのことを好きになってはくれなかった。
「最初はそんなはじまりだったけど…わたしほんとに、そのひとのことちゃんと、」
好きだった、最初は血液型と身長が。だけど次第に全部好きになっていって、SNSのフォロワーから交友関係をチェックして、いつメッセージが来てもいいように常にスマホを握り締めて。
すきだった、すきだった、だいすきだった。なんで今、わたしはひとりぼっちでお酒を飲んでるんだろう。ああ、色々考えていたらなんだか眠くなってきた。だけどなんだか呼吸がしづらい。胸が痛い。でも身体はがぴくりとも動かなくて、わたしは、わたしは……
(そこで死んだんだよね)
もう何度目になるか分からない夢から目を覚まして、わたしはゆっくりとベッドから上体を起こす。
わたしには前世の記憶がある。誰にも言ったことはないし、鮮明に覚えている訳ではないけれど、明確な自信があった。
「ルーチェ・ディアリー…」
だって、月明かりに照らされた鏡に写る今のわたしの顔は、前世で何度も見てきたものだから。
ルーチェ・ディアリー。それが今世のわたしの名前。前世でわたしが恋したキャラクター、アドレ・マーフィーが出てくるゲームの登場人物である。
なんて、それだけ聞けば、これ程までに喜ばしいことはないように感じるけれど、どうやら神様はわたしの味方ではなかった。何を隠そう、このルーチェ・ディアリーというキャラクターは、どうしようもない悪役なのだ。
ただの悪役ならいい。世界を乗っ取ることを企む悪の組織でも、指名手配をかけられた犯罪集団でも、アドレくんが隣にいるのならなんでもよかった。
だけどわたしは、ルーチェ・ディアリーは、ヒロインに好きな人を取られる、いわゆる悪役令嬢という役どころ。
「アドレくんが誰かに恋するなんて…絶対に嫌……」
この世界が乙女ゲームでなかったなら、なんて考えたって仕方ない。悪役令嬢が辿る結末は、決して優しいものではない。中には殺されてしまうものだって少なくない。だけどそんなこと今のわたしにはどうだってよかった。アドレくんが自分じゃない誰かのものになるのを見てるくらいなら、
「死んだ方がマシだよ…」
今世こそ、好きな人から愛されたい。